第24節
軽いのはエーデル嬢ではなく、アキト君の方です。
第24節
――――拝無神流、奥義『手刀』
この技も、『拳』と同じく、物を騙す為に極限まで単純化され、洗練された一撃だ。
『拳』が粉砕する事に特化しているように、この『手刀』は切断する事に特化している。
その切れ味は、既に見せたように鉄の剣ですら易々(やすやす)と切断する。
否、切断する、と言うと少々語弊がある。
物質というのは、静電気結合、共有結合、金属結合、など様々な結合によって構成されている。
物を騙す奥義である『手刀』。この一見ただの手刀はその手に纏った気でもって、物質間の結合を騙してしまう。どれだけ強固な結合方式であろうと「結合して無い」事にされてしまう。
ただ、そこまで万能ではない。
鉄の剣のような単一な物質で構成される物に対して効果が高い一方で、生物の身体のような複雑に物質や結合が入り混じっている物に対しては、あまり効果が無い。せいぜい日本刀程度の切れ味しか発揮できないだろう。
このように、『手刀』という奥義は対武器用の、『武器破壊技』としての意味合いが強い。
そんな奥義『手刀』だったが、この場を収めるのには十分だったようだ。
既に中年の剣士は戦意を引っ込めている。もっと抵抗してくるかと思っていただけに、安心する。
「そこまで!」
外野の女性が、適正検査の終了を告げる。
どうやら、これで適正検査は終了らしい。
それを確認して、俺は中年から手刀を引く。それでようやく中年は緊張を解いた。
「うむうむ。二人とも素晴らしい試合じゃったぞ」
それまで勝負を黙って見届けていた老人がにこやかに言う。
「面接も適正検査も終了した。では、我々は彼の冒険者登録の是非について話し合う事にしよう」
そう言って、この場を締める。
俺は再び、別室にて待たされる事になるのだった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
「で、どうかなブライ君。彼の腕前の程は」
ギルドの会議室にて、その三人はその日冒険者登録に訪れた青年について話し合っていた。
老人の尋ねる言葉に、ブライと云われた中年が渋い顔をして答える。
「見ての通りです。私は手加減も何もしていない。私が繰り出した本気の二十三手を彼は尽く避け、あまつさえ素手で鉄の大剣を両断してみせた。並の力量ではありません」
自分で体験していなければ、嘘だと思う所です。そう言って、彼は苦笑する。
「ふむ。あの剣を両断した技も凄まじいが、火竜の国に名を轟かす『無頼漢』ブライの本気の剣戟を二十三手も避けるなど、とんでもない事じゃのぉ」
ホッホッホ、と老人が笑う。
「その呼び名は止めて下さい…」
それに対して、中年がもっと渋い顔になる。
別に彼自体は『無頼漢』などと呼ばれるような、荒くれ者では無いのだが、その剣技の凄まじさ、荒々しさから、いつしかそう呼ばれるようになってしまった。
中年の剣士からしてみれば、その呼び名は不本意な事でしか無かったのだが。
だが、その実力は折り紙付きで、彼の大剣のリーチの広さと突進の苛烈さから『無頼漢の一撃から逃れられる者無し』とまで言わしめた、大陸有数のゴールド持ちだ。
その彼の剣戟を二十三手も避けるなど、文字通り「有り得ない」。しかし、彼はそれをいとも容易くやってのけた。
あのアキトとか言う青年。彼は一体何者なのだろうか?
