第五十四話 実戦訓練スタート
夕食と全体ミーティングを終え、夜の森がしんしんと冷えていく頃。
第3班の男子テントには、簡易ランタンの柔らかな光が灯っていた。
布越しに聞こえる虫の声が、静かな夜をさらに深くする。
アレスとネプトは、それぞれ寝袋を広げながら自然と会話を始めた。
「ふぅ……今日だけで結構疲れたなぁ」
ネプトは寝袋に腰を下ろし、肩を回しながら大きく息を吐く。
「テント張るの、思ったより大変だったね」
アレスも笑いながら荷物を整理する。
「でもさ、なんか……こういうの、ちょっとワクワクするよな。明日からモンスター戦だろ? 怖いけど……なんか、変に落ち着いてるんだよな、俺」
ネプトは自分でも不思議そうに言った。
アレスは首をかしげる。
「落ち着いてる? ネプトが?」
「おい、なんだよその言い方!」
ネプトは笑いながら枕を投げるふりをした。
アレスは笑いながら受け流したが、胸の奥でエリスが小さく呟いた。
(……ふむ。微弱じゃが、わらわの魅了があやつに届いておるのう)
アレスは心の中で驚く。
(えっ、ネプトに? そんなつもりじゃ……)
(安心せい。害はない。わらわの魅了は、微量ならば『心を落ち着かせる香』のようなものじゃ。お主と長く一緒におる者には、ほんの少しだけ伝わることがあるのじゃ。逆にゼロにするのは不可能じゃからのう」
アレスは複雑な気持ちになりながらも、ネプトが妙にリラックスしている理由に納得した。
「アレス? 急に黙ってどうした?」
ネプトが寝袋から顔を出す。
「いや、ちょっと……呼吸整えてるだけ。明日に備えてね」
「へぇ、真面目だなぁ。俺もやっとくか!」
ネプトは勝手に腹式呼吸を始め、アレスは内心助かったと思った。
その間に、エリスの声が胸の奥で響く。
(アレス、今のうちにカムフラージュを整えるのじゃ。眠ってからでは遅いぞ)
アレスは深呼吸し、エリスの魔力を内側へ沈めるよう意識する。
(……こんな感じでいい?)
(うむ、悪くない。これなら眠ってもわらわの気配は漏れぬ。あとは寝返りじゃが……いつものようにわらわが支えてやる)
アレスは小さく頷いた。
呼吸を整え終えた頃、ネプトがぽつりと呟いた。
「なぁアレス……俺さ、こういうの初めてなんだよな。いつも護衛がついてるし、危ない場所なんて行かせてもらえなかったし……」
アレスは横になりながら、ネプトの方へ顔を向ける。
「だから今回の合宿……めっちゃ楽しみなんだ。自分の力で何かできるって、証明したいんだよ」
その言葉は、いつもの明るさとは違う、素直な気持ちだった。
魅了の影響で、心の壁が少しだけ薄くなっているのだろう。
アレスは静かに言う。
「ネプトならできるよ。今日だって、テント運ぶの誰よりも頑張ってたしさ」
「……アレス、お前ってほんと優しいよな」
ネプトは照れくさそうに笑い、寝袋に潜り込んだ。
胸の奥でエリスが小さく笑う。
(ほれ見い。あやつ、普段より素直じゃろう? わらわのいまの魅了は心を開きやすくする程度のものじゃ。いつぞやのような、悪い方向には働かぬから安心しておれ」
アレスは少しだけ安心しながら、
(……エリスさん、ありがとう)
と心の中で呟いた。
ランタンの灯りが弱まり、テントの中は静かになっていく。
外では風が木々を揺らし、虫の声が遠くで響いていた。
アレスは寝袋に入りながら、胸の奥でエリスの気配を感じる。
(アレス……そろそろおしゃべりも終わりじゃ。明日からは本番じゃから、しっかり眠るのじゃぞ」
(うん……エリスさんも、ゆっくりしてね)
(わらわはお主と共におる。安心して眠るがよい)
アレスは目を閉じ、静かに呼吸を整えた。
ネプトの寝息が隣から聞こえ始め、やがてアレスも深い眠りへと落ちていった。
◆
朝の光が森の端から差し込み、宿営地の空気が少しずつ温まっていく。
第3班は簡易テーブルで朝食を済ませ、荷物を整えながら、いよいよ初めての実戦へ向かう準備をしていた。
スープの残り香がまだ漂う中、教師の号令が響く。
「よし、第3班、そろそろ行くぞー!」
ネプトが大きく伸びをしながら声を上げる。
「そんなに大声出さなくても聞こえてるわよ……」
ディアナは呆れつつも、どこか落ち着かない様子で髪を整えていた。
ヴェスタは地図を胸に抱え、眼鏡を押し上げながら小さく呟く。
「こ、ここから……森の北側ルートに入って……連携確認のポイントまで……」
アレスは三人の様子を見ながら、クロノスの言葉を思い出し、声掛けを行う。
「みんな、気を引き締めていこう。『緊急事態は即撤退』でね」
装備を整え、教師の先導で班ごとに森へ向かう。
朝の森は湿った空気が漂い、葉の隙間から差す光が揺れていた。
「なぁアレス、昨日より森が明るく見えるのは気のせいか?」
ネプトが前を歩きながら言う。
「気のせいじゃない? 朝日が入ってるからだよ」
アレスが笑うと、ネプトも安心したように頷く。
ディアナは周囲を見回しながら、
「でも……モンスターって、どこにいるのかしら。いきなり出てきたりしないわよね?」
「で、でも……戦士たちも一緒ですし……そ、そんなに危なくは……ないはず……」
ヴェスタが控えめにフォローする。
アレスの胸の奥で、エリスが小さく囁く。
(ふむ……ネプトの気配、昨日より落ち着いておるのう。わらわの魅了が、まだほんのり残っておるのじゃろう)
(うー、まだ効いてるの?)
アレスは心の中で再びブルーになりながら足を進める。
森を進むと、やや開けた場所に出た。
そこには教師が数名待機しており、簡易結界が張られている。
「ここが連携確認のポイントだ!」
主任教師が声を張り上げる。
「これから班ごとに、初級モンスターとの実戦訓練を行う。相手は『フォレストウルフ』と『スラッグリザード』だ。どちらも危険度は低いが、油断すれば怪我をするぞ」
ネプトが小声でアレスの耳元につぶやく。
「ウルフって……犬くらいの大きさだよな? 大丈夫だよな?」
「大丈夫。僕たちならできるよ」
アレスは落ち着いた声で返す。
「よし、第3班。行こう」
4人はいっせいに深く息を吸い、森の奥へと足を踏み入れた。




