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白銀のスコール  作者: 九朗
第三章『砂漠の華』
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第40節




第40節


「うわっ……、ぺっぺっ」


 アキトは口の中へと入り込んだ砂を、唾と共に吐き出した。同時に、赤の色が混じっている事に気付く。

 どうやら、転げ回っているうちに切ってしまったらしい。

 気楽な一人旅でよかった、とこの不様を見られなかった幸運に内心で安堵する一方で、さて、これからどうしたものかと低く唸る。


 状況は劣勢。明らかに劣勢。圧倒的に劣勢。


 そんな事を考えながらも、素早く体勢を立て直し、再び転がるように猪の突進をかわす。


「ただの一撃をかわすのに、数十m走らなきゃいけないって……どんなギャグだよ……っ!!」


 アキトの言う通り、現在この戦いは逃げるアキトとそれを猪が追い掛ける形となっていた。

 イメージで言えば、闘牛士だろうか。実際問題、《不眼》で相手の注意を引いてからこちら、とにもかくにも回避回避で、ろくに攻撃にうつれない。

 やっかいなのは、三点。相手の体積、速度、そして距離だ。


 まず、第一として体積が大き過ぎる。

 その質量からの突進の威力は論じるまでもなく、攻撃範囲の大きさが鬼畜過ぎる。

 先程アキトが愚痴たように、回避に数十mを要するのだから、たまったものではない。

 奥義《金剛》での防御も、表面的なものでしかないため、あの質量からの衝撃の前では意味を為さないだろう。以前、ナギの尻尾に吹き飛ばされたときの二の舞だ。

 故に、アキトの行動は回避に終始していた。


 次に速度。簡単に言おう。歩幅が違い過ぎる。

 アキトだって、全力を出せば馬以上のスピードで走る事だって可能だが、相手が新幹線並みのスピードではどうしようもない。

 あの巨体をそんな速度で動かしうる熱量が、一体どこから来ているのかは大いに謎ではあったが、文句を言っても目の前の現実が変化するわけではない。畜生。


 最後に距離。これは前述した速度とも関係が在る。

 猪の攻撃は突進一辺倒。とにかく突進。さらに突進。もひとつ突進。

 要は、近付いてきた次の瞬間には、上記の通りのスピードで遠ざかっていってしまうのだ。これがいただけない。

 回避後に、その後ろを『待てや、コラ――!』と追いかけて行ったとしても、追い付く頃には猪の方向転換と、再加速が始まってしまっているのだ。

 そうなれば、再びこちらも雄叫びをあげて回避行動に移るしかない。

 遠距離攻撃をもたない近接格闘キャラの悲しいところだった。


 八方手詰まり。手も足も出ないとはこの事だ。


「これを、爪と牙を出さずに解決するとか、無理ゲーだろ……」


 かといって、レオンに勝利するまでは縛りプレイを解く訳にもいかず。

 “さっさと体力無くなって、諦めて帰ってくれないかな~”

