第2節
ギルドカードの機能をやっと使う時が来ました。
第2節
「………ん」
意識が暗から明へと移り変わって行く。
どうやら、まだ死なせてはくれないらしい。
早くして欲しいと思う。早くしなければ折角、立ち切った未練が蘇ってしまうから。
蘇ったとしても、私にはどうしようもないのだから。
それに、もう一歩も歩けないどころか、立ち上がる事すら出来ないのだ。今さら何をしても遅い。
誰かが助けに来てくれる、なんて望みも無い。
なんせ私は獣人だ。この街の嫌われ者。疫病神。
だから、早く。
私が望むのはそれだけ―――――
そう自分に言い聞かせようとした、その時だった。
トントン、と閉め切られた玄関を叩く音がしてきたのは。
「すいませーん。誰か居ませんかー?」
少々間延びした男性の声が聞こえる。
それは私が強く望み、そして恐れていた事の具現だった。
ほんの、本当にほんの僅かだったが『助かる』と思ってしまったのだ。
それは今まさに死の淵に在る私にとっての致死の毒だ。
諦念と死によって封じられた未練が、自我を吹き飛ばす勢いで噴出する。
吹き飛ばされた自我は、ようやく決めた覚悟を放り捨て、みっともなく命乞いを始めてしまう。
――――助けて、助けて、助けて!!
――――死にたくない!!私にはまだやることが有るのに!!
――――お願い気付いて!!私はここに居るのに!!
――――助かるなら、悪魔と契約したって良い!!だから!!
だがこの三日間、水すら口にしていなかった私の喉は、渇き切り、完全に張り付いてしまっていた。
出てきたのは。
「……た……ぇ…」
というかすれた音だけ。こんな音では余程耳を近付けないと聞き取れないだろう。
ましてや、扉一枚隔てた向こうに届くはずもない。
分かっていたのだ。どうせ、私の声は誰にも届かな―――――
「ごめん!!後で弁償するから!!」
「………ぇ?」
――――バキャッ!!
再び諦観の底に沈みかけた彼女が見たのは、強引に開かれる扉と、慌ててこちらに駆け寄って来る青年の姿だった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
ピィピィと釜が鳴き声を上げる。だがここで蓋を取ってはいけない。赤子泣いても蓋取るな、だ。
出来上がるまで時間が有るので、再び少女に水を持っていくことにする。
「大丈夫?」
肩を貸して布団から起こしてあげ、水の入ったコップを差し出しながら、少女の顔色を窺う。
少女はかなり衰弱しているようで、今はまだ弱々しくコクコクと頷く事しか出来ないが、とりあえず水を飲める程度には大丈夫のようだ。
「すぐにおかゆ出来るから、もう少し待っててね?」
再びコクコクと頷く少女。若干申し訳なさそうだが。
そんな少女に微笑んで、空になったコップを受け取り、少女を布団に寝かせる。
現在俺は、マサさんに紹介してもらった船大工のお爺さんのお家で、何故か衰弱し切った少女の看病をしていた。
今、この家にはどうやらこの少女しか居ないようだ。
マサさんから紹介してもらったのは、セツカ=デュオという高齢の船大工のはずだったが、その家に居たのは十歳程度の女の子だけだった。
どうやら何も食べていないようだったので、持ち合わせのお米を使っておかゆを作っている。
生憎と、他はほとんどが日持ちする乾物ばかりだった。そんな物を食べさせて胃がびっくりしてはいけない。
こんな時はおかゆに限る。母さんが言ってた。
おかゆが出来るまでの間、少女に付いていることにする。
少女はすっかり頬がこけてしまっている。元々小柄だったはずの身体は一層痩せてしまっている。
暗灰色の銀髪もボサボサで、頭の半分を覆うような大きな帽子を被っている。
どうやらとても大事な物らしく、布団に寝かせる時に外そうとしたのだが、物凄くイヤイヤをされてしまったのでそのままにしてある。
その帽子の影からチラチラと蒼色の瞳がこちらを窺っている。
まあ、初対面なのだから当然と言えば当然と言える。彼女にしてみれば、どうして自分を看病してくれるのか理解出来ないのだろう。
自分でもやっかいな性質だと思う。
確かに俺は聖人君子ではない。困っている全ての人を救えるほどの能力もなければ意志も無い。
この少女は確かに『たすけて』と言った。
だから助けたに過ぎない。
俺は正義の味方でも何でもない。ただの狼男だ。
俺の目や耳や鼻がいくら良くても、全ての人の嘆きを捉えられる訳ではないし、それら全てを救う事もできない。
けれど聞こえてしまった以上、それがどんなに小さな声でも俺はそれに対して『無自覚』ではいられないんだ。
ただ、それだけ。
それ以上でもそれ以下でも無い。
俺が自分の『無自覚』を嫌っているだけの話だ。
眼を覆い、耳を塞ぎ、手を縛り、足を止める事を、俺は許されていないのだから。
そんな事を考えながら、この微妙な時間は過ぎて行くのだった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
おかゆを食べさせて、しばらくすると少女は穏やかな寝息を立て始めた。
もう二・三日もすれば体力も戻るだろう。
それくらいなら面倒を見ても罰は当たらないはずだ。
それはそれとして、寝入ってしまった少女を他所に、俺はちょっと困っていた。
正直やることが無い、さりとて少女を放置して去る事も出来ない。
「ちょっと観光しようとしただけで、これか…」
しばらく宿には帰れそうに無いな。
仕方が無いので、ギルドカードの伝文機能を使ってヒカルに連絡だけでも入れておこう。
この伝文機能、便利は便利なんだが着信しても振動も何も無いので、正直緊急の伝文には向いて無いんだよな…。
とにかく、事情だけでも伝えておくかな。
[ちょっと困った事になった。 ]
[衰弱した女の子の看病をしている。]
[誰か手伝ってくれると嬉しい。 ]
[場所はマサさんに聞けば分かる。 ]
「はい、送信っと」
これで大丈夫なはずだ。その内、ヒカルかナギ辺りが手伝いに来てくれる。
そう思って安堵の息を吐くと、ちょうど俺のお腹が鳴る。
そういえば、俺もご飯を食べて無いんだっけか。
さっきのおかゆの余りが有るのでそれで済ませてしまおう。
少女におかゆを食べさせる為に彼女の枕元に座っていた俺は、立ち上がろうとする。
しかし、腰を上げようとすると、いつの間にか少女が俺の袴を掴んでいたらしく、服が引っ張られる。
衰弱していたはずだが、その力は結構強く、無理に引き剥がそうとすれば、折角寝たのに起こす事になってしまうだろう。
「しゃーなし、だな…」
浮かしかけた腰を再び床に降ろす。
特にやることも無いので、少女のプードルみたいに大きな耳を撫でる事にする。もう一方は帽子に隠れてしまっているので、片方だけだが。
ベロンベロンとした感触が楽しい。
「………ん」
少女が呻く。起こしてしまったのかな?と思ったが、どうやら大丈夫らしい。
ベロンベロン続行。
空腹のせいか、この耳が油揚げに見えてきた。キツネうどんが食べたくなってくる。
ベロンベロン。
その空腹感を紛らわすためにも、少女の耳を弄ぶのに熱が入る。
ベロンベロン。
ああ、良いな…これ。
ベロンベロン。
癒し効果が有るに違いない。
ベロンベロン。
その感触の虜になった俺は、その後ヒカルがやって来て俺の頭を叩くまで、ずっとベロンベロンに夢中になっていたのだった。
ベロンベロン




