第39節
第39節
「……っ!?」
瞬間、耳を疑う。
―――《疑似・装剣》―――
その言葉の指し示す意味。それを理解できてしまったが故に。
「アンタら、まさか――」
「理解が速くて助かる。その為に貴様らを呼んだのだから、当然ではあるが」
「…………」
確かに事情を知らぬ者に《疑似・装剣》などと言っても、訳が分からないという顔をするだろう。
そもそも、《装剣》に”疑似”などという枕言葉を着ける意味が分からない。
《装剣》とは、その名の通り刀剣の一種だ。短刀、大剣、そういったカテゴリの一つに過ぎない。
彼の言っていることはすなわち、《疑似・短刀》とか《疑似・大剣》とか、『いや、”疑似”ってなんやねん!!』と突っ込みたくなる類の単語だ。
アバウトな分類に対して、さらに曖昧な言葉をくっつけたにすぎない単語。
―――だが。
常に陽気を漂わせるリッカの顔に陰が差す。表情こそ笑ってはいるものの、唇は皮肉気に歪められ、瞳は油断なく白髪の貴族を見据えている。
「アンタら、自分が何やっとんのか分かっとるん?《蒼の民》が黙っとらへんで?」
凄味の効いた彼女の言葉に、しかしシバは初めて相貌を崩す。石も巌もかくやと思われた表情は、唇だけを歪めた笑みへ。そのような事は問題にすらならない、とでも言いたげに。
「フ……、彼らは自身の奉じる《装剣》に拘らうので精一杯だ。ましてやこのような偽物相手に事を荒立てる気は起きまいよ」
「アンタ、一体どこまで…」
「総てだ――などとは言わんよ。だが、貴様と同程度……あるいは以上かもしれんが、《装剣》については色々と調べさせてもらっている。もちろん、貴様の相棒の持つ《第五装剣》についてもな」
「っ……」
「そう睨むな。貴様らを害するつもりも、対立するつもりも無い。言っただろう、”ビジネスだ”と」
「…………」
リッカは口を閉じたまま、鼻から静かに肺腑の呼気を入れ替える。同時に意識の入れ替えを行う。
《疑似・装剣》と聞き、少々動揺してしまったが冷静に考えれば在り得ない話では無い。技術の進歩により《失われた技術》が《失われた技術》では無くなったものはいくらでもある。《魔力触媒》や《相互同期金属》などその最たるものだろう。
今回はそれが自分達に深く関係してしまっている、ただそれだけの事だ。
「そがいなもん造って、一体なにするつもりなん?」
「愚問だな。刀匠はただより良き刀を打つだけだ。その刀で何を為すかは持ち主の意志一つ。美術品として蔵に入れられるも、人の生血を吸う妖刀となろうとも、知った事では無い」
「人を護るっ……とか、そういう発想は無いんかい……」
「フン。護る故に斬ろうが、害す為に斬ろうが―――善に依りて斬ろうが、悪に依りて斬ろうが、結局のところ刃が血を啜る事に変わりは無い。刀でまっこと善を為したいのなら神棚にでも飾っておけ」
「身も蓋もあらへんなぁ……」
「そもそも貴様に善悪を問われる覚えは無い。遺跡泥棒は立派な犯罪だ犯罪者」
「ハァ!?間違ぅとるのはウチとちゃうわ!世間の方や!!」
「ほう、それは?」
「なんで冒険者連中がやったら”調査”で、ウチらがやったら”泥棒”なんや!?やっとる事は同じやんけ!こっちは収穫物100%懐還元なだけで!!」
「それを世間一般では”泥棒”と言うのだと思うが?」
「だって、だってぇ!!えぇもん拾ても取り上げられるんやで?上前撥ねられるんやで!?こっちは命懸けとんのに、貴族の豚にほとんど持ってかれるんやで!?『ぶぁっはっは!ご苦労だったな!!』とか言いながら!!もちろん、次の瞬間には焼き豚にしたったけど!!」
「貴重な遺跡資源の管理は国に許可を受けた者にしか行う事はできない。これは国際法でも定められている項目だ。正式な手順を踏め、としか言えんな愚民」
「……アンタ、ウチの事雇う気有るん?」
「何のためにここへ呼んだと思ってる? 私は貴様と違い多忙なのだ平民」
「……」
あかんっ、おさえてウチっ!!
前に豚の丸焼き作った時も、大騒ぎの大立ち回りを演じるはめになったのを忘れたん!?