 と、半ば諦観気味の回避持久戦となっていた。


「わー、またきたー……」


 アキトの気の抜けた発声も意に介せず、再び猪が速度を上げてこちらへと走り込んでくる。

 その速度と、体積により周囲に軽い衝撃波と、へたしたらカインの風の魔術程度の威力がありそうな暴風をともなっている。

 走り抜けるそばから、巨大な木々がたわみ、草花は耐えかねたように四肢を散らす。


「でかすぎて、距離感つかみづらいんだよな……」


 それもまた、この猪のやっかいな所ではあるのだが…。

 アキトは全力で猪の右側へと回避行動を取る。当然、猪の方も軌道を修正してくる。

 最終的に、


「うおぉぉぉおぉお!?」


 半ば暴風に背中を押されるように―――というか吹き飛ばされるように、ギリギリの回避を続けるしかなかった。


「ぜぇぜぇ……」


 再び距離を離して行く猪は放置して、少しでも体力の回復に努めようとするアキトだが、その表情には疲労の色が濃い。

 体力的にはもちろんだが、


「……不毛だ」


 思わず本音が出るほどに、精神の方も疲弊していた。

 本気(爪と牙)を出せば勝てるのに、出してはいけないもどかしさ。

 ついでに、帰るのが遅くなれば遅くなる程に増す、女性陣の恐怖。

 《拝》の誇る、狂気すら乗りこなせる、いわば”超理性”をもってしても耐えられるものではなかったらしい。主に後者が。


「今頃、俺用の拷問機具とか造ってたりしないだろうな…」


 果てしなく、不安だけが降り積もっていった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――


「……どうやら、追ってはこないようですね」


 フーカは安堵と共に、詰まりっぱなしだった息を吐き出し、緊張でガチガチになっていた舵を握る手を緩めた。

 結局のところ、ヒカルの放った大規模な魔術が、敵の攻撃を防ぐと同時、良い眼くらましとなってくれたのが大きい。

 後方に、もはや点となりつつある黒い船影を見ながら思う。


「どうなるかと思ったが、なんとかなったな」


 放った本人がこんな事を言っているので、おそらく狙ってやったわけではない。

 偶然と偶然が重なり、なんとか逃げだせた、というのが正しい。

 なんとも情けない話ではあるのだが、同時にこれが今の私たちの実力でもあるのだ。


 《風竜走》の本戦まで、あと一週間。

 戦力としてアキトさんが加わるとしても、無策ではどうにもなるまい。

 残された時間を、いかにして有効に使うか。

 悩みは絶えない。


「フーカさん?」


 どうやら、額に眉根を寄せているのを心配してくれたらしいナギさんが声をかけてくれた。


「皆さんお疲れのようですし、今日はここまでとして街へ戻りましょう。疲れたまま頑張っても、良い結果が出るとはかぎりませんわ」


 『わたし(フーカ)が』、ではなく『皆が』と言ってくれる辺り、彼女は見た目通り心遣いのできる大人の女性、といった感じだ。是非見習いたい。

 その気遣いに感謝しつつ、同意の返答をする。


「そう……ですね。今日の所はひきあげましょう。《風取》と、それにおける問題点の確認ができただけでも収穫はありました」


「はい♪」


 ああ、笑顔が眩しい……。ただでさえ清楚で人外的な美人なのに、笑うとさらに輝いて見える……。ちなみに、その輝きはヒキコモリのMP(精神力)をガリガリ削っているわけだが。


「ム? もう帰るのか?」


 と、そんな私とナギさんの会話に食いついてきたのはヒカルさんです。


「はい。今日はここまでにしようと、ナギさんと相談していた所です」


「そうか。ならば、速く帰ろう。私は“アレ”をアキトが帰ってくるまでに完成させたい!」


「“アレ”ですか…?」


「ん? あぁ、そうか。フーカは船の整備をしていてくれたから、知らなかったな」


「はぁ…?」


 もしかして、アキトさんが失踪してからこちら、ヒカルさん、シノさん、ナギさんの三人で雁首揃えてこそこそやっていた『何か』の事だろうか?

