第六話 お散歩へ出かけた先には……
「ふむ……ならば、変身魔法で人間の娘になるのじゃ」
「む、娘!? なんで女の子!?」
「わらわの衣装がそのまま使えるからじゃ。合理的であろう」
「合理的って……!」
アレスの抗議は、エリスの左半身によって軽く押しつぶされた。
そして、ふたりが身に着けている衣装がふわりと舞い出る。
「では、いくぞ。人化変身」
エリスが詠唱すると、融合体の身体を淡い光が包んだ。
その光は、昨夜の転移暴走の残滓のように不安定で、アレスは胸の奥にざわりとした違和感を覚えた。
「エリスさん……なんか、変じゃ……」
「気にするでない。わらわの魔法は完璧じゃ」
だが――その瞬間。
光が弾け、二人の意識が溶け合った。
アレスの思考が揺らぎ、エリスの声が頭の中に流れ込み、二つの人格が渦を巻くように混ざり合う。
アレスの慎重さ、エリスの大胆さ、二つの人格が渦を巻くように混ざり合い、境界が溶けていく。
胸の奥で、ひとつの「新しい声」が生まれた。
「……ふぅ……」
鏡の前に立ったのは、アレスでもエリスでもない少女。
肩までの髪は、アレスの淡い金色と、エリスの深い黒紫が溶け合ったような色合いで、光の角度によって表情を変える。
根元は柔らかな金色なのに、毛先に向かうほど黒紫が混ざり、まるで朝焼けと夜の境界を一本の髪に閉じ込めたようだった。
左右で色の違うオッドアイ。
声はエリスの若返り版のように軽やかで、しかしアレスの柔らかさも混ざっている。
「……わたし、アリス……」
自然と名乗りが口をつく。
アレスもエリスも、もう「別々」ではない。
アリスというひとつの人格として統合されていた。
「なんだか……身体が軽い……」
アリスは胸に手を当て、深呼吸した。
魔力の流れは穏やかで、しかし確かに強い。
人間の少女の姿なのに、魔王としての力が脈打っている。
そして――
胸の奥に、強い衝動が湧き上がった。
「……外、歩きたいな」
それはアレスの記憶でも、エリスの命令でもない。
エリスの「自由への渇望」と、アレスの「村への親しみ」が混ざった結果だった。
「誰にも気づかれないし……ちょっとだけなら、いいよね」
アリスは軽くスカートをつまみ、くるりと回ってから家を出た。
◆
朝のソル村は、柔らかな光に包まれていた。
石畳は夜露でしっとりと濡れ、家々の煙突からは朝食の煙がゆらゆらと上がっている。
「……わぁ……」
アリスは思わず息を呑んだ。
アレスの記憶で知っていた景色なのに、自分の足で歩くとまるで違う。
風が頬を撫でる。
草の匂いが胸いっぱいに広がる。
遠くで子どもたちの笑い声が響く。
「こんなに気持ちよかったんだ……」
アレスとしては「当たり前」だった景色が、アリスには新鮮で、胸が弾む。
そんな彼女の耳に、初めてでありつつも、聞きなれた声が耳に入ってきた。
「ねえ、そこの子。見ない顔だね」
振り向くと、栗色の髪を三つ編みにした少女が立っていた。
アリスの胸がどきりと跳ねる。
(ヴィーナ……! アレスの幼馴染……!)
しかし、アリスは自然と笑顔を浮かべた。
「えへへ、旅の途中で寄っただけなの。わたし、アリスっていうの」
「アリスちゃん? かわいい名前だね!」
ヴィーナはぱっと笑顔を咲かせた。
その明るさは、アレスの記憶のままだ。
「どこから来たの? 服もすごく可愛い……!」
「えっと……ちょっと遠くから……かな?」
「そっか! よかったら村を案内するよ!」
アリスは胸の奥が温かくなるのを感じた。
アレスの懐かしさと、エリスの好奇心が混ざり合っている。
「うん、お願い!」
ヴィーナに連れられ、アリスは村を歩いた。
パン屋の前では、焼きたてのパンの香りが漂い、アリスの鼻がくすぐられる。
「ここのパン、すっごく美味しいんだよ!」
「……いい匂い……」
アリスの声は自然と弾んだ。
共同の井戸端では、おばさんたちが洗濯物を干しながら談笑している。
「まあ、可愛い子ねぇ」
「旅の子かい? 困ったことがあったら言いなさいね」
アリスは軽く会釈した。
胸の奥がじんわり温かくなる。
雑貨屋を覗くと、色とりどりの布や小物が並び、アリスは思わず目を輝かせた。
「これ、可愛い……!」
「アリスちゃん、似合いそう!」
ヴィーナが笑うと、アリスも笑った。
歩けば歩くほど、アリスの胸に広がるのは「自由」の感覚だった。
魔王としての責務も、アレスとしての不安も、今だけは遠い。
「……こういうの、いいなぁ」
アリスは空を見上げた。
青空がどこまでも広がっている。
「アレスの村って……こんなに素敵だったんだ」
アレスの記憶が、エリスの感性で塗り替えられていく。
しかし、太陽が高くなるにつれ、アリスの身体に微かな違和感が生じ始めた。
「……あれ、なんか……戻りそう……!?」
胸の奥で、アレスとエリスの人格が再び分かれようとしている。
アリスは慌てた。
ヴィーナが目の前にいるこの場で、元に戻るわけにはいかない。
「ヴィーナ、ごめんね。ちょっと……用事を思い出しちゃって!」
「え、ほんと!? まだこの村にいるの?」
「あ、うん。もうちょっとね! それじゃ、またね!」
「そっか。なら、また会おうね、アリスちゃん!」
アリスは手を振り、急いでアレスの家の方向へ戻っていった。
だがあまりにも慌てていたのか、咄嗟に髪から外れたピンの存在に気付かなかった。
「あ、これって、アリスちゃんのだ!」
ウィーナは、珍しい装飾がされている蒼い髪留めにすぐ気づき、拾い上げるとハンカチに包んだ。
◆
玄関を閉めた瞬間、変身魔法がふっと解ける。
光がほどけ、アリスの姿が揺らぎ――
「うわっ……戻った……!」
「ふぅ……やれやれじゃな」
アレスとエリスの声が、再びひとつの口から重なった。
ふたりは床にへたり込み、深いため息をついた。
「……エリスさん……アリスのとき、勝手に散歩してたよね……?」
「む? わらわは何もしておらんぞ。アリスが勝手に動いたのじゃ」
「僕の身体なんだけど……!」
「ふふん、アリスは自由奔放なのじゃ。わらわとお主の心が混ざった結果じゃな」
エリスは口ではそのように答えてはいたが、実際にはものすごく楽しく、幸せなひとときだった。
そんな彼女の気持ちも手に取るようにわかってしまうアレスは、この時ばかりはその余韻を邪魔しないよう、気を緩めるのだった。