「調査の結果が出ました」
それまで沈黙を保っていた女性が口を開く。
「彼の素性や過去は一切掴めませんでした。ただ、この街には昨日スチム街道から訪れ、彼の言っていた通りグレイベアを倒していたようです」
その報告に彼女を含める会議室に居る全員が沈黙に包まれる。
素手でグレイベアを倒した事も、もちろん凄まじいが、彼らを押し黙らせたのは何もそれだけのせいでは無い。
彼の素性が一切掴めない。これこそが何よりの異常だ。
今まで冒険者登録して来た者達の過去や素性が『一切』掴めなかった事など無かったのだから。
彼らの所属する冒険者ギルドは非公認組織だ。そんな組織が国や教会といった一大組織と渡り合えているのは、一重に各国に存在するギルドの支部と相互に太いパイプを敷き、情報戦において常に優位に立って来たからだ。その情報網を使えば大陸の端の出来事でさえ知ることが出来る。
冒険者登録の際の面接や適正検査は、言ってしまえばその人物の情報を集めるための時間稼ぎのついででしか無いのだ。
けれど、その冒険者ギルドですらも彼の足跡を辿る事が出来なかったのだ。
これは普通では無い。『異常』な事だ。
そんな空気を振り払い、彼女は報告を続ける。
「どうやら彼はスチム街道にて、『死神』ヒカル=エーデルライトと接触。その後、行動を共にしています。そして、驚くべき事が一つ…」
彼女は言葉を一旦切る。これから口にする言葉、その異常さを噛み締めるように。
「そして、彼はどうやら竜の幼体を飼い慣らしているようです。その鱗の色は白金であるとか…」
彼女は自分で言った事が信じられないかのように、言葉を切る。
会議室に再び沈黙が降りる。
誰もが声を出せずにいた。それはそうだろう。彼らが今議題にしている青年は、その何もかもが、異常、異常、異常なのだ。
おおよそ、普通である所を探す方が難しい。
そんな重苦しい雰囲気の中、老人が絞り出すような声を上げる。
「この案件、わしらには少々荷が重すぎる。だが、我々は決めなければならないじゃろうな。彼を冒険者として迎え入れるか、それとも彼を災いと断じて遠ざけるか」
そう、「災い」だ。
彼はそれだけの『異常』の塊だ。懐に招き入れれば、必ずや嵐を巻き起こす。
白金の竜、『死神』の少女、そして彼自身の能力。どれか一つでも十分な火種であるのに、その全てが彼の元に集まっているのだ。
だが、同時にそれだけの力をコントロール…とは行かないまでも、ある程度制御できれば、それは教会や各国に対して大きな力となる。
「決断を」
そう言って、老人は『ギルドマスター』としての決断を下すのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
「アキト=オガミ。汝、正しき心と精錬なる技でもって大陸に安寧をもたらす者よ。汝の行いは遍く人々の為に。汝をここに冒険者と認め、その行いの義務と自由を与える」
そう言って、老人がアキトにブロンズのプレートを渡してくれる。
思った以上に簡単な認定式。というか、ただ単にプレートを渡してもらうだけの場。
目の前の老人も堅苦しいのは好きでは無いらしく、
「ブライ君に勝ったのじゃから、本当はシルバーでも良いのじゃが、決まりは決まりじゃからな。これからはギルドの為、ひいてはこの大陸全ての人々の為に頑張ってくれると嬉しいのう」
お茶目にそのウィンクしてくれる。凄く似合わない。
まあとりあえず、合格のようで何よりだ。あそこまでやらされて、「不合格でした~」とか云われた日には、このギルド支部を半壊させていたかも知れない。しないけど。
とにかく、これで俺もブロンズの上級の冒険者となった。
このプレートには身分証明と、依頼の情報、達成状況、そして簡単な文通機能まで付いているらしい。ちょっとした、携帯のようだ。