あげく出禁喰ろうて、未だに火竜の国には出入り禁止やし!!
っくしょー、火傷程度で器の小さい…。
「―――――」
けどまあ、ここで同じ事を繰り返そうものならただでは済まないのは分かっている。
なにも出禁云々に限った話では無い。
ここは別邸とはいえ、仮にも貴族の屋敷。
そしてここはその中心部だ。
いや、もちろんそんな場所に入ったのはこれが初めてなわけだが。
それでもここが、そういう場所であることぐらいは感じ取れる。
怒りは鼻から、口から冷静さを。
視線で話の続きを要求する。
”ビジネス”と言ったからにはこちらにも利益の有る話なのだろう。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
青年にはその少年の行動が何一つ理解できなかった。
どこぞの陰険な参謀が口癖にするような意味では無く、それこそ頭の中が真っ白になってしまったかのようだ。
なんせ、彼の行動は無茶苦茶だ。
突然現れたと思ったら、こちらのケツを蹴り飛ばし、叱咤の声を浴びせ。
大事だと、そう思わされていた物を制止も聞かず捨てさせられ。
危機を脱したと思った矢先、さらなる危機に自ら首を突っ込むと言う。
滅茶苦茶だ。支離滅裂だ。一貫性もなにもあったもんじゃない。
彼の行動には全く説明がつかない。
彼の言動には全く利が見えてこない。
お礼目当て、と言うならまだ分かる。
命を救ってやったんだから、それ相応の返礼をしやがれ―――というやつだ。
勝手に首を突っ込んでおいて、図々しい奴…とは思うが、これなら納得出来る。
だが、彼はそれに当てはまらないだろう。
なんせ、
「じゃあな。上手く逃げろよ」
そう言って、あの動き出した丘―――丘ほども巨大な猪―――に向かって今にも荷台を飛び降りんとしている。
報酬を期待している人間が、わざわざその相手から離れ、あまつさえどう考えたって太刀打ちできるはずの無い敵に向かって行くだろうか。
「―――おい!!」
知らず、呼び止めていた。
少年が心配だったわけじゃない。生憎、今は自分自身の心配で手一杯だ。
少年を行かせたくなかったわけじゃない。どのみち、こいつは俺の制止など聞きゃしない。
ただ俺は、問いたかった。
これだけは『理解不能だ』、と投げ出す訳にはいかなかったのだ。
必死さと悲痛さをともなった声が、刺すように流れゆく風の中、少年へと投げかけられた。
「なんでアンタは俺みたいな獣人を助けてくれるんだ!?」
はたしてその問いは、届いたのか。
今にも飛び立たんとしていた少年の足は、しばしの間留まり。
僅かばかりの言葉を残し、振り返る事も無く去って行った。
―――曰く。
「―――助けたいから」
ただ、それだけ。
それ以上の理由も、それ以外の思惑も。
ありはしないのだ、と。
それは捉えようによっては、最低の理由。
己が欲望の赴くままに。
己が願望の求めるままに。
己の快楽の為に、享楽の為に、悦楽の為に。
極論――やりたいようにやっただけ。
無茶苦茶で、滅茶苦茶で、支離滅裂なうえに、子供じみた暴論だ。
―――それでも。
……それでも、その暴論に救われた自分がいて。
その暴論の為に命を懸ける馬鹿が、いた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
獣人の青年を乗せた馬車を含めた一団は、アキトに構う事無く遠ざかる。
それでいい、とアキトは思考する。せっかく助けたのだから、最後まで無事であればもっといい、とも。
「蛇に睨まれた蛙……か」
誰にともなくアキトはひとりごちた。当然の如くそれは誰の耳に入る事も、届く事も無く。ただ、彼自身の胸へと突き刺さり、薄れゆく。
それはアキトを揶揄して放った言葉だ。彼自身と、それを投げかけた本人にしか理解できない言葉は、他人に理解出来ようはずも無い。
「《拝》に向かって、”蛙”とはこれいかに」
冗談めかして呟くも、決して痛みが薄れるわけではない。
それは拝 暁人という一個人の根幹を穿っていた。いうなれば、『魂』だ。
そういった意味では、彼の『魂』は既に死に体である。朽ちる事が無い、という点以外では。
アキトにとって、その言葉は『拝み』であり、同時に『予言』だった。
的中率は、このままいけば100%。ノストラダムスも真っ青だろう。
「……うん」
