第16節
イジメ過ぎました。暖かく褒めてあげてください。
第16節
ヒカルが言った「罰」。それが執行されたのは何の冗談か、その後しばらくしてからだった。
プチウルフを撃退した俺達一行は火竜の国への道を進んでいた。そんな俺の耳にその音が飛び込んで来たのは、日も沈みかけた夕暮れ時だった。
――――ガキッ、ガンッ!!
なんだか、鉄が何かにぶつかり、削れるような音。それは道のかなり先から聞こえてくる。
それをヒカルに告げると、彼女は怪訝そうな顔をした。
大竜脈路であるこのスチム街道で魔獣が出没するのは本当に稀であるらしく、それが一日に二回も続けばそんな顔になるのかも知れない。
そう思いながらも、注意しつつ歩をすすめているとワイワイ、ガヤガヤと人の声が聞こえてくる。いや、実際にはそんな和やかな物ではなかったが、人がある程度集まって声を上げると大体そんな風に聞こえるものかもしれない。
とにかく、この道の先からは鉄の削れるような音と、ワイワイガヤガヤと云った怒号と悲鳴が聞こえって来た。
そう、怒号と悲鳴だ。
しかし、今この街道には人は居ないはず……、ってもしかして…。
「騎士団が襲われてるのか!?」
どうやら、プチウルフから逃げた時に随分彼らとの距離を縮めてしまったらしい。若干面倒臭いものを感じるが、どうやら騎士団は劣勢に立たされているらしく、聞こえてくる声は悲鳴の色が強くなる。
どうやら、見て見ぬふり――もとい、聞いて聞かぬふりは出来そうにない。
それに、―――
「確か、次に出てきた魔獣は俺一人で倒さなきゃならないんだったよな?」
「…ん。是非とも」
そう言って、賛同してくれる。
彼女だって、あの騎士団(というか、あの傲慢な騎士)には良い思いなど無いであろうに、それでも『同じ』人間を見捨てるのは後味が悪いのだろう。
そう言ってくれるヒカルを内心嬉しく思いつつ、俺はシノをヒカルに預けて街道を独り駆けだした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
それは、絶望的な戦いだった。
敵の名は「グレイベア」。その名の通り、灰色の毛並みを持つ大型の熊の魔獣だ。
特殊な魔術や毒さえ使わないものの、その3メートルを超す巨体から繰り出される一撃は単純であるが、その威力たるや鎧の上からでも『我々』の命を奪うに十分だ。
本来、森の奥深くに生息しているはずのこいつが、何故大竜脈路であるスチム街道のこんな表層まで出てきたのかは分からない。だが、現実の脅威としてソレは目の前に在るのだ。
幸いにもまだ死人は出ていなかったが、奴の一撃を不用意に盾で受けてしまい片腕を折られてしまった者も何人かいる。
そもそも、此処に居るのは今回の野盗討伐に派遣された全員ではない。
既に隊長、副官を含め半数近い、謂わば貴族のボンボン共はとっくに逃げてしまった。「街道の安全を守る」という自分達の義務も役割も投げ捨てて。
別に命を大事にする事が悪いという訳では無い。大事にする方法が問題なのだ。
そもそも、こんな時の為の騎士であり、こんな時に逃げだすのであれば何故騎士になどなったのだろうか。その外面だけを取り繕った見栄が、嘲りを生んでいると何故彼らは気付かないのだろうか。
そんな事を考えながら奴の腕の一振りを盾で受け流す。
現状、なんとか攻撃を凌げてはいるのだ。こうして戦いの最中に愚痴をこぼせる程度には。ただ、こいつに止めを刺せる方法だけが欠如していた。
このままではジリ貧だ。いずれ奴の攻撃を受けそこなった者が腕をやられ、防御に徹する人数が一定を下回れば、我々の陣形は瓦解するだろう。
さりとて、いまさら背を向ければ犠牲が出るのは避けられない。
ここに残ってくれたのは全員平民の出ながらも、この街道の、ひいては火竜の国の安全を必死に守ろうとしてくれる『同志』だ。誰一人として死なせたくは無い。真っ先に逃げ出した腰抜け共ならまだしも。
彼らは互いが互いを庇い、必死に熊の一撃に抗う。恐怖に足をすくませながらも、その使命感だけを頼りにその場に留まり続ける彼ら。私は彼らを尊敬する。
私は弱小ながらも貴族として生まれ、貴族として厳格に育てられてきた。貴族としてこの国に命を捧げるのが私の義務だと教えられて。
しかし、彼らは違う。彼らは平民でありながらこの国に騎士として命を捧げる覚悟を決めた者たちだ。その覚悟、その命、こんな所で無駄に散らせる訳にはいかなかった。
それこそが、私の義務だ!!