老人とその取り巻きに礼を言って俺はギルド支部を後にする。
その時、中年の剣士と若い女性が微妙な顔をしていた気がするが、敢えて無視する。
ギルドを出ると、ヒカルが待っていてくれた。
「…どうやら、上手くいったみたいだな」
ここに来た時は大丈夫だ、と言っていたがやはり心配だったのだろう。
少し安堵するような表情を浮かべて俺を迎えてくれる。何だか照れくさい。
「ああ、なんとかなったみたいだ」
「…階級は?」
「ブロンズの上級」
「そうか。妥当だな」
そう言って、頷くヒカル。その懐から顔を出したシノも、
「アキト、おめでと~!」
と言って祝福してくれる。
それに対してシノの頭を撫でてやっていると、
「…それで、その…。冒険者になったお祝いだ。受け取ってくれ」
少し恥ずかしそうな様子でヒカルが一つの鞄を渡してくれる。
「これは?」
俺が聞くと、ヒカルが照れながら説明してくれる。
「…それは、『魔法の鞄』だ。私の持っているポーチよりも収納出来る容量が大きくて、使い勝手もまずまずだ。…その、以前欲しいと言っていただろう?」
確かに、以前『いずれは俺も一つは欲しい』と言っていた気もするが、まさか本当に手に入るとは…。
…って、もしかして…。
「今日、露店で見ていたのはコレだったのか!?」
「…そう。こういった魔法の品はあまり市場に出回ることが無いから、運が良かった」
「でも、高いんじゃないのか?」
銀貨15枚だったような気がする。かなりの大金ではないのだろうか。少し心配になって聞いてみると、
「騎士団からの報酬が、思った以上に良かったんだ。グレイベアの討伐だけでも銀貨三十枚程が相場だが、護衛の報酬にも大分色を付けてくれたようだ」
そう言って、俺を安心させるように笑ってから、俺の取り分を渡してくれる。
だが、その報酬より何より、彼女の気遣いがとても嬉しかった。
「その、本当にありがとうな。凄く嬉しい」
「アキトに喜んで貰えて、私も嬉しいよ」
そう言って、互いに笑い合う。
彼女の笑顔を久しぶりに見た気がして、もっと嬉しくなる。
そんな事を考えていると、どうやら安心して気が緩んだのか、お腹が大きな音を響かせる。
その大きな音に、ヒカルは吹き出しながらこう言った。
「では、少し遅いがお昼を食べに行こうか」
「ああ、そうしよう!」
そう言って、俺達は大通りの屋台に向かって行った。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
夕日が沈んでいく。その様子を俺は宿の部屋の窓から眺めていた。
真っ赤に染まったノーレの街並み。空にはケープの綿毛がフワフワ飛んでいて、とても幻想的だ。
リビングのソファーではヒカルとシノが遊んでいる。傍から見る分には、まるで子猫が二匹じゃれ合っているようだ。見ているだけで、頬が緩んでいるのが分かる。
それを横目で見ながら、俺は考えていた。俺はこれからどうしようか、と。
ヒカルの研究に協力する。これは既に決定事項だ。いまさら、「世話になったな!じゃ!!」と言って分かれられる筈も無い。
では、彼女の研究の協力が終わったら?
その時はどうしよう?元の世界へ帰る方法を探す?それも悪くは無いが、心配なのはそれまでに「帰りたい」と云う気持ちが残っているかどうか、だ。
正直、自信が無い。だって、既にぐらついている。今目の前に元の世界への扉が現れたとしても、俺はそれをくぐる事は無い、と断言できる。
もちろん、元の世界には家族が居る、友人が居る、こちらには無い絆が有る。
しかし、それはこちらとて同じなのだ。ヒカルやシノとの絆を捨てる決断が出来るかどうか難しい。
今でさえそうなのだ、時間が経てばどうなるかなど論ずるまでも無い。
今俺がしようとしているのは、この世界で生きていく『覚悟』では無く、この世界で生きていく『決断』だ。
