第8節
ドンパチ回です。
第8節
追跡者を迎え撃つ覚悟を決めたアキト。走り続けたお陰で十分に身体は温まっている。10人程度の相手に負けるつもりはさらさら無いが、問題は頭の上にいる竜と隣にいる正体不明の少女を護りながらどこまでやれるか、と云う事だった。鍛練は積んでいるが、誰かを庇いながら戦うという状況は初めてなので、より慎重な立ち回りが必要だろう。
一方その少女はと云うと、特に気負った風もなく、ただ襲撃を待ち構える全身黒マントに黒フード。その姿からは一片の焦りも感じられない。戦い慣れているのかとも思うが、彼女の身体に筋肉らしい筋肉がほとんど付いていないのは既に確認済みである。その自信がどこから来ているのかさっぱり分からない。
そして、特に状況が分かっていない小さな竜。何かが起こっているのは理解しているのだろうが、変わらず俺の頭にしがみついている所を見るとどうやら余程信頼されているらしい。その信頼に報いるべく気持ちを改めて、竜を安心させるために再度頭を撫でてやる。
一方、追跡者達はと云うと。一気に突っ込んで来るかと思われた追跡者達はアキト達の300メートル手前で立ち止まる。可愛げのない事に遅れた仲間を待ち、全員で襲うつもりらしい。こちらが河に阻まれてこれ以上後には引けない事を分かっているのだろう。
遠目からでもニヤニヤと卑しい笑みを浮かべているのが分かる。それはそうだろう。散々追いかけて来た獲物が間抜けにも河に阻まれ逃げ場を失い、さらにいつの間にやら獲物が新たな獲物(しかも体格から女だと分かる)を連れているのだ。自分たちの勝利と、その報酬に想いを馳せ自然と笑みがこぼれてしまうのかもしれない。
「やっぱ隠れた方がいいんじゃない?」
これが最後、とばかりに傍らの少女に確認する。
「…問題無い」
返ってきたのは、簡潔な否定。
「でも、やつら手慣れてる。人を殺したこともあるのかもしれない」
これは半分脅し。
しかし、返ってきたのは予想外の言葉。
「…そう。私もある」
「えっ?」
「…来る」
彼女の言葉に声を無くしてしまった自分を現実に引き戻したのは、彼女の警告。
ハッと視線を戻すと、息を整えた追跡者達は一斉に馬を鞭打ち、駆けだそうとしている。10人の追跡者達が駆る10頭の馬が鼻息も荒く駆けだした。見る間に彼我の距離が縮まっていく。その瞳には尋常ならざる光が宿り、月明かりを受けてギラギラと怪しい光を放つ。
目の前の獲物の喉元に喰らいついてやろうという狩人の意思が垣間見える。
アキトの自慢の鼻が遠く離れた此処からでも彼らの持つ武器が放つ人の血と脂の混じった匂いを嗅ぎつける。どうやら脅しのつもりが、本当にやばい連中だったようだ。最初に日が落ちるまで襲ってこなかった事や、全力では無かったとはいえ自分の疾走に着いて来ていた事を鑑みると、ただの野盗にしてはずいぶん練度が高い。
予想以上の難敵にアキトは奥歯を強く噛み締める。最悪『奥の手』を使う必要が有るかも知れない。
だが、そんなアキトの動きを留めたのは彼らのプレッシャーではなく、隣の少女から発せられた言葉であった。
「…彼らはこの街道で既に20人近い巡礼者を殺し、その金品を奪っている。討伐に出た騎士団も彼らを見つけられなかった」
「―え?」
「…敵は狡猾にして残忍。…逆にいえばこちらを侮って襲って来てくれる今こそが好機――」
「ッ!」
少女の身体から不可視の何かが吹きあがる。アキトの背中を何かが駆けのぼるのを感じた。周囲の大気が怯え、猛る。小さな竜は一層アキトにしがみつく四肢に力をこめる。
そして歌うような少女の声。
「我は遍く飲み込む幾百万――
我は遍く飲み干す幾千万――
―― 暴飲の雷」
それは、初めて目にする光景だった。
世界は閃光に怯え、逃げまどう。そんな錯覚すら覚える暴虐の塊。
追跡者達の叫びすら飲み込み、その命を飲み干して行く。唯唯ひたすらに。ある種の勤勉さを持って。例外を許さず。それは絡め取られた瞬間に命を取られる死の繭。それはまさしく断罪の雷。
それは追跡者達をことごとく飲み込み、全てを意味のない黒い塊へと変えていった。
まるで雷の嵐に全てを吸い取られ、動物の排泄物が地面に転がされるかのように。
余りに圧倒的な光景に胃液が逆流するのを感じる。10人の人間と10頭の馬が。その命が。いともあっさりと失われるその光景に。
そして、考えずにはいられない。
(俺は一体どこに来てしまったんだ?)
