汝、救国せよ
深いグリーンの二つの瞳は、空中でくるくると回転した。
「一つねぇ。君、大恩っていう言葉の意味分かってる?」
とてつもなく底意地の悪そうな、目玉の言葉に、葉子は顔をしかめた。
「あんな、危機的な状況で叫んだ願い事に、責任なんてもてないわよ。」
実に日本人的な、困ったときの神頼み的感覚であったと断言できる。本気で祈りはしたが、それがかなえられるなんて、これっぽっちも考えていなかったのだ。それに、この目玉、怪しすぎる。神様だとはいうけれど、この風体は、どう見ても邪悪な目玉だ。宙に浮く物言う目玉・・・。どう多めに見ても、妖怪や邪神のほうがしっくりくる。すべて鵜呑みにしてしまうほど、お気楽な心の根の持ち主ではない葉子である。成人したばかりの娘にしては、なかなか、用心深いといえよう。
「君、なんでそんなに全身全霊をかけて、棘のある感じなの?普通、奇跡を体験した後の人って、こちらが何か望まなくても、もっとこう勝手に盛り上がって、神の僕に自ら進んでなるものだけどなあ・・・」
葉子の感覚がさぞおかしいような意見だが、あいにくと、日常に信仰を必要とを感じるほど、葉子は信心深い類の人間ではなかった。クリスマスにケーキを食べ、正月に寺と神社にお参りし、ハロウィンだってお祝いする。典型的な、ご都合主義日本人であった。
「それは、あながた先ほどおっしゃられた、偶像ではあらわせないほどの美しい姿でお出ましになっていたら、現状とは違った対応だったかもしれませんね」
人は見た目が9割。神様も、多分その枠にもれなく入る意見だと思う。
なんせ、目玉である。現れたのは二つの目玉なのである。どう考えても、ありがたがる状況ではない。逃げなかっただけ、ましと思っていただきたい。
後の世に、この二人の出会いは、意匠化されて残されているのだが、そのありがたい絵図らも、知らないものが見れば、どう見ても悪魔との契約の一場面である。歴史の授業などで、この図が何を表しているのか答えよ、と出るレベルの怪しさである。
「うーん。そればっかりはどうしようもないんだよねえ。それもこれも、全部葉子のお願いを聞いちゃったせいなんだけどね!」
「・・・まだ、承知するつもりはこれっぽっちもありませんけど、私に何をお望みなんでしょうか」
話せば話すほど煙に巻かれて、思考をかき乱されるのが目に見えているので、葉子は、さっくりと流れを切って、神様の要求について、一度真剣に聞いてみることにした。
「えっ。唐突だなあ。じゃあ、葉子は救国の聖女とか興味ない?」
出てきた世界系単語に葉子はめまいを覚えた。
「あいにくと、俗な小市民ですのでこれっぽっちもございません。自分のことで手一杯です。自分に縁もゆかりもない国を救うとか、超無理です。遠慮します」
国を救うだとか、聖女だとか、さっぱり話が大きすぎて、ピンとこない。
「えぇ?困るなあ。どうしよう」
どうしようもこうしようもない。そんな重たいもの請け負えるか。他人の、しかも両の手の指でも足らない見知らぬ人々の人生を背負うなんてこと、できるはずがなかった。
「そもそも、国を救うことでどうしてあなたの報いになるんですか?国のほうに益こそあれど、あなたに一部の利も見当たらないのですが」
目玉は私の言葉に全力否定するように、ぶるぶると震えた。
「あるよぉ。あるんだよこれが!その国の王家っていうのが、僕の血族なのよ。大分血は遠いんだけどねえ。で、その大分遠いってのが問題なのよ。今まで、っていうかほんの五百年位前までは、僕が、その国の唯一神だったんだけどさあ。ちょーっと寝てる間に、この落ちぶれ方よ」
目玉は、ぐるうりと、回転して先ほど私と子どもたちが現れた古い建物のほうを示した。
要約すると目玉の言い分はこうだ。
気まぐれに契約した、人の子との間に子を設けた目玉の神様は、初代契約者から数えて四番目の子が没したのを境に、浅い眠りをとったのだという。神様という存在は、祈られることで、力を増すのだが、このとき、己のキャパシティを超えるほどの祈りの力が神様に集中し、要するに食あたり状態になったのだそうだ。より高次元の神へと生まれ変わるためへの眠りだったのだが、消化するまでに思ったよりも時間がかかってしまった。目覚めてみると、創世記の活気にあふれた王国はなく、爛熟腐敗し滅びかけた王国がそこにあった。
どうにかこうにか、立て直そうとはしたのだが、ずっと眠りっぱなしだった神様のことを人々はいつしか、風化させ、神の信託をを受ける巫女は形骸化し、遂には最後の巫女が先日この近くの庵で息を引き取った。継ぐものもなく、この近くの村のものからは、戯言を操る魔女だと目され相手にされなかった。現在この国には、神殿はあるが、信託を受けるべきものがいない状態なのだという。己の血を告ぐ王の夢にも何度か足を運んだが、まったく相手にされなかったらしい。
「・・・もうねー。僕自身が子孫から信じてもらえないとか、ひどい話でしょ?まあ別に、ほかに楽しいこと見つければ信じてくれない子孫なんていらないんだけど。ちょうどいい材料があったしねえ。」
簡単に退屈しのぎを手に入れて、有り余るはずの、パワーアップした力で葉子を救ったのだが、結果はこのとおりだ。途中で体が解けてしまった成れの果てがこの目玉なのであるという。
「にしても、重すぎます。重すぎますよ。国の人たち自身は救われようと思っちゃいないし、王様にしても、助けてっていってないのに、どう救えって言うんですか。」
目玉は、力尽きたように、地面にのめりこんだ。とても痛そうだ。
「こらこら~。だから大恩なんでしょ?この国っていうか、もう分かってると思うけど、この世界はね、人の祈りの力っていうのが、すんごーく大きく、あらゆる事象に大きく作用するのね。人を強く憎めば、のろいだって発動するし、そういう祈りの力が、強い人が願えば、火だって操れるし、空も飛べるし、海は割れるよ」
「え・・・?」
目玉は、ずいずいと、葉子の眼前に迫り、異様な雰囲気をかもし出している。
「だからあ、君たちの言う伝説上の奇跡なんて、ここじゃ簡単におきちゃうの。そういう人たちが、ごろごろいる世界で、他国から、呪いを受けたりなんかしたらどうなると思う?」
葉子の頭の中であらゆる天変地異が、駆け巡っていった
「・・・国敗れて山河ありみたいな感じですかね」
多分、この使い方は間違ってない。多分。葉子は、ため息をつきながら、空を仰いだ。異界の二つの月が猫の目のようであった。