第4節
水竜の悪癖がアキト君を苦しめる!!
まあ、自分としては『温い』と言わざるを得ない…。
第4節
ここはカッツィオ家、大食堂。十分な広さと、豪華な装飾のなされたここは、常ならば静謐な空気で満たされている事に違いない。
しかし、今だけは実に剣呑な空気が流れていた。
そんな空気を知ってか知らずか、ヒカルがまた同じようにアキトの口に食事を運ぶ。
「ほら、アキト。アーン」
その甘い言葉に、逆らえないアキトは口を開き食べ物を導き入れる。バターの風味豊かなスクランブルエッグが、アキトの口の中に柔らかな食感とほのかな甘みをもたらす。
それを十分に味わいながら、アキトはこの状況について思考を巡らせる。
(何故俺はヒカルにアーンで食べさせて貰ってるんだっけ…?)
そうなのだ、今彼は蜜月を迎える夫婦のようにヒカルに食事を食べさせてもらっている。
事の発端は、ユウキに連れられてこの食堂にて朝食を取ろうとした事だろう。ほんの少し前の事である。
アキトが朝食を取ろうとスプーンを握ったのだが、それはアキトの意志に反して彼の手から滑り落ち、食堂の床に当たりかん高い音を立ててしまう。
どうやら腕の火傷は、外側は治っているようだが、内側はそうでもないらしい。手が思ったように動かない。指もかじかんだように開閉が上手くいかなかった。
それを見かねたヒカルが自分の席(何故かユウキの一番近く)を立ち上がり、アキトの隣に席を移す。この時点でユウキの目が半端無く鋭くなっていたが。
そして、隣に座ったヒカルが、
「いや、左手は使えるから!」
と言う彼の手から食器を奪うと、
「怪我人が遠慮をするもんじゃない」
と言って、そして現在の状況に至る、と云う訳だ。
ちなみに、水竜の女性も同席しているが、彼女はシノにご飯を与えている。最初は彼女もこちらに来ようとしたのでアキトが慌てて押し付けたのだ。
彼女もシノを見て最初は驚いていたが、やはり竜同士言葉が通じるのが幸いしたのだろう。母性本能を揺さぶられた彼女は、甲斐甲斐しくシノに食事を与えている。
そして、この家の主人であるはずのユウキは、凄い勢いでアキトを睨んでいた。視線からも『ヒカル様にアーンして貰えるとか、羨まし過ぎだろ。彼は死ぬべき。今死ね、すぐ死ね、ここで死ね』と云う憎悪がありありと読み取れる。
彼にもシノが目に入っているはずなのに、そちらには一切興味を傾けず、こちらを凝視している。
ひたすらに居心地が悪かった。
「アーン」
またもやヒカルが食事を口に運んでくれる。
アキトはそれを受け取りながら、ヒカルの顔を見る。綺麗に整った顔立ちに、すっと伸びた鼻、美しい鋭角を描く顎のラインが目を引く。そしてその瞳は琥珀のブローチのように鮮やかに彼女の顔を飾っている。
何より、彼女の頭に在るねこみみは今日も可愛らしくピクピク動いている。これを見る度に彼女の頭を撫でまわしたくなるのは秘密だ。
とにかく、そんなねこみみ美少女に食事を食べさせて貰えると云う一大イベントなのに、全く嬉しくならないアキト。否、嬉しくはあるし、食事も十分美味しいが、ただひたすらに居心地が悪かった。
どうも、ユウキの猫獣人愛好癖は半端ではなさそうだった。
彼、ユウキ=カッツィオ。
彼に付いて、ヒカルがこの食堂に来るまでにある程度は教えてくれた。彼女らしい歯に衣着せぬ言い方で。
彼はこのカッツィオ家の次男で、既に両親は他界してしまっているうえに、長男のタケシ=カッツィオが騎士団として留守にすることの多いこのカッツィオ家を切り盛りしているらしい。
ただ、切り盛りすると言えば聞こえが良いものの、王都でも有名な放蕩者で、実直剛健な兄と比べ性格も財布の紐も軽いらしい。
趣味は獣人愛好。特に猫獣人には並々ならぬ熱意を発揮するのは既に確認済みだった。彼の専属の侍女にも獣人が何人か居るようで、周囲からは変人扱いを受けているらしい。
どうやら、一癖も二癖もある人物のようだった。
食事は続く。剣呑な雰囲気を以前纏ったままに。アキトの胃にとって優しくない時間が過ぎてゆく。
「ほら、アーン」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
剣呑な雰囲気の朝食が済み、アキト達は先ほどまで居た客室に戻っていた。
「なんつー胃に優しくない朝食だったんだ…」
つい、アキトの口からは愚痴が漏れてしまうが、ヒカルは不思議そうに首を傾げている。
「そうか?なかなかあっさりとした物が多かった気がするのだが」