その覚悟を持って一歩前に出る。そして彼らに告げる。
「この場は私が引き受けた。君達は素早く撤退を――――」
そう、言いかけたその時だった。
「ちょいと、借りますよ~」
そんな場違いな間延びした声が聞こえたのは。
そして、いつの間にか私の兜が外される。
開けた視界に飛び込んできたのは、黒いマントにフードの男。昨日この街道の先で焚火をしていた男だった。
その男は私から奪った兜を、ヒラヒラチラチラと振り始める。
それを見たグレイベアはまるで何かに操られるように彼のその仕草に視線を釘付けにしてしまう。彼はそれを確認してから、兜を放し、大きな音を立てて両手を叩く。
すると、弾かれたように熊がその男に飛びかかって行ってしまった。
遠ざかっていく、男と熊。
私は安堵から、腰を抜かしたようにへたり込んでしまったのだった。情けなくも。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
騎士団に追いついた俺は、その光景に目を見張った。
既に半数が逃げ出してしまったのだろう、騎士の数は昨日の行軍時とは比べるべくもない。
しかし、何より驚いたのはその場に留まっている人間が置き去りにされたのではなく、自分の意志でここに残っているという事だった。その証拠に、この場の誰からも悲壮感を感じない。ちょっと見直した。
彼らが戦っていたのは全長3メートルを超すであろうと云う、巨大な熊であった。
なんとか熊の攻撃を凌げてはいるようだったが、有効な攻撃手段が無いらしく防戦を強いられており、彼らが崩壊するのも時間の問題だろうと思われた。
そのとき、一人の騎士が一歩前に歩み出る。明らかに囮になるつもりだ。
「あんたの命の価値を俺が勝手に量る訳にはいかないけど、それでも粗末にして良いもんじゃないだろ!?」
そう言い、スピードを上げる。
「この場は私が引き受けた。君達は素早く撤退を――――――」
何事か言いかけた騎士の言葉を遮るように言葉を重ねる。
「ちょいと、借りますよ~」
そう言って、彼の兜を拝借する。
それを、マントで隠しながら熊の視線の端でモールス信号のように振り始める。これも「語」の技の一つ、相手の視界を騙す「不眼」。
本来、身に纏う物の色や、自分が背にする背景の色などを使って自分の行動から目を逸らさせる技であるが、それを応用すればこのように相手の注意を引く事も出来る。
最初は無視していた熊だったが、次第に視界の端でチラチラ動くそれに我慢できなくなったのか、こちらに注意を向ける。気分はハエを払うような感じだろう。実際これをやられると本当にイライラする。
熊の注意がこちらに向いたのを確認した俺は、兜を放り投げ両手を大きく打ち鳴らす。
それまで完全に兜に注意が行っていた熊は、突然の音に驚き、今度は俺に注意を向けた。
(よし、じゃあここから離れますか)
騎士の面々の安全を考え、この場から離脱する。熊もそんな俺を追いかけてくる。既に俺以外は目に入っていない。
熊は時速80kmで走れると昔テレビでやってた気がするが、成程なかなかに速い。あまり距離は稼げないだろう。十分に騎士団との距離を開いた俺は足を止め突進してくる熊に向かい合う。素直にこの突進を受けていたら身が持たないので、サッと半身になりその勢いを受け流す。
俺を通り過ぎた熊は慌てて止まり、上体を起こし俺と向かい合う。
先に攻撃を仕掛けてきたのは熊の方だった。身長と腕のリーチを生かした一撃が唸りを上げて俺に迫るが、俺は避けるまでも無い。熊は既に俺の術中にあった。
先ほどの相手の視界を騙す技、「不眼」。これは、「自分の身に纏う物の色や、背景の色を利用し相手を騙す技」だと言った。そして、今俺はヒカルに貸してもらった黒いマントを羽織っており、そして先ほどまで真っ赤に染まっていた夕日は完全に沈み、辺りは既に暗い。熊の攻撃は闇夜のカラスに鉄砲を当てるようなものだ。
予想通りに、熊の腕は俺の鼻先30㎝という完全に見当外れの場所を空振りする。熊の腕が目の前を通り過ぎるその瞬間。
(よっ、ほっ!)
