黒の訪ない
やや、血なまぐさい表現が、所々に入ります。
苦手な方は、そっとページを閉じることをお勧めします。
はじめに聞こえたのは、大きな爆発音だった。
昨夜ダウンロードしたばかりの、お気に入りの曲を流しながら大学へ向かう途中、毎朝の眠いバスの中。突如、前方で花火が上がるときのような、ものすごい音がしたのだ。
すぐ一つ前の、かわいらしいサイズの送迎バスだろうか、その車体が無残に横転しているのが見える。
ざわざわと、周りの客たちも異変に気づいて、立ち上がり、バスの様子を見ている。
バスの運転手らしき人物が、車内から自力で這い出てくると、そこでなにか必死に叫んでいるのがみえた。おそらく中に子どもが乗っているのであろう。
血だらけの頭ですぐ後ろのこのバスに向かってくる。
「だ、誰か助けてくれ!中にまだ人が乗っているんだ」
バスの運転手が、ドアを開けると崩れるようにしてその男は中に入ってきた。
「子どもが乗っているのか?」
二つ後ろの席の、サラリーマン風の男がすぐに立ち上がる。
「そうだ、先生が1人と、子どもが6人のっている」
ああ、たぶん夕方のニュースで流れるなーと、不謹慎なことを考えながら、葉子は他の客たちと同様に席を立つ。
どうせ、1限目は休講だし、学内SNSを見ると2限目も、教授が新しい遺跡の発掘調査が昨日の飲み会で決まったから、自習にするね!とか、酒のあとのテンションで書き込んだだろうてめぇ。という殺意覚える軽い文面で、今朝、書き込みされたものが、最新表示されている。
3限はなんとか出たいけれど、このようなことに巻き込まれて、知らん振りを決め込めるほど、まだすれてもいない。普通の日本人だ。
できることがあるならば、手をかそうと思ったのだ。
同じ車内の人間も、ちらほらと立ち始め、ステップを降りる。葉子も、タラップに足をかけたところで、唐突にものすごい衝撃波が襲ってきた。
ドン。という重い音がして、なぜかバスが横半分に割れたのだ。手摺をつかんでいたのが幸いして、なんとか転がり落ちずにすんだのだが、目の前には理解しがたい光景が広がっていた。
「なにそれ・・・」
思わず口から漏れたのは、的外れな呟きだった。
と、その衝撃波のすぐ後に、バスの陰に人が現れたのが見えた。黒いフードを目深にかぶった、冬とはいえ、異様ないでたちである。それが、男か女かすら判別がつかぬ。
まるで、黒ミサをする、怪しい宗教団体の信徒のような、格好である。
先ほどまで、確かにバスのそばには人がいなかったのに、いったい、いつの間に移動したのだろう。
すぐそばの、歩道にいた人だろうか?
とにかく、急いでバスに乗る子どもたちを助けなくては。
周りの大人たちも、一瞬の驚きで、動きが止まったが、降りたものから順にバスに駆け寄っていく。
あわてて葉子も、その後に続くと、バスの中は陰惨な光景が広がっていた
誰のものとはわからないが、生臭い血のにおいがした。
「ひどい・・・」
真っ二つに割れた、バスのなかには、子どもたちがうずくまるようにして倒れている。
視線を走らせると、こどもを3人ほど抱え込んで倒れている、成人女性に目がいった。
明るい、茶髪であろう長い髪はひと括りにされているが、べっとり血が付着している。
ピンクのエプロンのしたからも、じわじわと血が染み出しているのが、すぐにわかった。
「大丈夫ですか、すぐ、助けますよ」
一緒に駆けつけた、男の人たちが助け起こそうと、彼女に近寄ろうとしたとき
必死の形相の、彼女の顔が見えた。青白く、血の気がうせた顔が、事故の恐怖を物語っている。
「だめ・・・はやく・・・子どもたちを・・・にげて・・・」
「いいから、大丈夫ですよ、幸いガソリンがもれていないようだし。さ、はやく」
差し伸べた手をとろうかと躊躇する彼女を尻目に、葉子は車外にはじき出された子どもに手を当てて、脈を取る。絞り出すような声で、這うような言葉が耳に届いてまもなくのことだった。
「いいから・・・はやく!でないと・・・」
鬼気迫る声音だった。
「何いっ・・・・・・・・・」
言葉はそこで途切れてしまった。
「え・・・?」
一瞬の違和感の後、首筋をヒュッと掠めるような、鋭い冷たさが表皮を舐めていった。
直後に、ひりひりとした痛みが、首の半分を取り巻いていく。
そして、横にいたはずの二人の男性の首が、なくなっていた。
刎ねられた、生首の男の一人と目があった気がした。
「キャアアアアアアアアアアアアアッ」
すぐ後方で、大きな悲鳴が上がる。
噴出した、血が生暖かく、葉子の黒いパーカーに降り注いだ。
首の左半分が、痛くて熱くてひりひりした。おそらく出血しているのだろう。
万力のような力で、先ほどの女性に、腕をつかまれる。
「こど・・・も・・・たちを・・・に・・・げ・・・」
彼女の、胸の下にはとっさに庇われたであろう子どもが三人がたがたと震えながら、こちらを見ていた。
せりあがってくる、熱い塊を必死で押しとどめて、三人の子どもたちを彼女の胸の下から引きずりだそうとしたときだった。
「あれぇ?おかしいナァ。確かに首を切ったと思ったのにナァ」
場違いなほどに明るい声が、上から降ってきた。
見上げると、白い三日月のようにくっきりとした弓なりの瞳と真っ赤な唇が目に入る。
その顔は、不自然なほどに白い。病的なほどの白さだった。
「まあいいか。そこの、女と一緒に、お前も死んじゃえヨ」
いつの間にか両手に、大きな柄の付いた鎌をもたげて、そいつはニタリと笑う。
「ばいばい、さよなら」
死神だ。死神だと思った。
葉子は、彼女ごと子どもを胸の下に抱いて、目を瞑った。
ああ、バスを降りなければよかった。でなかったら、こんなバスジャックに
巻き込まれることもなかっただろうに、と頭の片隅でぼんやりと思いながら。