引き返す事は出来ないだろう。
だが、今この時、元の世界に帰る方法が無い以上、俺は『決断』しなければならない。
ふー、と深呼吸する。
考えを切り替える。
望んで連れて来られた世界では無いが、それは元の世界も同じ事だ。望んで産まれた訳では無い。もちろん、産んでくれた両親や祖先には感謝している。
けれど、条件は同じなのだ。あちらにせよ、こちらにせよ。
ならば、出来る事を精一杯やって行けば良い。それが、『生きる』と云う事だ、と思う。多分。俺はまだ二十歳にもなっていないのだ、悟ったような事を断言できる訳じゃ無い。
それに、この世界も悪い所では無い。もちろん、獣人の差別や魔獣など、問題も色々有るが、言ってしまえばそれだけだ。俺は獣人を差別するつもりなど無いし、魔獣に関してもそうそう負けるつもりは無い。
強いて言えば、元の世界の漫画や小説の続きが気になったりするだけだ。それも、その内忘れてしまうだろうが。
とりあえずの目標は『目の前の事を精一杯やる!』これに尽きる。
そう言って、俺は後ろ向きになりがちな自分に喝を入れ、リビングでじゃれあっている二人に声を掛ける。
「ヒカル、シノ?そろそろ夕飯にしようか?」
その声に二人が反応してくれる。
「ああ、そうだな。私もお腹が空いたよ」
「ご飯~、ご飯~♪」
そんな二人の様子を微笑ましく思い、あっさりと『決断』を下してしまうアキトだった。
「今日は肉の気分だな」
夕食の。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
夕食が済むと、丁度温泉の予約時間になった。
「ヒカル、そろそろ温泉入れるから行っておいで」
ヒカルに声を掛ける。しかし。
「…ん?アキトは一緒に行かないのか?」
不思議そうな声で聞いて来る。
「ああ、俺は大衆風呂の方を使うから。今の時間は人も多いだろうし」
「なら、貸切の方に一緒に行けば良い」
「………。ヒカルさん?貸切風呂の方は男女に分かれて無いから。所謂混浴だから」
そう、貸切は男女別では無いのだ。まあ、理由は推して知るべしだが。
しかし、それに答えるヒカルの言葉は俺の予想を超えていた。
「だから?言っただろう、アキトに遠慮されては私の立つ瀬が無いと。それに、私が一人で入っている時、間違って誰かが入ってきたらどうする?私一人でその場を誤魔化せ、とでも?」
「………」
若干、苦しい気もするが、確かに彼女の言う通りだ。それに、入って来たのが女ならまだしも、男なら俺はそいつらを殺しかねない。
いやいや、待て待て。なんか今、発想が飛躍したぞ?ここは冷静に行くんだ!
なんとか思考の立て直しを図る俺。しかし。
「私はアキトに感謝しているんだ。背中ぐらい流させて欲しい…」
そんな上目遣いの彼女の言葉に、一も二も無く頷いていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
温泉は露天では無かったが、よく磨かれたタイルが敷き詰められた豪奢なものだった。
その圧倒的な広さに、俺はしばし口を開けて立ち尽くす。
それはどうやら、隣のヒカルも同じらしい。ちなみに彼女は備え付けの湯浴み着を着ている。安心したような、残念なような、何とも言えない気分になる。
「ですよね~」
ついつい口に出てしまった。
「とにかく、温泉に入る前に身体を洗おうか」
そう言って、ヒカルを促し手桶で身体を洗って行く。自分の身体を一通り洗った俺は、シノの身体を洗ってやる。
なるべく、ヒカルの方を見ないように手元に集中して、気持ち良さそうに身体を洗われるシノの羽根の付け根まで丁寧に洗ってやる。
そうしていると、後ろからペタペタとヒカルが近付いてきたようだ。どうしたのか、と振り向いたその瞬間。
―――ギュン!!