こんなにも簡単に命が失われる。信じられなかった。信じたくなかった。
(これがこの世界の理なのだろうか?)
突然連れてこられたこの世界。しかし、望むと望まないに関わらず既に俺はこの世界に所属してしまっているのだ。
今の今までなるべく意識しないでいた事実が俺に重くのしかかるのを感じる。ここは異世界で、もしかしたら目の前の光景が日常的に繰り広げられている。そんな世界に俺は居るのかも知れない、という事実。
甘く見ていた、と云えばそれまでだ。竜との出会いでこの世界に対する認識が甘くなっていたのかも知れない。
茫然とする頭のどこかで考えてしまう。
(いつか俺もこの理に絡め取られてしまうのだろうか)
「ッ!」
再び強い吐き気がアキトを襲う。たまらず蹲ってしまう。必死に胃の中身をぶちまけるのを我慢する。じんわりと涙が滲み、目が霞む。
そんな時だった。
「アキト?」
蹲ってしまったアキトを心配したのか、頭の上の竜が不安そうな声を上げる。
その声に不覚にも。そう、不覚にも安心させられてしまった。護るつもりが守られて。
(本当に綺麗な声だよな…。確かに目の前の光景はこの世界の一面なのかもしれないが、今頭の上で俺を心配してくれているこの子もこの世界の一部なんだよ。ソレに対してゲロぶちまけそうになるなんて、格好悪いにも程が有る)
己の不様さを心の中で嘲う。
そうやってやっとこ絞り出した余裕を使い、あの暴虐の嵐を使役した本人を見やる。
蹲っているおかげで少女のフードに隠れた顔が、いまだに閃光を放つ雷に照らされているのが見える。
その表情を見てハッとさせられる。
その顔はひたすらに無表情で。
俺はそれがひたすらに悲しかった。
もし彼女が殺人を楽しむような人間であれば、そこには快楽が、
もし彼女が彼らに恨みがあったのであれば、そこには憎悪が、
もし彼女が心に痛みを感じているのであれば、そこには悲嘆が、
それぞれ刻まれているはずなのに。
この殺戮の嵐を見て何も感じないはずが無いのに。
けれど、人の心を読むことの出来ない俺にはその無表情の下にどんな心を隠しているのか、知る術はない。
それが、悲しかった。
もし目の前の人が涙を流していれば、俺はその涙を止めるために精一杯の事をしよう。
もし目の前の人が傷から血を流していれば、俺はその傷を癒すために出来る限りの事をしよう。
けれど。そう、けれど、今目の前に居るような己の涙も傷も能面のような無表情の下に押し隠し、ただひたすらに耐えている人間は一体誰が救ってくれるのだろうか?
気付けば俺は彼女に向けて声を発していた。
「お前、大丈夫か?」
と。
魔術の詠唱はどうだったでしょう?こういうのは難しいですね。
あと、アキト君には今後も酷い目に会ってもらう予定なので、どうぞよろしく。