第32節
忙しくなるので、更新が遅くなると思います。
それでも、三日に一話くらいは上げたいと思いますが、
今回のような事もままあると思うので、ご容赦ください。
第32節
その結果に最も驚いたのは、何を隠そうレオ自身だった。
相手はカインとも渡り合った腕前を持つのだ。手加減などして勝てる相手では無い。
そう思って放った一撃ではあったが、それがいとも容易く通った事に動揺を隠せない。
あれを喰らってミンチにならない生物がいる事も驚きだ。
しかし何より、相手が何の策も無く正面から挑みかかって来た事が信じられない。
現に、初撃をかわされると予想し、続く左腕も既に発射準備にあったのだ。
だが、実際にはどうだろう。
初弾は回避しようとするアキトの右肩を捉え、容赦無く塵へと還した。
彼の身体は宙を舞い、そして地に叩きつけられる。
レオは呆然とそれを眺めていた。
ルルの勝敗を告げる声も、周囲の雨音も断線したかのように脳に届かない。
あっけない、あまりにもあっけない。
それまでの高揚が嘘のように冷めてゆく。
「レオ?」
その様子を不審がるように、ルルが声をかけてくる。
それには応えず、肩部の装甲を解除する。
高揚は落胆を生み、落胆は倦怠を生む。
腕鎧を外し、無言のままにレオはきびすを返した。
あいつは死んではいない。だが、勝負は着いた。
これ以上この場に留まる事に、どうやら自分は耐えられそうになかった。
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フーカは混乱していた。困惑していた。
理解出来ない。分からない。
砂の大地には激しい豪雨により、一時的な小川が何本も走っている。
その一つ、自分達の身体の下をくぐり抜けて流れゆくそれだけは、他の支流と異なっていた。
濁った黄色の流れは、その一点―――私を護るように覆いかぶさるその人間の下を通り過ぎた途端、鮮烈な紅を帯びる。
それが何なのか、など分かっている。
―――”血”だ。
そんな事など、分かっているのだ。
分からないのは、ただ一つ。
もぞり…、と子犬が雨に怯えるように緩慢な動作で、動かなくなった彼の身体の下から這い出す。
四つん這いのまま、自分の前足で彼の身体を揺する。
―――反応は無い。
もっと強く揺する。
―――反応は無い。
「違う…」と、自分でも何が違うのか、分かっていない何かを否定しながら、揺する。
―――反応は無い。
首を振る、頭を振る。違う、違う、と念じながら、揺する。
―――反応は無い。
(違う、違う、こんなの違う!どうして違うの?なんで違うの?なんで?どうして?)
思考する。遅すぎる思考。鈍重な思考。致命的に遅すぎた思考で考える。
思考は混乱に。混乱は錯乱に。
移ろい、変化し、色を変える。
それだけ考えてもなお―――
―――分からない。理解出来ない。
流れてゆく、流されてゆく。
真っ赤な液体が。あれだけ温かかった熱が。
―――眼に焼き付く程に鮮烈な、”命”が。
もう、我慢できなかった。堪らず、叫んでいた。
「どうしてこの”血”は私のじゃないの!?」
揺する。
―――反応は、無い。
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額に乗せられたひんやりとした掌の感触に、意識が覚醒する。
右腕が無い、という酷い違和感…もとい違差感に混乱するが、それでも愛おしい匂いを近くに感じ取り、眼を開ける。
「早いな。もう目が覚めたのか」
―――声。イメージで言うなら、黒い絹のような髪。
開いた視界の先、琥珀色の瞳がこちらを覗き込む。
「…お…っ!?」
”おはよう”、と言おうとする先から酷い痛みが邪魔をする。
そっと額に添えられた手が頬へ優しく移動し、言葉を続けようとするアキトを制止する。
「無理はしない方が良い。傷口は塞がっているが、中身がどうなっているかは分からないからな。とりあえず、流石の回復力だ―――と言っておこう」
いつもの口調。
それが不思議と安堵を生み、胸につっかえていた空気がふーっと抜けていく。
抜けてゆく。
抜けて行った。
―――抜けて行ったはずなのだが…。
「あれ?なんか、胸重たいままなんですけど?」
重い。しかも、なんというか感傷とか、感覚とか、そういうのではなく物理的に。
ぼやけていた視界、それが徐々にクリアになる。
ひらけた視界の中、飛び込んできたのは―――
「うむ、では説教だ」
馬乗りのヒカルだった。
「――え?あの、ヒカル…さん?」
なんというか、非常に既視感というか、危機感というか。
ひとまず状況を確認しようと口を開きかけるアキトだが…。
それに先んじて、ヒカルが言葉を放つ。
「まずは一発目だ」
え?、と言葉の意味が分からず、変な音が喉から漏れる。
”美少女”、”馬乗り”、”一発目”。
聞き様によっては、非常にアブノーマルな単語の羅列ではあるが、現実はそんなにおピンクしてなかった。
どちらかというと、バイオレンスレッドだった。
意味が分からず呆然とするアキトを他所に振り上げられた少女の拳が、身動きの取れない彼の右頬にクリーンヒットする。
「―――オゴォ!?」
なんか三流っぽい苦鳴が漏れる。
状況把握に手間取っているアキトを他所に、ヒカルはニコリともせずに、無表情のまま言う。
「―――これは、私のぶん」
えぇ――――――!?っと、心の中の小さいアキト君が叫ぶが、大きいアキト君は言葉にならない。
ヒカルはそんなアキトに構いもせず、説教を始める。
「負けるとは何事だ。貴方は私の所有物であることを忘れたのか?君が負けると云う事は、私が負けるも同然だ。私は恥ずかしい」
「――え、ちょっとま…オゴォ!?」
反論しようと口を開くアキトを、今度は右のストレートが封殺する。
さすが猫パンチ。速度が半端無い。
兎にも角にも、俺の言論は圧殺されていた。
そして、反論を許されぬまま…、
「―――これは、シノのぶん」
ただ今のパンチの差出人が告げられる。
って、いやいやいや!ちょっと待て!
