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白銀のスコール  作者: 九朗
第三章『砂漠の華』
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第27節

そういえば、いつの間にか100話突破してましたね。


書くも書いたり、と云った所でしょうか。


これからも、どうぞよろしくお願いします。





第27節


「ひっ……、ひぃ…ひ…」


 まるで陸に打ち揚げられた魚のように、まともな呼吸が出来ない。

 地面はいつしか軟体生物のように蠢き、まともに立つ事も出来ない。

 突如として大海原に放り出されたかの如く、自分と云う存在が酷く虚弱に感じられる。

 五感のほぼ全てが、惑い、狂う。何もかもが曖昧模糊となり、天と地すら定まらない。


 それでも、耳だけは。

 この忌まわしく、呪わしい。

 耳だけは。


「獣並の脳みそでも、理解出来ただろ?」


 憎たらしい程正確に。

 男達の言葉の意味を拾ってゆく。


 それによって、彼女は理解した。

 己がどれだけ浅慮だったか。

 己がどれだけ甘ったれだったか。

 己がどれだけ道化であったか。


 天と地は逆転し、果ての無い空へと墜ちていくような感覚。

 まるで底が抜けた大地に、沈み込んで往く感覚。


 失われていく。奪われてゆく。


 自分が正しいと信じていた物こそが、虚構だったと知った。

 ある意味で、唯一の心の支え立った物は、そうであるように造られた物だった。


(私……私は……)


 怒りすらも遠い、心の海は凪ぎ、波紋の一つすら浮かばない。

 それでも、早朝の湖面のように静かなその深みから、ぽこりぽこりと何かが湧きあがって来るのを感じる。


(私はこれから何を信じればいいんだろう?どうやって立てばいいんだろう?)


 悪いのは全て街の――否、全て”人間”のせいなのだと。

 そんな浅はかな責任転嫁に満足し、それを免罪符のようにふりかざしていた。

 それを足場に。それを土台に。それを大地に。それを自身の脚にして、ようやく私は立っていたのに。

 それを失い、どうやって立つ?


(もう私には、自分が立っているのが地面かどうかも分かっていないのに?)


 瞳の焦点は虚ろとなり、視界は赤と青に明滅し、それでも視点はただ一点に留められ。

 魂が抜けてしまったかのように立ち尽くす。


 この時フーカは、己の失ってしまった物の大きさに、ただただ戸惑い、怯え、指一つ動かせずにいた。


 そんな彼女の上に、いつしかこの街特有の激しい豪雨スコールが降り注ぐ。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 改めて所属するチームを探していたカインを、ギルドの受付のお姉さんに押し付けて、俺は再び街に出た。

 カインの言っていたことは少し気になったが、今はフーカの方が重要だ。

 表はいつしかどしゃ降りとなっていた。


「さすがにフーカも家に帰ってるかもな…」


 痛いほどの雨粒に打たれながら、考える。

 だが、脚は一向にフーカの家へと向かってはくれなかった。


(それならそれが一番良い。けど、もしバツが悪くなってこの雨の中で立ち往生してたらいけないし)