 とりあえず、普段は無表情なヒカルさんが鼻をふくらませて、聞いて欲しそうな顔をしているので、聞いてみた。

 後でアキトさんに教えて貰って知った。こういうのを、『見えている地雷』と言うらしい。


「で、何を完成させるんですか?」


「フッ、もちろん”拷問機具”だ」


 一体、何をもって『もちろん』なのかは、わからなかった。

 それを問答無用で使用される当人アキトさんの為に、もう一歩踏み込んで聞いてみる。


「大丈夫……なんですか?」


 自分でも、一体何が『大丈夫』であるかを確認したいのかは分からなかったが、とにかく安全性を確かめてみる。

 ヒカルさんはどこか誇らしげに答えた。


「心配は無用だ! あの男はこの程度で死ぬようにできてはいないからな!!」


 とりあえず、安全性が皆無であることは確認できた。

 あと、相手を死に至らしめるのは拷問機具とは言わないのではなかろうか。


「で、結局なにを造っているんです?」


 胸中の不安と危機感は増す一方であったが、使命感だけを頼りに、嬉々としてその機具の素晴らしさを語る彼女に問いかける。

 その問いに、ヒカルさんの相貌からはふっと不自然に感情の色が消え、陰が差す。瞳からはハイライトが消えた。

 そして、ただ一言。短く、その機具の名称を口にした。



「―――電気椅子」



――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「アッカァァァァァァァァァ――――――ンッ!!」


 不自然な関西弁を叫びつつ、アキトはギリギリのところで突進を回避した。

 だが、そこに安堵感などは存在しない。

 在るのは。


「アカン……。あかん……っ!?」


 再び全身をくまなく、それこそ電流のように駆け巡る悪寒と予感と焦燥感。


「何故だろう……。この死地をくぐり抜けても、待っているのは死地の気がする……」


 広大な原野に、うちひしがれ両膝方肘をおとす少年が一人。

 これが映画なら、このまま日が沈み、暗幕が落ち、スタッフロール直行な絵面であった。もちろんバットエンドだ。


 だが、幸か不幸かこれは映画では無かった。

 同時に、幸か不幸かバットエンド超特急~地獄行き~に現在進行形で乗車(拘束具付き)させられていたが。いや、これは普通に不幸か。


「俺は……、俺はこんなところで死ぬわけにはいかないんだっ……!!」


 …………。


 最高にカッコいい台詞を、最高に緊迫した場面で言ったはずなのに、最高にむなしかった。


 そうこうしている間にも、イノシシはターン&チャージ。

 しかも。


「……げ、速っ!?」


 先程までよりも、明らかに速度を増して迫ってくる。どうやら、獲物アキトの精神的疲労を感じ取り、勝負に出たようだ。


 『避けきれない』。瞬時にアキトは結論を下した。同時に《秘義オオカミ》の使用の決断も。


「はぁ……、帰ってフーカに気持ち悪がれたら、お前のせいだからな……」


 ユラリ……、と倒身状態から立ち上がる。

 そして、勝負を決しようと猛スピードで迫るそれを正面から睨み据える。

 相手の大きさゆえに、遠近感が無茶苦茶で、まるで山が迫ってくるかのようだ。心情的にも、そして現実的にも避けようが無い圧迫感。


 覚悟を決め、《秘義》の発動へと移ろうとした――――その時だった。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 疾走するは、蒼の飛燕。


 髪は蒼銀。瞳は深蒼。装束すら蒼く染め抜かれている。

 蒼、蒼、蒼の一彩のなか、華奢な両手に握られた黒の大剣だけが禍々しい存在感を放っていた。

 その身に余る長大な剣を眼前に構え、しかし重さなどまるで感じさせない速度で飛ぶように走る。―――否、駆けるように飛ぶ。

 それは、彼女の持つ大剣が引き起こす奇跡の一端であり、それらを引き出すことが彼女にはできた。


 少女は思考する。

 今、カミの意識は一人の少年へと向かいきっている。

 横撃は容易い。タイミングによっては背撃だって可能だ。意味があるかどうかは別として。


 だが、そういった細かい事を考えている余裕は無いようだ。


 カミが今までにない加速を見せ、それを前にした少年が迫り来る圧倒的な死に対する覚悟を決めたのか、足を止めた。


 だが、それは困るのだ。彼には生きて、私達を人里まで連れて行って貰わなければいけない。

 生憎だが、その覚悟は踏みにじることになってしまうだろう。


 そんなことを考えながら、少女は祝詞を紡ぐ。


「―――《プライア式装剣術》!!」


 それに応えるように、剣が問う。


“―――術式、選択―――”


 出し惜しみは無しだ! 最大火力でその進撃を阻止する!