別に彼は食事の献立に文句を言っているのでは無いのだが。どうやら先ほどの空気を完全に無効かしていたらしい。彼女は何かAT的なフィールドでも張っているのだろうか?…あり得そうだ。確かに彼女は心傷が多いようでもあるし。
そんな事を本気で考え始めたアキトに声が掛かる。
「ご主人様、具合がよろしいのでしたら、一度大水竜様に会っていただきたいのですが」
いまだシノを抱きかかえたままの水竜の女性だ。シノは彼女の胸に埋もれている。昨夜あれに触れられて気絶してしまった身としては羨ましいのか、恐ろしいのか分からないが。
それよりも、だ。アキトはまず気になっていた事を聞く事にする。
「大水竜に会うのは良いけれど、それよりその『ご主人様』と云うのはどういった意図で使ってるのか教えて貰えませんかね?」
そんなアキトの質問に水竜の女性は『待ってました』と言わんばかりに瞳を輝かせ、大きく頷いてから話し始める。
「ご主人様は、その身命を賭して私の命を救ってくださいました。この後、大水竜様からどんなお達しが有るかは分かりませんが、不肖ながらもこの私の身命をご主人様に捧げる事を決めたのです。ならば、ご主人様は私の『主人』であり、私はその『奴隷』で有るという事になります」
その言葉にアキトは渋い顔を造る。確かに水竜を助けたのは自分だが、そこまでして貰うのも何だかなぁ、と云うのが正直な所だった。
「とにかく、『奴隷』という響きが好きじゃないんだけど…。何か悪い事してるみたいに感じる」
しかし、その言葉に水竜の女性は頬を赤らめて答えるのだ。腰はクネクネしている。
「そんな、『悪い事』だなんて!別にご主人様が求めて下さるなら、私はいつでも答える用意が有りますよ!?」
「ちっが――――う!!」
アキトの絶叫が響く。何を勘違いしているんだこの変態は!!そして、いそいそと服を脱ぎ始めるな!!なんかヒカルの目が冷たいんですが!どうしてくれるの!?俺が変態扱いだよ!
「とにかく、『奴隷』はいらん、と言ってるんだ!!」
そうとも、自分の『意志』で進む事をしない人間を俺は好ましく思わない。
そう、言いたかったのだが…。水竜はさらに頬を染め、腰をクネクネさせて言うのだ。
「しかし、ご主人様。『奴隷』でも無いのに『ご主人様』なんて呼んだら、まるで夫婦のようではありませんか!」
もちろんご主人様がそれを望むのであれば、全力でお答えさせていただきます!、と鼻息も荒く言われてしまった。
何で命救っただけで、いきなり好感度MAXなんだよ…。いや、まあこれが好感度と呼べる代物かどうかは分からないが。
「別に『ご主人様』と呼ばなければ良いんじゃないか…?」
そう呟く。だから、他の呼び名にしてくれと云う願望を込めて。まあ、結果は見えているのだが。
「私にとって、ご主人様はご主人様です!私をお側に置いていただけないのでしたら、私はご主人様に救っていただいた命を断たなければならないでしょう」
だから、お側に置いて下さい。そんな風に涙目で言われたら、頷くしかないじゃないか…。
「お側に置いて下さるのなら、不肖この私、どんな辱めでも受ける覚悟です!!」
そう言って、再び服を脱ぎ出す。それをアキトは慌てて止める。
とにかく、一緒に行動するならば、この露出癖を矯正しないといけないようだった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「そう云えば、名前は無いのか?」
そんな基本的な疑問がヒカルの口から飛び出たのは、服を脱ぎ出す水竜をアキトがようやく止めた時だった。いまさらと言えば、いまさらなのだが。
その質問に水竜は困ったような顔を浮かべる。
「はい。有ると言えば有るのですが、無いと言えば無いのです」
「ぼやっとした言い方だなあ…」
アキトはもう突っ込む勢いを失って、ぐったりしているが。
そんなアキトを尻目に、ヒカルは質問を続ける。
「それは、どう云う意味なんだ?」
「私達、竜の名前は人の言葉では表せません。このように人の姿を取っても発音が出来ないのです」
そう言って、申し訳なさそうに俯いてしまう。
だが、すぐさま顔を上げてアキトを見る。
「ですので、この姿の時の名はご主人様に付けていただこうと思ったのですが…」
ジッとアキトを熱い視線で見る水竜。その瞳には期待とか、期待とか、期待とかが垣間見える。ようは良い名前を付けろという事なのだろう。
「だが、断わる!!」
勿論断わる。断固断わる。俺は『小心者』なんだから、名前なんて大切なものをホイホイ決められる訳ないだろう?