なんでシノのぶんをヒカルが晴らしているんだ?シノ死んだのか?殺されたのか?俺に!?
…と思うが、やはり言葉にならない。
「貴方はシノの”依存”の対象だろう。それなのに他の女に構いっきりで、揚句には両腕を失うとは…。どうやってあの子を撫でてやるつもりだ?」
「―――最近シノを撫でるって言っても、愛を撫でる方の…オゴォ!?」
いや、まあ、今のは俺が悪かった。
「…っ…そ、そうだよな、シノだけじゃ無くヒカルも…オゴォ!?」
…おかしい。
次の説教喰らってないのに、次のパンチが来た。
ヒカルの頬が朱に染まっているが、それは照れなのか怒りなのか。
「い、今のはナギのぶん!!」
テレだ。
しかし、すぐさま真剣な調子に戻る。
「貴方はナギの”英雄”だろう!そんな貴方が不様な所を見せてどうする!?彼女の不安はいつだって彼女の内に在る事を忘れるな」
「………」
返す言葉も無い。
俺は彼女が安心できるように、彼女を騙し続けなければならない。
それが、俺と彼女の約束であり、俺自身の決意でもあった。
今の己を省みる。
それが果たせている…とは到底―――言えない。
表情を暗くするアキト。
だが説教はそこで終わりでは無かった。
もう一度振り上げられたヒカルの腕に、思わず目を瞑り、歯を食いしばる。
今は甘んじてそれを受けよう。
それだけの事を、俺はした。
俺が負けると云う事は、つまりそう言う事だ。
だから、この痛みを忘れないようにと、痛覚以外の感覚を遠くする。
しかし、訪れたのは痛覚とは程遠い優しく柔らかな掌の感触。
ヒカルの両手が俺の両の頬にあてがわれていた。
「…これは、もう一度私のぶん…」
コツン、と互いの額が軽くぶつかり合う。
ヒカルからはそれまでの強い調子が失われていた。
そして瞳を伏せ、縋るように口にする。
「貴方は私の”希望”なんだ。どうか陰らないでくれ。移ろわないでくれ。―――消えないでくれ…」
まるで祈るように告げられるその言葉。
両の腕が動かせない俺は、ただ頷くことしか出来なくて。
「ごめ…んっ―――」
―――謝ろうとする唇は、やはり封殺させられた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
そっと温もりが離れてゆく。
同時にヒカルも俺の上から降り、枕元にちょこんと正座する。
両者とも頬がほんのり朱い。
そんな空気を払拭するように、ヒカルが言葉を放る。
「私の言いたい事はこれで全部だ。あとはその子の話でも聞いてやれ」
そう言われて初めて、アキトは己の傍らにもう一人少女がいる事に気付く。
「君をここまで運んで来て、それからずっと貴方のそばを離れようとしない」
ヒカルが視線で示す少女は、しかし眠っていた。
「つい先ほどまで起きてはいたがな。アキトがやられてから半日経っているから、仕方ないと言えば、仕方ないが…」
渋い顔。
彼女自身、この事態を招いたフーカに言いたい事は有るのだろうが、それはアキトに任せる…という事なのだろう。
「貴方が舌を入れてくるだけの元気が有るのは分かったし、私も寝るとする。運良くその娘が起きたら、ほどほどに説教をくれてやれ」
「ん。」
そう言って、立ち上がる。
そして、部屋から出て行こうとして、ふと振り返った。
「―――そうだ、一つ聞き忘れた」
「なに?」
「次は勝てるな?」
その問いに、アキトは『う~ん』と唸り、
「どうかな?」
と答える。
しかし、どうやらその答えはヒカルのお気に召さなかったようで。
「なんだ、それは」
半眼で睨まれる。
それに対し、アキトは口を尖らせて答える。
「だって、『勝てる!』って言うと、なんだか負け惜しみっぽくない?」
「大丈夫だ。”ぽい”もなにも、完全な負け惜しみだ」
その言葉に傷付くフリをするアキトに、ヒカルが半眼をさらに鋭くして、無言の要求をかける。
それに屈する形で、アキトは誓いを口にした。
「心配無いよ。もう負けない」
その意味を、強く心に刻みながら。