そんな擬音がしそうな勢いで、首を元に戻す。それはそうだろう。一瞬見えた彼女は頭から水を被って、湯浴み着はぴったりと彼女の身体に張り付いて、それはもうエロ……じゃない、エライ事になっていた。
「背中。流す」
どうやら、さっきの言葉通り、俺の背中を流してくれるらしい。
別にスルーしてくれても良かったのだが…。
「あ、ああ。頼むな」
それでも、断るのは悪い気がして、若干裏返った声で返事をする。
それを確認してから、彼女は木綿のタオルで俺の背中を洗ってくれる。タオル越しに伝わって来る彼女の掌の感触がやけに鮮明に神経を伝って、脳に響く。
その力加減は強すぎず、弱すぎず。なんとも心地好い。その一方で、同年代の少女が自分の背中を流してくれると云う、非日常的な状況に、よからぬ妄想が湧いてくる。
そんなピンクオーラに支配されかかる意識を振り払うために、俺もシノを洗う事に専念する。心頭滅却。
さあ、全国男子諸君。俺を崇めたまへ。君達の祈りこそが俺を救うんだ!
そんな事を考えながら、作業を続けていると、どうやらヒカルが背中を洗い終わったようだ。手桶で俺の背中に湯をかけてくれる。
それに心底ホッとしながら、ヒカルに礼を言う。
「ありがとな!ヒカルは先に湯に浸かっててくれよ」
そう言って、ヒカルを遠ざけようとするが。
「…ん。その前に私の背中も流して欲しい」
そうは問屋が卸さなかった。そんな問屋はいつか不良在庫を抱えて潰れてしまえ。
って云うか、ヒカルさん!?なんでそんなに積極的なの!?逆に怖いよ!
けれど、彼女の頼みを断る訳にもいかない。下心が無いかと言われると、嘘になるが。
だって 男の子 だもの アキト。
シノの背中を洗い終えた俺は、ヒカルの方を向く。
けれど、ヒカルの背中は湯浴み着で覆われている。どうするのかな?と思っていると。
―――スルリ
またもや、そんな擬音が聞こえてきそうな色っぽさで、ヒカルの肩から湯浴み着が腰まで落ちた。そして、綺麗でスベスベなヒカルの背中が露わになる。
ここで、鼻血を吹かなかった俺を誰か褒めて欲しい。よくやった、と。お前は漢の中の漢だ、と。
ヒカルの肩まで掛かる黒髪は既に、これまた色っぽく首筋に張り付いて、水滴を滴らせている。
俺はその光景になるべく焦点を合わせないようにして、タオルで彼女の背中を丁寧に洗う。強過ぎず、されど弱過ぎず。最大全速で。
まるで拷問のようなひと時。まさしく天国と地獄。
そうして、ようやく彼女の背中を洗い終えた俺は、手桶でヒカルの背中に湯を掛けてやる。
「ん。お終い。じゃあ、湯に浸かろうか」
そう言って、彼女が湯浴み着を着直している間に、そそくさと逃げ出す。
俺はシノを連れ立って、少し熱めの湯にゆっくりと浸かって行く。先ほどまでの緊張状態も相まって、最高に気持ちが良い。ついつい「はふ~」なんて音が口から漏れる。
そういえば、この世界に来てからというもの、風呂に入ったのはこれが初めてだ。
いつもは、お湯で濡らしたタオルで身体を拭くだけだったからなぁ。
シノもどうやら温泉が気に入ったようだ。
「アキト!気持ちいい~ね!」
そう言って、俺の膝上で首までしっかりと湯に浸かっている。
俺はシノの鼻や口にお湯が入らないように、膝の高さを調節してやる。
そんな事をしていると、どうやらヒカルも湯に浸かって来たようだ。水面が大きく揺らぐ。
そして、湯に浸かったままこちらに近づいて来るヒカル。
えっ!?こっち来る!?ちょ、待っ!?