 ”叫ぶ”と言うよりは”発する”。

 ”詠唱”ではなく”祝詞”。

 ”歌”などという高尚なものではなく―――


「《封炎フランマ》アアアアアァァァァァァァッ!!」


 ”雄叫び”。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――


 アキトは、今まさに奥の手を引っ張り出そうと身構えた状態のまま、眼を見開いた。―――え、という間抜けな呼気とも呆気ともつかぬ音が口から漏れる。

 そこから先はまるでときが停まったかのように感じられた。実際、一瞬のあいだに起こった事だったのだが。


 巨大な猪は、猛然と砂埃を巻き上げ迫っていた。眼が血走り、眼前の獲物―――つまり自分なわけだが―――に一心どころか全心をそそいでいる。光栄と思うべきか迷惑と思うべきかは判断が着きかねるが。

 その横合い、猪の意識どころか視界の外側から、その凄まじい速度すら凌駕する勢いで飛来するものがある。

 蒼と黒のそれは、計算したかのように猪に対しほぼ直角の角度で激突する。―――瞬間、それは吼えた。吼えたというよりは啼いた。獣のそれではなく、禽獣を思わせるそれ。

 その咆哮を引き金とするかのように、彼女の持っていた無骨な黒の大剣は風を纏うのを止め、瞬時に暴力的なまでの熱を燈す。そしてその少女―――ここに至ってようやくアキトはそれが一人の少女の型を成していることに気付く―――は八相に構えたその剣を咆哮の余韻の歯ぎしりと共に、神速と言うべき速度で振り下ろした。


 少女の会心の一撃であったろうその一振りは――――



 ――――結果としては『相討ち』に終わった。


 ふりおろされた炎の大剣は、凄まじい衝撃を相手に与えはした。

 その巨大極まる熱量は、毛を瞬時に焼き滅ぼしはしたものの。

 もはや生物の『皮』と呼んだものか、ほとほと判断に困る程に堅牢な猪の表皮を裂く事はなく、剣の接触した周囲を炙るだけにとどまった。


 しかし、猪はその衝撃に耐えかね突進の軌道を大きく歪ませ、その巨大な体躯をアキトにかすめることすら叶わず、その脇を走り抜けていった。


 と同時、猪の纏う風と衝撃波に耐えかねた少女が落ちてきた。呆然とそれを眺めるアキトは指の一本すら動かせない。


 が、颯爽と着地するのかと思いきや、少女は受け身すら取らずに地面に叩きつけられた。”ぐちゃっ!”といよりは”べちゃぁ!!”。グロテスクな意味合いでは無く、芸人の罰ゲームみたいだなと思った事は秘密だ。


「……お、おーい。だいじょぶかー」


 とはいえ、結果として彼女のおかげで今の一撃を凌ぐことができたのも事実だったので、恐るおそる安否を確認してみる。―――と。


「――――……て」


 相変わらず地面に伏したままの恰好で、くぐもった声が返ってくる。マントもその下のスカートも捲れ上がり、その下のパンツが丸見えになっているのだが、どうすればいいのだろう。慈愛に満ちた眼で見守ればいいのだろうか。

 助け起こした方がいいのかもしれなかったが、その場を満たすなんともいえない気まずい雰囲気がアキトを躊躇わせた。そのオーラは主に目の前の少女から発せられているのだからなおさらだ。


 おそらく彼女の計画プランとしては、『颯爽と登場し、一刀の下に敵を屠り、カッコよく勝利をおさめる』つもりだったのだろう。

 気まずい雰囲気の原因は、どんな顔をして立ち上がったらいいのか分からない、といったところか。伏せられた彼女の顔面が火を噴くような羞恥で真っ赤になっているであろうことは容易に想像できた。


 助け起こすのも、安易な言葉を懸けるのも躊躇われ、困惑と沈黙でもって少女の反応を待つアキト。


「――――……て」


 再びのくぐもった声。


「――て?」


 アキトが促すように反復の応答を返す。

 すると、ようやく少女は意を決したように言葉を発した。



「……て、テイクツー」


「ねえよ……」


 ほとんど無意識のうちに、アキトはパンツ丸出しのケツに向かってつっこみをいれていた。



感想ありがとうございます。

嬉しく思うと同時、大変申し訳なく思います。


これからも続きは書いてゆくつもりですが、新作に挑戦したいのでご期待にはそえないかもしれません。


変わらぬ御愛好を。

これからもよろしくお願いします。

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