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第四十九話 死神の異名をもつ男

 魔界の深層では、いま大きなうねりが起きていた。

 大将軍ユピテルが次代魔王として即位することは、魔界のほぼ全勢力が認知する既定路線だった。

 だが、即位の儀はまだ行われていない。

 理由はひとつ。

 エリス派の残党が、完全には沈黙していないからだ。

 ユピテルは魔界軍の最高司令官として実権を握りつつも、あえて魔王の座に就くことを先延ばしにしていた。

 その間に、自派の体制を固め、反対勢力を根こそぎ排除するためである。

 そして、その粛清を主導しているのが、妻であり、魔界の策略家として恐れられるユノーだった。

 ユノーにとって、エリスの存在はただの反逆者ではない。

 女魔族として相性がもともと悪く、やり方で対立することもしばしばあった。

 だが、エリスの実力が圧倒的に上である以上、ことごとく自分の意見は通らない。

 いわば、私怨に近い気持ちがあることも事実である。

 そのエリスが生きている限り、どれほどユピテルが力を持とうと「正当な魔王はエリスである」という声は消えない。

 ましてや、エリスが復位を狙う可能性がある以上、ユノーは一瞬たりとも油断できなかった。


「エリスが完全に消えなければ、ユピテルの王権は揺らぐ……あの女を野放しにするわけにはいかない」


 ユノーはそう断じていた。

 だからこそ、スコルピアら三名の刺客を送り込んだ。

 三名の刺客――スコルピア、キャンクロー、ピュートン。

 いずれも魔界屈指の実力者であり、通常ならば暗殺任務に失敗するような者ではない。

 それが、三名同時に消息を絶った。

 ユノーは玉座の前に立ち、人間界の地脈を映し出す魔法陣に手をかざした。

 そこには、淡い紫の魔力痕が残っていた。

 エリスの魔力だ。

 だが、ただの魔力痕ではない。

 魔力の流れが二重に重なり、まるで「二つの魂が一つの器に宿っている」ような歪みがあった。


「……やはり、寄生しているのね」


 ユノーの声は低く、確信に満ちていた。

 スコルピアが最後に送った断片的な報告――


 ――《エリス、魔力、重ナル》


 あれは誤解ではなく、真実だった。

 エリスは人間に寄生している。

 魔力を分散し、痕跡を消し、刺客を返り討ちにしたのも、寄生先の人間を守るため。

 その人間こそが、エリスの力の源であり、弱点でもある。

 だがユノーは、寄生先そのものを狙うのではなく、寄生先の周辺を狙うべきだと判断していた。


「寄生主はエリスそのもの。下手に手を出して、これまでの二の舞は避けたいわね」


 ユノーは静かに笑った。


「ならば、寄生先の周囲を断つ。支えを奪い、孤立させ、精神を削り……寄生関係そのものを弱体化させるのが最も確実」


 寄生先の人間――アレスを直接殺すのではなく、アレスの周囲の人間関係、生活基盤、精神的支柱を切り崩す。

 それによって寄生関係を揺らし、エリスの魔力を不安定にする。

 その瞬間を狙えば、エリスは必ず弱体化して姿を現す。

 ユノーは深く息を吐いた。


「……この作戦には、暗殺者ではなく『策士』が必要だわ。寄生先の周囲を確実に刈り取れる者が」


 ユノーは玉座の間の奥にある黒い扉へと歩み寄った。

 その扉の向こうは、魔界軍総司令官――大将軍ユピテルの領域へと繋がっている。

 ユノーは扉に手をかざし、魔力で呼びかけた。


「ユピテル。あなたの部下を一人、貸してほしいの」


 扉の向こうから、低く重い声が響いた。


『……誰を望む?』

「死神の異名を持つ男――オルクスを」

『……あれを使うのか。寄生先の人間を殺す気か?』

「違うわ。寄生先の周囲を断つの。友人、家族、生活、信頼……寄生先が依存している環境を壊せば、エリスは自ら姿を現す。その瞬間をやる」


 沈黙が数秒続いた後、扉の向こうから重い足音が響いた。

 黒い霧が玉座の間に流れ込み、その中心からひとりの男が姿を現した。

 長身で、全身を黒い鎧に包み、顔には無表情の仮面。

 背中には巨大な鎌――魂を刈り取るための武器。

 その存在だけで、空気が冷え、魔力が震える。


「……呼んだか、ユノー様」


 その声は低く、冷たく、まるで死そのものが語りかけているようだった。

 ユノーは満足げに頷いた。


「オルクス。エースターに潜むエリスを探し出し、寄生先の周囲を断ちなさい」


 オルクスは静かに頭を下げた。


「承知した。魂の匂いを辿れば、寄生先の周囲はすぐに見つかる。だが拙速は禁物。きちんと順序だて、着実に刈り取っていこう」


 ユノーは執務時の椅子に腰を下ろし、冷たい笑みを浮かべた。


「エリス……今度こそ逃がさん。寄生先を守るために動いた瞬間、あなたは終わる」 


 ◆


 ユピテルとユノーは、魔界全土に向けて二つの方針を同時に進めていた。

 まず、エリス派であっても、ユピテルの即位を認め、忠誠を誓う者は処罰しない。

 むしろ積極的に取り込み、新体制の一部として利用する。

 これはユピテルの寛容さというより、ユノーの計算だった。


「敵を減らす最も効率的な方法は、味方にしてしまうことよ」

 

 しかし同時に、エリスの復位を望む者、エリスの帰還を信じる者、あるいはユピテルの即位に異を唱える者――そうした勢力は、容赦なく排除された。

 粛清は静かに、しかし確実に進んでいた。

 表向きは事故や失踪として処理されるが、魔界の者たちは皆、「ユノーの手が動いた」と理解していた。

 ユノーは、夫ユピテルの背中を見つめながら思う。


(あなたが魔王になるためには、エリスという影を完全に消し去らなければならない)


 ユピテルは強大な力を持つが、たとえ権力闘争には強かろうとも、政策や実務には疎い。

 だからこそ、ユノーが動く必要があった。

 エリスが生きている限り、魔界は二つに割れ続ける。

 ユピテルの即位は不安定なものとなり、魔界の未来も揺らぐ。

 そして――ユピテルとユノーには、魔王即位の先に見据える「とある目的」があった。

 それは魔界の未来を左右する大計画であり、人間界への再侵攻と深く関わっている。

 だが、その目的はまだ誰にも明かされていない。

 今の時点においては、ユノーはただ静かに、エリスの完全消滅を望んでいた。


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