突然の事に混乱している間に、ヒカルは俺の隣まで来て、そこに腰を落ち着ける。ちゃんと湯浴み着を着ているのに、所々肌色がチラチラして、全身の血液が沸騰してしまう。
やばい、このままじゃのぼせる…。
内心かなり焦っている俺を他所に、彼女は話を始めた。
「…気持ちいい。こんな大きな温泉に入ったのは初めて」
それは他愛のない内容のはずなのに、俺の心にズキリと刺さる。
「それもこれもアキトのおかげ。ありがとう」
「…別に、お礼はいいよ。むしろ感謝しないといけないのはこっちだし」
「…ううん。それでも、ありがとう。私を一人の『人間』として扱ってくれて」
「それこそ、礼を言われる事じゃない。当たり前の事だと思ってるだけだよ」
「…そう。私達、獣人も同じ『人間』。そんな当たり前の事ですら、この世界じゃ当たり前じゃ無いから」
「………」
そんな彼女の言葉に、俺は黙り込んでしまう。そんな彼女たちに何もしてやれない自分の無力さが虚しい。
そんな空気を感じたのだろう。俺もヒカルもしばらくその静寂に身を任せる。
シノはどうやら早くも泳ぎを覚えたようで、広い湯船を楽しそうに泳いでいる。それが少しだけ心を洗ってくれる。
しばらくして、ヒカルが湯船の中の俺の指に自分の指を絡めてくる。
それに、ドキリとしてしまう俺に向けて、彼女は真剣な様子で言葉を紡いで来る。
「…アキトは私を『人間』として扱ってくれるから。私もアキトを一人の『人間』として頼みたい事が有る」
「…?」
「…私の研究に――ううん。私の目的を果たすのに協力して欲しい」
「?そのつもりだけど…?」
何をいまさら当然の事を聞いているのだろう。もはや、彼女の事は他人事では居られない。居たくないのだ。
そんな俺にの言葉に、少し微笑んでから、首を左右に振る。
「違うの。確かにアキトは私の研究に協力してくれる、と言ったけど、その竜の研究は私の目的を果たす為の手段でしか無い」
「どう云うことだ?」
彼女の言っている事が分からず、彼女の方を見てしまう。
やばい、肌色が!と思ったが後の祭りだ。
しかし、その目線は彼女の真剣そのものの瞳に縫い止められてしまう。ヒカルの琥珀色の綺麗な瞳が俺の視線と交錯する。
「私は竜の研究をしている、と言った。けれど、それは正確じゃない」
「?」
「私は、『死の霧』と呼ばれる現象に付いて研究している」
「『死の霧』?」
初めて聞く言葉だ。言葉のニュアンスから良い意味の言葉ではなさそうだが。
「以前竜が死ぬには、二つの方法が有ると前に話した。だが、実際にはあともう一つ有る」
「それが、『死の霧』ってやつなのか?」
「そう。『死の霧』とは数十年に一度の周期で現れる現象の事。真っ黒な霧状の『何か』が竜に取り憑いて、それに盗り憑かれた竜は死んでしまう。その正体は謎。『微生物の群れ』だとか、『自然死する際に竜が放つ何か』だとか、『何かの超自然的エネルギー』だとか言われているが、それを突き止めた者は居ない」
そこで、一旦言葉を切る。
「ただ、言える事は、その『死の霧』に包まれた竜は、一年間苦しみ抜いて死ぬ。それだけ」
「なっ!?」
一年もの間、苦痛に苛まれ、その果てに死んでしまうなんて…。残酷過ぎる…。想像しただけでも恐ろしい。
「昨日あの騎士に、この世界には戦争が無いのか、とアキトが聞いた時、『そんな余裕は無い』と言っていただろう?」
「ああ。でもそれと、今の話がどう関係するんだ?」
「『死の霧』に包まれた竜は一年間苦しんで死ぬ。だが、苦しみのあまり竜はその身でのた打ち回り、暴れまわる。それを討伐するために、人間により討伐軍が編成されるんだ。それこそ戦争でもするかのような――な」
そうだったのか…。そう云えば、ヒカルも以前「竜を討伐するには何万人という犠牲が出る」と言っていた。その時は単なる例え話だと思っていたが…。
