第九話 魔王城、無血クーデター成功ス!?
魔王エリスがユノーの転移魔法で吹き飛ばされてから、丸1日以上が経った。
だが、魔王城はすでに異様な静けさに包まれていた。
玉座の間。
黒曜石の床には、魔力の裂け目がまだ微かに揺らめいている。
「……主様の気配、完全に消えてます……」
黒猫の姿をした使い魔――マケが震える声で言った。
その肩に手を置くのは、サキュバス族のアーテー。
エリスの忠実なる側近であり、魔王城の「影の管理者」と呼ばれる女魔族だ。
「ええ。ユノーの次元転移……あの女、やってくれたわね」
アーテーは床に残る魔力の痕跡を指先でなぞる。
そこには、エリスの魔力が暴発した跡がはっきりと残っていた。
「……でも、マケの眷属契約は切れていない。つまり、エリス様は生きているわ」
マケは涙目で頷いた。
「にゃ……はい……! 主様は、絶対に……!」
アーテーは静かに立ち上がる。
しかし――
魔王城の空気は、すでに新しい支配者のものへと変わりつつあった。
玉座の間の扉が重々しく開く。
「アーテー、状況報告を」
現れたのは、巨体の魔人・ユピテル。
現・魔王軍総大将であり、13ある軍団大将の一人・ユノーの夫。
その身からは雷のような魔力が微かに漏れ、ただ立っているだけで空気が震える。
アーテーは片膝をついた。
「エリス様は、ユノー様の転移魔法により消息不明。転移先で魔力暴発も確認され、反応は消失……です」
ユピテルは鼻で笑った。
「遺体などあるわけない。魔王の反応が消えた時点で、事はもう済んでいる」
(……強引ね。相変わらず)
アーテーは心の中で毒づいた。
ユピテルは魔界でも屈指の実力者であり、政治・軍事・魔術のすべてにおいて、あらゆる手段でのし上がってきたとされる。
強引で、横暴で、浮気性、だが恐妻家。
妻のユノーにだけは頭が上がらないことでも有名だった。
「フッ……あっぱれ、我が妻は期待以上に見事な働きだった。もはやエリスは人間界のどこかで消滅したはずだ!」
「……『はず』では、危険ですわ」
ユピテルのヨイショを遮るように背後からユノーが現れると、彼の眉がぴくりと動いた。
「ん?……何が言いたい?」
「遺体がない以上、エリスが生きている可能性は残っています。オルフェの腕輪で身を隠しているかもしれませんし、魔王の力は常識では測れません」
「……なるほど、さすがユノーだ。『念には念を入れろ』と」
チッ、とアーテーは心の中で舌打ちした。
(あの女……どこまで慎重なのよ)
ユピテルは手を叩いた。
「メルク、入れ」
闇の中から、ひとりの男魔族が姿を現した。
細身だが、全身から冷たい殺気を漂わせている。
「第十二種統合軍団大将直属、メルク。ユノー様の命により参上しました」
アーテーは眉をひそめた。
(……最悪の人選ね)
メルクは魔界でも屈指の追跡者であり、標的を逃したことがないと言われる男。
ユピテルは命じた。
「メルク。人間界へ行け。エリスの痕跡を探し、万が一見つけた際には――消せ」
「御意」
メルクは一礼し、闇に溶けるように姿を消した。
アーテーは拳を握りしめた。
(……エリス様を殺させるわけにはいかない)
ユピテルらが去ったあと、アーテーはマケを抱き上げた。
「マケ。あなたの眷属契約が残っている限り、エリス様は必ず生きているわ」
「にゃ……!」
「ユピテルとユノーの企ては成功したつもりでしょうけど……魔王エリスを甘く見すぎよ」
アーテーの瞳が鋭く光る。
「行くわよ、マケ。私たちも機をみて人間界へ向かう。エリス様を探し出すために」
「はいっ、アーテー様!」
アーテーは黒い翼を広げ、魔王城のテラスから暗雲うごめく空へ向かって飛び上がった。
(エリス様……どうか、ご無事で)