 それに――、と続く最も恐れている可能性に思考が届く前に、アキトは頭を振ってそれを追いやる。

 そうならない為にも、さっさとフーカを見つけて、風邪をひかない内に家へと連れ戻すべきだ。

 操舵士ヘルムスマンの件はまだ時間も有る事だし、急ぎ過ぎても駄目になってしまうだけだろう。


「ま、なんにせよ、あの子を見つけるのが先決か…」


 呟き、街の大通りへと足を向ける。

 急に降りだしたどしゃ降りの所為で、露店はどこも店を畳み、どこか閑散としてしまった通りで、視線を彷徨わせながら歩く。

 豪雨の為、嗅覚のみならず視界も悪い。


「…え?」


 その時、突然に小柄な人影が俺の横を走り抜けた。

 俺は最初、それが誰なのか分からなかった。


 豪雨スコールのカーテンは厚く、ほんの数m先すら見通せないのも有った。

 しかし、最も俺の認識を鈍らせたのは彼女の姿だ。


 服装は俺達の前から逃げ出した時のまま、トレードマークの大き過ぎる帽子とおじいさんに作って貰ったという白のセーラー服、それに砂避けのマントを羽織った格好だ。

 雨のせいでマントはずぶ濡れになり、セーラーのズボンには泥が跳ねてしまっている。

 それに淡い銀色の長い髪が張り付いてしまっている。

 なにより、その銀髪の合間から覗く蒼い眼が尋常では無い。

 まるでドロリと、ギラギラとした何かが沈殿し、よどのように渦巻き、凶悪な光を放っているようだった。

 そこに、普段の気弱さや臆病な色は微塵も感じられず、濡れた髪と相まって、まるで幽鬼のようだ。


 彼女はアキトなど視界に入っていないかのように彼を無視して、駆けてゆく。

 アキトもその変化に戸惑い、呆然と見送ってしまう。


 彼女の姿が豪雨スコールのカーテンにより見えなくなって、初めて―――、


 ―――アキトはその変化の理由に思い至る。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


(もう、いやだ…)


 雨に濡れた服は重く、小柄なこの身にし掛かる。


(もう、いやだ…)


 手入れも断髪も怠っていた銀髪が顔にかかり、視界を塞ぐ。


(もう、いやだ…)


 宝物の一つだった純白のセーラー服も、泥が付着しにじんでいる。


(もう、いやだ…)


 どれもこれもが煩わしく、なにもかもが鬱陶しい。


「もう…」


 思いは心の内側だけでは留まらず、とうとう口から外へと溢れだす。


「もう、いやぁ!!」


 悲痛な叫びと共に、フーカはかぶりを振る。つられて濡れた髪が水滴を撒き散らす。

 いったい、どうしてこうなったのか。どんな因果が、どんな運命が私をここに立たせたのか。

 男達の蔑んだ言葉が蘇る。


『悲劇のヒロイン気取りは心地良かったか?この正真正銘の”疫病神(・・・)”様よぉ!?』


 全て、本当に全て、全部、総じて、一片の余地も無く、私のせいだった。

 それだけだった。

 否、もともと差別と偏見に、閉鎖的な価値観に束縛された街の人間のせいだと思っていた時から、全ては自分が獣人だからだと分かっていたのに。

 そこから目を逸らし、耳を塞ぎ、糾弾の声すら上げようとしなかった時点で、自分はそれに気付いていたのだ。

 見ず、聞かず、言わず。祖父のそばに居続けるためだけに。


 そして、それこそが私の罪。

 祖父が仕事を失ったのも、失意の内に死んだのも、この街全体にすら迷惑をかけたのも。

 全てわたし一人が原因となって起こったことだった。わたしさえいなければ、祖父はあんな苦労にも苦悩にも苛まれることはなかった。


(わたしさえいなければ…)


 己の全てが否定されてゆく。


(わたしさえいなければ!)


 己によって、《世界》によって、否定されてゆく。

 それはおそろしく冷たく、ひどく虚無的な感覚。

 感情も感覚も、感慨も感傷も。ボロボロと己から剥離し、去ってゆく。

 ”わたし”が消えてゆく。

 こんなにも虚ろな想いだけを抱えて。

 そんなのは―――、


「いやぁ!!」


 このままただ消えるのは、いや!

 このやり場の無い虚無を、行き場の無い慟哭を。


 私と共に、祖父を苦しめた”共犯者”に味わわせてやらなければ。

 共に冥府魔道に堕としてやらなければ。

 私は死んでも死にきれない!

 その為にはどんな犠牲も、どんな傷も、命すらもいとわない!




 そっと、”なにか”がこう囁く。







 ―――どうせこの身は無意味で無価値だ。




彼女は駈け出す。


だが、ひ弱な少女がそう簡単に成し遂げられるほど、復讐は甘く無い。

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