けれど、何か違和感を感じる。竜は人間の守護者じゃなかったのか?そんな疑問に突き動かされ、ヒカルに尋ねる。
「他の竜は何をしているんだ?同じ竜の問題だろ!?」
「竜達は『死の霧』には近付かない。理由は『感染るから』と言われているが、確かな事は誰も知らない。ただ、竜達は『死の霧』に侵された同族を永く苦しませないようにするために、人間の手によって殺してもらうんだ。そのために竜達はその『縄張り』の中に人間達を住まわせ、守護している」
あまりに人間側に都合の良さ過ぎる「領域」。その裏には、そんな共生関係が有ったなんて…。
って待てよ…。
「もしかして、その『死の霧』がもうすぐ出る時期なのか!?」
もしかしたら、俺はその為にこの世界に呼ばれたのかも。そんな恐怖を抱いてしまい、ヒカルに問う。
しかし、ヒカルは首を横に振った。
「それは無い。『死の霧』は五年前に既に出現している。次に現れるのは、また数十年後」
「…そうか」
ヒカルの言葉にホッとする。そんな怪獣大決戦をやらされる為だけにこの世界に連れて来られたとか嫌過ぎる。
しかし、それだと先ほどのヒカルの言葉の真意が分からない。
「じゃあ、ヒカルが『死の霧』について研究してるのは何故だ?」
「それは――――」
彼女は一度そこで口籠り、意を決したように語り始める。
「私はその『死の霧』を討ち払う方法を探している。否、正確には打ち倒す方法を探している」
僅かな語意の差。しかし、その時の俺には意味が分からなかったのだが。
「その為に、アキト。貴方の力を貸して欲しい。私にはアキト以外に頼れる人物が居ないんだ。頼む!」
「………」
『死の霧』、彼女の目的、この世界の仕組み、そうした色んな物が俺の頭の中をグルグルと回っている。思考が追いつかなくて、即座に返事が出来ない。
その様子に彼女はなにを勘違いしたのか、懇願する調子を強めて頼んで来る。
「確かに危険も多い。それにこの世界の者にとって、『死の霧』は禁忌だ。アキトの命だって危険に晒してしまうかもしれない。けれど、頼む。私は貴方に頼る他無い」
「………」
「報酬なら十分払う!私の全財産でも!」
そういう事では無いのだが…。
「それでも足りなければいくらでも増額して良い!」
だから、違うんだ!と言おうとする俺。けれど、彼女はそれすら勘違いをしてしまったようだ。さらに、必死になって言い募る。
「それでも足りないと云うなら―――」
彼女の言葉が途切れる。
そして唐突に、湯船からゆっくり立ち上がるヒカル。彼女は俺の正面に向かい合うように立つと、ゆっくりとこちらに身を預けて来る。細い腕を俺の首に巻きつけて、身体を密着させて来る。
彼女の柔らかな感触が、湯浴み着越しに伝わって来る。
俺の鼓動と彼女の鼓動。それらがほんの数㎝の距離に在る。それが何だか奇跡のようにすら思える。
あまりの自体に俺の思考回路は既にオーバーヒート状態だ。身体を動かす事も出来ず、目を白黒させる事しか出来ない。
そんな俺に、彼女の甘美な囁きが、耳元から聞こえてくる。
「それでも足りないと云うなら、私の『命』を差し出そう。私が持つ物の中で、最も価値の有る物だ。それを貴方に差し出そう。煮るなり焼くなり好きにしてくれて構わない。私は『死の霧』さえ消す事が出来るなら―――――」
そう言って、俺を誘惑してくる。これは昨日のアレとは違う。彼女の必死さが、痛いほど伝わってくる。
だがしかし、そこでヒカルの言葉は遮られた。
誰かが、彼女の頭をゆっくりと撫でたからだ。
その時の俺は恐ろしいほど冷静だった。ヒカルの身体がピッタリと己の身体に密着しているにも関わらず。おそらく、思考が過剰運転するあまり、勢い余って一回転してしまったのだろう。