だからこそ、アキトはその感慨を振り払い。無理矢理にでも、笑顔を浮かべた。
先程、獣人の青年に向かって放った答え。「助けたいから」、ただその願望だけは完遂しなければならない。
たとえそれが、無自覚を嫌うが故に無視しきれない、ただの欲望だったとしても。
「うん」
アキトは再び頷いて、それを確認した。
『蛇に睨まれた蛙』。アキトの在り方を指し示す言葉。だが、この言葉は正確ではない。
何故なら、アキトは、恐ろしいから眼を背けられないのではない。”無自覚”を嫌悪するが故に。自身の”欲望”から目を背けられないのだから―――。
だから、きっと、いつか、彼は”蛇に呑まれる。
きっと、ではない。必ず。
いつか、ではない。もうすぐ。
もしかしたら、もうとっくに。
「助けたい」、その一心だけで目の前の化物に挑もうというのだから、とっくの昔に手遅れだったのだろう。
だから、それらを置き去りに、走る。
まずは、あのでかい猪の注意をこちらに向けなければ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「――デモンストレーション?」
リッカの型の良い唇からはやや間の抜けた声が漏れた。
それもそうだろう。わざわざ、自分達のような悪名高い――悪名でも高ければ”高名”なんやで!!――遺跡泥棒を呼び付けて、やらせることが|見世物小屋の客寄せパンダ《デモンストレーション》だとは、思いもよらなかったのだから。
そんな彼女の気の抜けたような表情とは裏腹に、シバはいたって真剣だった。
「そうだ。現在、装剣を扱える人材は酷く不足している。皆無といってもいい」
「そんな扱いづらい代物なんか、その”疑似・装剣”ちゅうのは?」
「いいや。あれは訓練さえ受ければ誰にでも扱える。それこそ、十に満たない子供でさえ、な」
それならば、何故自分達に依頼する必要があるのだろうか。自前の使い手を用意した方が、安全性も安定性も遥かに上だろう。
そんな疑問が表に出ていたのだろう。彼女が言葉にせずとも、勝手に説明を続けてくれる。
「訓練すれば―――、とは言ったがなにぶん新兵装なのでな。こちらも、未だに勝手が掴めず、定型文の作成に手間取っているわけだ。まさか、中途半端なものをお披露目するわけにもいかぬ」
「それで、”第五装剣”の繰り手であるメーやんの出番…って寸法やな?」
そうだ、と言わんばかりに―――あるいはそうせざるを得ない事のもどかしさを嘆くように、シバは重苦しく瞳を閉じた。
どうやら彼自身、今回の采配に完全に納得しているというわけではないらしい。
というか、ならば何故―――
「来年に見送る、っちゅう判断をせえへんかったのはなんで?《風竜走》は今年限り、ってわけでもあらへんやろ」
そう、体系が未熟なまま急いで披露する必要は無い。そもそも、お披露目の場は、なにも《風竜走》だけではないのだから。
だが、この疑問に対するシバの回答は、彼女の予想を遥かに超えるものだった。
瞳を伏せたまま、シバは口蓋を開く。
「―――此度の《風竜走》。これが四カ国の王を招いての、御前試合となるからだ」
静かな執務室に、にわかに息を呑む音だけが響き、消えた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
“―――おい”
かけられた声に、少女はせわしなく動かしていた足をとどめた。
だが、奇妙な事に周囲に彼女以外の人影は存在していない。
それにも関わらず、声は続ける。
“ここはどこだ?”
「―――――」
その問いに対し、少女は困ったように眉根を寄せて、身体を硬直させる。
次いで何かを言わんと、口をあわあわさせた後、結局上手い言葉が見つからず沈黙。
だが、そんな少女の様子にはお構いなしに、声の主は再び問う。
“こ こ は 、 ど こ だ ?”
苛立ちと、不快感を隠そうともしないその声に、少女は沈黙を守りきれず口を開いた。
「あの、ですね…。おそらく―――」
“『おそらく』禁止”
「――うぐっ…。た、たぶん―――」
“『たぶん』も禁止”
「じ、順調に風竜の国に向けて歩を進めていると思われ――」
“迷ってんだろうが! このタコッ!!”
主無き罵声が、少女をうちのめした。
“なんで、お前は人の話を聞かねぇんだ!? あぁ!? 寝ぼけてんのか? 寝ぼけてんだろう!? その眠そうな目ん玉かっぴらかせてやろうか、おい!!”