通り過ぎる熊の右腕の肘と腕の内側の二点を突く。しかし、それは熊に何の痛痒も与えなかったようだ。構わず左腕を振るって来る。
しかし、またもや眼前を通り過ぎるその腕に対して、またも先ほどの右腕と同じ場所を突く。
(これで、よし。あとは結果を御覧じろ)
熊は二度も自分の攻撃が当たらなかったのが気に入らなかったのか、矢鱈滅多らに腕を振り回し始める。
時たま危ない所をかすめるそれを、俺はしばらく避け続ける。
そうしていると、徐々に熊の腕の動きが鈍くなってきた。おそらく、先ほどの仕込みが効果を表して来たのだろう。
段々と鈍くなる腕をそれでも振るっていた熊だったが、やがてダランとだらしなく垂れ下げたまま動かせなくなってしまったようだ。おそらく、腕がパンパンになっている事だろう。
先ほど俺が仕込んだのは、またもや「語」の一つ、血流を騙す「狂流」だ。
血の流れの極度に速い所と、鈍い所を作り、筋肉疲労を早める。
流石に腕を壊死させる事は出来ないが、しばらくあの腕は使えないだろう。
さってと。そう、さてと、なのだ。
熊は腕が使えなくなったせいで、振りまわし攻撃が出来なくなってしまっている。しかも、その顎で噛みつこうとするならば、その巨体を前屈みにする必要があるが、前足が動かないのでそれも出来ない。完全に「詰み」だ。
しかし、俺もこのままではこいつに止めを指す事はできない。
命がどうこう、では無い。それは前回ヒカルに言われているので既に割り切っている。
ただ、このまま「語」だけで戦ってもこいつは『殺せない』。
人を騙す「語」は、殺傷力をほとんど持たないのだ。「空耳」然り、「潰崩」然り、「不眼」然り、「狂流」然りだ。
本来、これらはフェイントの一種であり、完全に小手先の技だ。
この熊みたいな奴を倒すには、物を騙す「騙」、つまり奥義以上の技が必要だろう。
ならば、躊躇う必要はない。
『奥義』の開放を。
アキトはその唇からまるで口笛のような音を奏で始める。それは特殊な呼吸法を行う時に出る、謂わば唯の呼吸音だったが、その音色はまるで世界を幻惑するような響きを持っていた。
ピィ――――――、ピュ――――――、ヒュ―――――――
これこそが、アキトの扱う武術の奥義への「入り」の型である。
特殊な呼吸法によって練られた「気」がアキトの身体の一点に集まって行く。
物を騙す奥義「騙」。しかし、物には耳も目も血流も無い。
そんな、「物」を騙すにはどうすれば良いか。
答えは至極簡単。
『単純な要因による、単純な結果の誘導』
――である。
つまり、
ダッ―――
アキトの足が地面を蹴って疾走り出す。いつの間にか出ていた月によって映し出された二つの影が見る間に接近してゆく。
影が重なる一瞬、熊は最後の機会をモノにするためにアキトの影に喰らいつく。だが、そこにあったのは本当に影のみ。熊の顎から逃れたアキトは既に熊の懐深くにまで入り込んでいた。
そして、終幕宣告。
「拝無神流。奥義が一。『拳』」
淡々と告げられる、死刑宣告。
その瞬間、アキトの拳に集約していた「気」が熊の腹の「物質」に喰らいついた。
腰だめの型から繰り出される、綺麗な正拳突き。
それは、熊の皮を食い破り、内臓を食い千切り、背骨を噛み砕き、命を喰らい尽くした所で止まる。
奥義――「拳」。ただただ「物」を騙すために単純化された一撃。
あまりに強力な一撃を浴びた事により、物質はその本質を騙され、己の「在り様」を変質させられる。
アキトのこの一撃の前には、例え鉄の塊であろうともその本質を貫き徹せはしない。まるで粘土か何かのようにその身を抉られるだけだろう。
傷口からは一滴の血も流れてはいない。拳の周囲の物質は己の「在り様」を忘れ、静止してしまっている。
ゆっくりとアキトの腕が熊の身体から引き抜かれる。
それに合わせるようにゆっくりと地面へと沈んでいく巨体。
―――ドウッ
大地を揺らしながら完全に沈んだ巨体の下から、思い出したように血が溢れてくる。
その様子を、アキトは静かに佇み何も感じないまま、ただ見つめていた。
全く心が動かない。喜びも。悲しみも。
完全に心の防衛機構が働きアキトから一切の思考を遮断する。
そんなアキトに、一つの影が駆けよる。
ヒカルに預けていたはずのシノであった。
それに気付いたアキトは、縋るようにシノを抱きしめる。
固まっていた心から嗚咽が漏れだし、もう止まらなかった。赤子のように泣きじゃくるアキトの涙をシノが優しくなめる。
その仕草が、命の温もりが、自分のやった事を思い出させ、さらに涙が溢れる。
「お疲れ様」
労わるような、安堵するようなヒカルの声。
「本当にお疲れ様」
そう言って頭を撫でてくれるヒカルとシノの前で、アキトはいつまでも涙を流していた。
「殺したよ…」
「うん」
「命が壊れるのをこの手で感じた」
「うん」
「…やっぱり、言っておく」
「…うん?」
「命は大事。これ絶対」
「…うん」