そして俺の手は、何かを言い募る彼女の頭を、まるで子猫にそうするようにそっと撫でていた。
ゆっくりと紡がれる、俺の言葉。
「…良いよ。タダで受ける」
「なッ!?けど、それでは―――!!」
まだ何事かを言いかける彼女の言葉を遮る。
「良いよ。『友達』だろ?」
「え?」
彼女の不思議な声。
それを、可愛らしい、なんて場違いな感想を抱きながら答える。
「良いよ。『友達』が命を賭けるって言ってるんだから、俺も命を賭けるよ」
そっと、ヒカルの触り心地の良い髪を撫でながら、囁くように言う。
「それに、ヒカルにはまだまだ恩が一杯有るからな…。まずはそっちを返して行かないと」
「そんな!?恩なんて無い!」
「ヒカルには無くても、俺には有るの。だからタダで良いよ」
その言葉に、腕の中のヒカルが泣いてしまう。そんなつもりじゃ無いのに…。
涙目の彼女がこちらを睨んで問うてくる。
「…貴方は…馬鹿か?」
「かもね~」
彼女の言う通り、本当に俺は馬鹿だ。こんな魅力的な提案を蹴って、ロハで働こうなんて。
けど、そうするのが正しい事に思えてしまったんだ。だからこれはきっと仕方が無い事。まあ、馬鹿である事には違いない。
「貴方は馬鹿だ…」
「俺も丁度今知った所だよ…」
そう言って、涙を流すヒカルを俺はいつまでもあやし続けた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
涙が流れる。彼にだけは見せたく無かった、この姿。
けれど、今は、今だけはどうしようも無い。
私は自分の目的を話したら、きっと笑われるか、拒絶されるかのどちらかだと思っていた。けれど、本当の目的を話さないまま、彼と共に旅をする事なんて出来そうに無かったから。だから、私は拒絶されるのを覚悟して、彼にこの話をした。
けれど、拒絶される覚悟は有っても、彼と離れる覚悟なんて出来なかったから。
だからこそ、私は私に出せる全てを報酬として差し出した。
それ以外に彼を繋ぎ止める方法が無いとばかり思って。
けれど、彼はそんな私に言ったのだ。こんな無茶苦茶な目的を掲げる私を笑うでもなく、拒絶するでもなく。
ただ、
「『友達』だから良いよ」
――と。
私には『友達』が居た事なんて無いから、それが本当にリスクと釣り合う物なのか、分からない。
否、明らかに釣り合っていない。それくらい想像が付く。
けれど、彼は全く悪びれ無く言ったのだ。「命を賭ける」と。
それが口だけならどれだけ良かっただろう。
けれど、決して嘘じゃないから。『私の前では自分を騙さない』と言ってくれた彼だから。それが、本当の本当だと分かる。
だから、私はただ涙を流して謝るしか無いのだ。それ以外に彼に報いる方法を私は知らなかった。彼にしてみれば、謝られる理由なんて無い、と言うだろうが。
そんな私の頭を彼の掌がゆっくりと撫でる。
友達。友達。友達、友達、トモダチ――――
たったそれだけの言葉なのに。ただの単語のはずなのに。
(どうして、こんなにも私の心を満たして行くのだろう?)
彼女はただただ涙を流し続ける。青年の腕の中で。優しく、穏やかな手が彼女の髪を撫でるのを感じながら。
――――けれど。
けれど、彼に『友達』と言われた時。嬉しさと同時に、胸の中を駆け廻った焦燥感にも似た『何か』は何だったのだろう?
その答えを未だ彼女は持ち合わせていない。
「ヒカル?そろそろ離れてくれないと、理性がアレして、男子のアレがアレするんですけど…」
「…もうちょっと、このまま…」
「えぇ!?色々と危ないですよ!?」
「…ダメ?」
「そんな目でお願いしないでーー!!」
「………」
「あれ?ヒカルさん?」
「………」
「ヒカルさん?ヒカルさ――ん!?」
「………」(スヤスヤ)
「寝ちゃってるよこの子…」