「で、ですが、ワンコ様…」
“『ですが』じゃ、ねんだよ! あと、『ワンコ様』は止めろって、何べん言わせりゃ気が済むんだ!?”
「だって、ワンコ様の名前は長いですし…」
“長くねーよ! お前はいい加減、人の名前を三文字までしか覚えられないチンケな脳み
そ、摘出した方がいんじゃねぇのか!?”
「ひ、ひどい…」
あまりの言い草に、深く項垂れる少女。
しかし、その頭は不意に勢いよく上げられた。
声に揶揄された半眼の瞳には、こころなしか鋭い光が宿る。
「ワンコ様」
“あぁ!?”
一向に収まりそうにない声の主の怒りは無視して続ける。
「お叱りは、後で」
言いながらも、少女は素早く移動を開始する。軽妙な歩調で、見晴らしの良さそうな丘陵を登る。
そこから見えたのは。
“おぅおぅ、ずいぶん立派な《カミ》じゃねえか”
口笛でも吹きそうな軽い調子で、声の主は感心の声を上げた。
そこには、立派…という言葉ではもはや足りない程に巨大に成長した猪型の魔獣がいた。
「《カミ》…ですか?」
“おうよ。物事には何事にも限度ってものが在る。揶揄の表現じゃ無く、理としての限度がな。だが、時としてそれを超えちまうものも在る。それをな、《カミ》って言うんだよ。神様の神じゃなく、上位者の《上》の方だがな”
「そういえば、じっさまがそんな事を言っていたような、言っていなかったような…」
“だからお前の脳みそは残念なんだよ!!”
「うぅ…、まだ仰るのですか…」
“フンッ。………だが、妙だな。一体何をあんなに荒ぶってやがる?”
「―――どうやら、何者かと闘っているようです」
見れば、猪の向かって行く先には一つの人影がある。ここからでは遠すぎて、姿までは判別できないが、それがあの荒ぶるカミの標的のようだった。
「しかし…」
“ああ、一方的だな”
声の主が断言したように、戦局は一方的の一言に尽きた。もちろん、猪側優勢という意味でだ。
“あれじゃ、アリとゾウだな。百万匹いれば勝てるかもしれんが、一匹じゃあどうしようもねえ”
そう言っている間にも、人影は必死に転げ回り猪の突進を避け続けている。だが、そもそもサイズが違い過ぎる為、完全に回避しきれていない。このままでは人影の方は徐々に体力を奪われていくばかりだろう。
それに対し、少女はこう判断した。
「―――助けてさしあげましょう、ワンコ様」
“やだよ”
「…即答はやめて欲しいのですが」
“うっさい!口応えすんな馬鹿!!そもそも、なんで俺様がそんな面倒なことをせにゃならんのだ”
「で、ですが…」
“『ですが』禁止!”
「しかし…」
“『しかし』も禁止!!”
「で、では、率直にもうしあげますが」
“あん?”
「あの方に道を聞かないと、正直このままずっと。ずうううぅぅぅぅぅっと道に迷い続ける事になる気が」
“…………”
これには、さすがの声の主も沈黙せざるをえなかった。
“ちっ……。これだから、今代の操者はポンコツなんだよ…。わかったよ、わかりましたよ! 俺様もお前にのたれ死なれて、無人の野に取り残されるのはごめんだからな!!”
「ワンコ様はいちいち悪態をつかないといけないのでしょうか!?」
“うっさい! その元凶がごちゃごちゃ言うな!! とっとと、《首輪》はずせ!”
「は、はいっ! わかりましてございます!!」
少女は声に急かされるままに、背中に負っていた巨大な黒の大剣を手に取った。
そして、それを眼前で拝刀する。あまりに巨大すぎる故、刀身の頂点が地面に突き刺さってしまっている。
だがそれには一向に構わず、少女はその大剣に搭載された機能を目覚めさせてゆく。
「―――階層装甲、一次解封!」
黒の大剣の表面に、光の筋が奔り始める。それは大剣の表面に刻まれた魔術刻印に力の流入が行われている証左だ。
そして、それは後から後から絶えることなく湧きいずる。
ずるり、と刀身が滑る。まるで蛇が脱皮をするかのように。
いや、それは初めから刀身などではなかった。
―――“鞘”。
刀身のように見えていたのは、ただの鞘であり、中から現れたのはまたもや“鞘”。
「《プライア式装剣術》!!」
少女は声音高らかに宣言する。
それに応えるように、その大剣が問うた。
“―――術式、選択―――!”