第四十四話 反動と反撃
エリスは着地と同時に膝をつき、胸元を押さえた。
「……っ……これは……」
魅了の反動。
先ほど、キャンクローとピュートンを弱体化させるために放った魅了が、やはりアレスにまで届いてしまったのだ。
アレスと共有する心臓が、物理的にも精神的にも締め付けられるような痛みに耐えている。
(うぅっ……ち、力が……)
アレスはエリスの中でうめき声をあげ、苦しんでいる。
「……アレス……すまぬ……やはりわらわの魅了が……そなたに……」
エリスの魔力が、明らかに不安定になっていた。
魅了系魔法は、相手の精神に干渉するもの。
その魔力がアレスに触れたことで、アレスの精神が揺らぎ、魔力供給が乱れている。
その影響は、身体を共有するエリス自身にも跳ね返っていた。
「……魔力の流れが……大きく乱れておる……これでは……まともな攻撃も出せぬ……」
アーテーもマケもいない。
バフも回復もない。
完全な孤立状態。
その様子をしめしめと覗っていたスコルピアは毒針を構え、エリスの姿を見て薄く笑った。
「……なるほどね。魅了を使ったのは失敗だったみたいじゃない?」
エリスは睨み返すが、その瞳にはわずかな揺らぎがあった。
スコルピアは続ける。
「さっきいた人間の男の子。もしかして彼にも魅了がかかったんでしょ? あの子、あなたの魔力を支えてたんじゃないの?」
エリスの眉がわずかに動く。
「……よく見ておるのう……」
「暗殺者だからね。相手の弱点を見定めるのは得意なのよ」
スコルピアは毒針を指先で弾き、黒紫の毒を滴らせた。
そしてその毒針を指先で弄びながら言葉を放つ。
「まさか……魔王エリスが、こんなに弱るなんて思わなかったわ。あなた……人間に寄生して生き延びてたんでしょ?」
「……寄生、じゃと……?」
「そうよ。あの人間の身体に潜り込んで、魔力を吸って、自分の力を維持してた……違う?」
エリスは唇を噛む。
「……わらわは……アレスと融合しておるだけじゃ……寄生などではない……」
スコルピアは鼻で笑った。
「でも、見た感じ……あなた、あの子がいないと魔力が安定しないみたいね」
エリスの肩がわずかに震える。
「……っ……」
「さっきの魅了であの子の精神が揺らいだんでしょ? だからあなたの魔力も乱れてる。つまり――あなたは人間に依存してる」
エリスは歯を食いしばる。
「黙れ……!」
だが、その声にはいつもの威圧感がなかった。
スコルピアは毒針を構え、エリスの周囲をゆっくりと歩きながら言う。
「魔王エリスが……人間に寄生して生き延びてたなんて、誰が想像する? しかも弱くなっちゃって! 今のあなたを見れば分かるわ」
何本かの針が、エリスに向かって次々と放たれる。
エリスは空間を歪めて毒針を逸らすが、その歪みは弱く、針が頬をかすめて血が滲む。
「……っ……!」
スコルピアは笑う。
「ほら、図星。片割れがいなきゃ、あなたは魔力も安定しない。しかも部下もいないから、助けてももらえない。今のあなたは『ただのサキュバス』でしょう? ちがう?」
エリスの角が震える。
「……わらわは……魔王じゃ……」
「魔王? そんなの、今のあなたには似合わないわ」
スコルピアは毒針を構え、一気に距離を詰める。
「あなたを倒せるなんて思ってなかった。でも――今なら勝てる!」
エリスは魔力をかき集めようとするが、アレスの精神が魅了で揺らいでいるせいで、魔力の流れが乱れ続けている。
(ダメだ……全然、頭も体も働かない……やばいっ……)
(……アレス……そなたが……揺らげば……わらわも……魅了の影響を……断ち切る方法は……何か……何かないのか……)
エリスは歯を食いしばり、必死に魔力を練り上げる。
だがその姿は、かつての絶対的な魔王とは程遠かった。
スコルピアの毒針が迫る。
そのとき――エリスの脳裏に、ひとつの「答え」が閃いた。
(……そうじゃ……わらわには……もう一つの姿がある……エリスでありアレスでもある……第三の存在――)
アリス。
人化変身によってアレスと心までも融合したことで生まれた、人間の少女。
(……アリスになれば……魔族としての魔力の流れが一度リセットされる……魅了の影響も……アレスへの干渉も……すべて断ち切れる……!)
エリスは息を吸い込み、決意を固め叫んだ!
「アレスすまんっ!! ひとつになるぞぉおおおおっ!!!!」
(……!!?)
スコルピアが毒針を投げ放つ。
「終わりよ、魔王エリスッ!!」
エリスは胸元に手を当て、魔力の流れを強引に切り替えた。
「――人化変身!!」
紫黒の魔力が一気に収束し、エリスの身体を包み込む。
スコルピアの毒針が迫るが、その瞬間、エリスの姿が白い光に溶けた。
針は光の表面を滑るように空を切り、亜空間の床に突き刺さる。
「な……にっ!?」
光が収まると、そこに立っていたのは、明るいホワイトのワンピースに暗めのカーディガンを羽織った人間の少女。
エリスの面影を残しつつも、魔族の気配は薄れ、人間らしい柔らかさを持つ姿。
スコルピアは目を見開く。
「……なにそれ……人間……? いや……エリス……?」
アリスは胸元に手を当て、自分の鼓動を確かめるように言った。
「……ふぅ……魅了の影響、完全に消えた……これで……私、ちゃんと戦える……」
姿も、一人称も、わらわでも僕でもない、私――。
スコルピアが警戒しながら問う。
「……どういうことよ。魔王が……人間になったってわけ?」
アリスは首を横に振る。
「違うよ。私はエリスでもあるしアレスでもある。二人の心と体が重なって生まれた存在なの」
スコルピアは眉をひそめる。
「……心と体……?」
アリスは続ける。
「魔族の魅了は、魔族の魔力に依存してる。でも、私の魔力は、アレスの「光」とエリスの「闇」が混ざったもの」
アリスの両手のひらに、それぞれ白い光と黒い闇が同時に灯る。
「だから、魅了の影響は受けない。そして――」
スコルピアの顔が強張る。
「……魔族は……光の魔法に弱い……」
アリスは静かに頷く。
「そう。エリスには扱えなかった光の魔法……私なら使える!」
スコルピアは毒針を握りしめ、一歩後ずさる。
「……冗談でしょ……魔王が光魔法なんて……!」
アリスは微笑む。
「魔王じゃないよ。私、アリスだもん」
その瞳は、エリスの魔力をアレスの優しさが支えているような輝き。
新しい人格の光。
スコルピアは毒針を構え直し、低く呟いた。
「……いいわ。じゃあ、あなたは『人間のアリスさん』として倒してあげる!!」
アリスは一歩前へ踏み出す。
「来て。ここからが反撃の時間だよ」