「自分で考えて下さい」
アキトはにべにも無く言い放つ。
しかし、
「そんな!シノ様の名前はご主人様が付けたと聞きました!!ならば私にも!」
そう言って、涙目で懇願して来るのだ。アキトはその視線から必死で目を背けながら、叫ぶ。
「なんでそんな事知ってるんだ!?」
「ご主人様が寝ておられる間にシノ様が話して下さいました。『自分の名前はアキトが付けてくれた素晴らしい名前である』、と」
そうでした、この娘は水竜なんだからシノの言葉だって分かるよな。だが、シノの時はシノがまだ言葉をほとんど喋れなかったせいでもあるし…。
そう言って、断わろうとした俺を遮ったのは、水竜のこんな言葉だった。
「ご主人様が名前を付けて下さらないのでしたら、今日から私の名前は『ポンポコピーナ』ですわ!!」
「止めて!!年頃の女の子がそんな名前じゃ、表も歩けない!!」
何で俺が脅されてるんだろうか。いや、まあ、流石にその名前は無いと思うけど。
「分かった!付ける!付けるから、『ポンポコピーナ』だけは止めて!」
何故か頼まれた方が涙目になると云う珍事はともかく、水竜は瞳を輝かせて喜んでくれる。プレッシャーだけが増大していく。胃が痛い。激しく痛い。この世界にも胃薬は有るのだろうか?
「名前か…。やはり、水竜だから水に因んだ物がいいよな…」
「ワクワク、ドキドキ」
口に出てるし…。
俺は彼女を見やる。中身はともかく、その姿は美しく穏やかな母性を感じさせる。色彩も青が基調だ。イメージは『穏やかな海』。
「…『穏やかな海』。『凪』―――『ナギ』にしよう」
うん、確かにしっくり来る。
その名前を聞いた水竜の反応を恐る恐る覗いてみると…。
「…ナギ。私の名前…」
―――ナギ、ナギ。ナギ。
『ナギ』という言葉を噛み締めるように、何度も何度も繰り返す。その表情は次第に喜色を帯びて来る。
「ナギ。ご主人様が付けてくださった、私の名前!」
それが最高潮に達した時、彼女がアキトに飛びついて来る。
「ありがとうございます!!大事にしますね!『ナギ』、今日から私はナギです!!」
気に入ってくれたようで何よりだ。ホッと胸を撫で下ろす。なにやら色々と取り返しの付かない感じもするが、まあこんなに喜んでくれているのだから、良しとしよう。
「じゃあ、よろしくな。ナギ」
「はい!」
そう言って、元気良く答えてくれるナギを微笑ましく思うアキトだった。
その後、興奮が最高潮すら越えてフィーバーし始めた彼女が、また服を脱ぎ始めるのを涙目で止める破目になるのだが。
「ナギ。私の名前…」
「そんなに気に入ったのか?」
「はい!ご主人様からの初めての贈り物ですから!」
「そこまで喜ばれると、流石に照れる…」
「むう…」
「ヒカルさん?」
「なにやら疎外感がするぞ」
「そう言われましても…」
「ならば、別の形で贈り物をしてもらおう」
「それはもう決定事項なんですね、分かります」
「シノもーー!」
「………」




