第1節
ここから、一話一節扱いとなります。
第1節
それは死にかかっていた。
肩から流れる血に残り僅かな命を削られながら。
訳も分からぬまま、その命の炎を燃やし尽くして。
トサッ、とその身体が未だ冷たい空気を纏う夜明け前の森に投げ出された。
逃げて、逃げて、逃げて、逃げ切ったかどうかも分からず、ただひたすらに逃げて。
逃げて、逃げて、逃げて、その小さな身体から命が失われていくことすら分からず、逃げて。
そして今、それは力尽きようとしていた。
その時、その身を照らすように朝日が射す。
否、夜明けはいまだ遠く、森は静かに冷たいままだ。
しかし、その『銀色』の光は夜明けの気配すら届かない森の中にあって、それの身体を柔らかく、優しく、穏やかに照らし出す。
その光に包まれながら、ゆっくりと意識を失った。
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バリッ、バキッ、メシッ、ドンッ!
一瞬の無重力状態の後、植物の枝が折れ、その下にあった枝を突き破り、太い枝に勢いを殺されながら、尻から地面に着地する。
そんな最悪の方法で目が覚めた。
「…ッ!……~ッ!」
突然の(しかも睡眠中の)出来事に、受身も取れず地面に叩きつけられる。痛みよりなにより驚きが先行し言葉が出ない。必死に状況を把握しようとして、ふと思い付くものがあった。
(これは、あれだ、またあの2人か…)
以前寝坊したときに祖父に喰らった「愛の鞭キック!」に違いない…。朝に弱い訳ではないが、昨日のような激しい鍛練の後はたまに寝過してしまう事がある。一応学生の身である彼にとって、寝坊は大きな敵だ。
だからと言ってこんな理不尽な起こし方が罷り通るとは思わないし、思いたくない。
クラクラする頭を振りながら、自分の身体を見る。
どうやら、窓を突き抜けて庭の盆栽群に突っ込んだらしい。体のあちこちに植物の葉や小さな枝が付く、というよりむしろ「突く」勢いで付着している。それなりに痛い。
「年甲斐もなくいきなり蹴りはやめてくれ、じいちゃん…」
いまだ覚醒しきらない頭でなんとか言い返す。
――が。
いつもならすぐに聞こえてくる、「たわけッ!たるんどるッ!」といった類の罵声が飛んでこない。
あれ?と不審に思いながら辺りをみると、自分の家の庭とは似ても似つかない場所であることに気付く。林…というより森と言って差し支えないほどに木々が生い茂っている。自分が先ほど突き破ったのはその内の一本のようだ。
まだ夜明けの気配は遠く、鬱蒼とした森をひと際不気味に見せている。
混乱する頭でなんとか現状把握に努めようとする。「また祖父と父による「鍛練」という名の無茶振りか?」とも思ったが、鍛練のその性質上、自分の家の敷地の外で行われた試しは一度たりとてなく、こんな山籠りのような真似をさせられる覚えが無い。
若干混乱しつつも辺りを見回すと、繁雑に生える木々の暗闇の中でわずかな枝の隙間から射しこむ月光を浴びて美しく白金に輝く『何か』が居るのに気付く。
猫ほどの大きさの生き物であったが、よく見るとその肩から血を流しているのが見える。
小動物が大好きな俺は毛が逆立ち、何故か、後で思えば本当に不思議なのだが、何故かその時の俺はその生き物をどうしても救わなければならない、という強迫観念にも似た激情に突き動かされていた。
咄嗟に寝巻にしていた作務衣の下のシャツを脱ぎ、それを細かく裂いて簡易な包帯を作り止血しようとする。自分の傷はある程度は自身で手当てしていたため、僅かではあるが応急処置の知識はあった。
だが、それまでに相当量の血を流しているようで体温も呼吸も弱弱しい。包帯もみるみる血の朱に染まっていく。明らかに傷が深すぎて応急処置程度の知識では対応しきれない。
「傷が深すぎる…!」
呻くように呟く。
今にも消えてしまいそうな小さな命を抱えたまま、見る間に失われてゆく命の炎を腕に抱きかかえた状態で茫然としてしまう。
どうしよう、どうしよう、と年甲斐もなく泣きそうになりパニックになりかけていたその時。
――ペロリ
その小さな舌が抱きかかえていた俺の手を舐めた。
それはあまりに弱弱しく、けれど俺にその命の温もりを伝えるのに充分な温かさをもって、語りかけてくる。訴えかけてくる。
どうやらそれはさっき盆栽に突っ込んだ(と思った)時にできた傷から流れている俺の血を舐めているようだった。
不思議と嫌悪感は無く、むしろ「生きたい、生きたい」と必死に伝えようとしているように感じられ、愛おしさが込み上げてくる。
この子を救いたい、救わなきゃ、救うんだ。
裸足だった足に包帯を巻きつけただけで、ただその想いだけでどこかも分からないそこから走り出す。
とにかく獣医さんか、それが居なければ医者。とにかくこの子を救うための知識を持った奴を見つけなければ。
夜明けを前に彼は駆け出した。
改めて読むと何やら不思議な感じがしますね。