第四十一話 戦いの経験値
白黒の亜空間は、すでに何度も魔力の衝撃で波打ち、空間そのものが歪んでいるようだった。
だが、エリスは息を整えながら、額に滲む汗を指で拭った。
「……ふぅ……わらわの魔力、やはり落ちておるのう……」
エリス自身の魔力は、アレスとの融合の影響で大幅に低下しており、以前のように圧倒的な力で押し切ることができない。
そのため、戦いは想定よりも長期戦となっていた。
スコルピアは毒針を連射し、キャンクローは大鋏を振り回し、ピュートンは闇魔法で味方を回復し続ける。
一方で、アーテーは補助系の魔法を絶え間なく飛ばし、マケは影のように走り回って攻撃を入れ、エリスは空間を歪めながら攻撃魔法を撃ち続ける。
互いに一歩も引かない乱戦が続くと思われた。
しかし、戦いの経験値そのものは違った。
エリス、アーテー、マケ。
この三人は、魔界で寝食を共にし戦い続けてきた。
互いの癖も、呼吸も、魔力の流れも熟知している。
アーテーが魔法を放つタイミングに、マケは自然と動きが重なる。
エリスが攻撃する瞬間に、マケは死角を利用して敵の懐へ滑り込む。
アーテーは二人の動きを見て、必要な補助を一瞬で判断して差し込む。
言葉はいらない。
視線すらいらない。
三人の動きは、まるで一つの生き物のように連動していた。
対して――
スコルピアたちは暗殺者。
基本は単独行動。
仲間と連携して戦う経験は少ない。
ピュートンは後方支援に徹するが、前衛二人の動きに合わせるのがわずかに遅れがちで、強化魔法のタイミングが噛み合わない。
キャンクローは力任せの突撃が多く、スコルピアの毒針の射線を塞いでしまう場面もあった。
三人は確かに強い。
だが、チームとしての完成度には大きな差が存在した。
それにエリスが魔王の座に上り詰めたのは、魔力だけではない。
「……そなたら、魔王エリスを甘く見ておるのう」
エリスの瞳の奥に妖しい光が宿る。
サキュバス族としての本質、魅了。
アーテーも強力な魅了を持つが、エリスはそれをさらに上回る。
魔王になれた理由のひとつでもある。
だが、融合後は弱点が生まれた。
アレスと融合したことで、エリス自身が「女性魔族の魅了」にかかってしまうという致命的な欠点が発生したのだ。
メルクの使い魔・ラーレス戦で露呈したものの、未だ克服には至っていない。
そこで、アレスへの影響を避けるために、エリスもアーテーも魅了の発動を封印していた。
しかし、戦いが長引けば、今度は逆にアレスへの肉体的なダメージが避けられない。
「……アレスを苦しませるわけにはいかぬ。よりましな方法ならば――使わぬ理由はないのじゃ」
エリスがゆっくりと息を吸い込み、胸の奥から妖しい魔力を引き上げる。
「魅惑魔眼」
紫の光が瞳から溢れ、空間に甘い香りのような魔力が広がった。
スコルピアが目を見開く。
「……っ、これは……!」
キャンクローの動きが一瞬止まり、ピュートンの詠唱が途切れる。
「な……なんだ……頭が……ぼうっと……」
「くっ、魅了!? サキュバス族の奥の手か!」
スコルピアだけは女性であるためまったく効いていない。
だが、キャンクローとピュートンは違った。
キャンクローの大鋏が力を失い、ピュートンの黒魔法が霧散する。
「……エリス……お前……こんな……反則……」
「反則? 戦場に反則などないわ。そなたらがアーテーを狙った時点で、わらわは容赦せぬと決めておった」
エリスの声は甘く、しかし冷たい。
魅了にかかったキャンクローは、マケの攻撃を避ける反応が鈍り、マケの爪が肩口に深く食い込む。
「にゃっ……今にゃ!」
「ぐああっ……!」
ピュートンは魅了で集中力を奪われ、アーテーの浄化魔法に呪文を相殺され続ける。
「くっ……詠唱が……続かない……!」
スコルピアは必死に毒針を放つが、仲間が弱体化したことで攻撃の密度が落ちていた。
エリスは静かに微笑む。
「さて……ここからが本番じゃ」
魅了でキャンクローとピュートンの動きが鈍り、アーテーの補助とマケの高速攻撃、そしてエリスの攻撃魔法が噛み合い始めたことで、戦況は明らかにエリス側へ傾きつつあった。
スコルピアは毒針を握りしめ、歯を食いしばって状況を見渡す。
「……っ、まずい……! このままじゃ押し切られる……!」
彼女は暗殺者としての勘で悟っていた。
この三人は、魔力の強弱ではなく、連携の質で自分たちを上回っている。
その差が、じわじわと戦場に滲み出ていた。
「……なら……連携ごと断ち切ればいい……!」
スコルピアの瞳に、決意の光が宿る。
彼女は毒針を逆手に持ち替え、地面――いや、亜空間の床へと突き立てた。
「分断領域!!」
瞬間、白黒の空間に巨大な亀裂が走り、紫の光が爆ぜた。
エリスが目を見開く。
「……っ、これは……!」
アーテーが叫ぶ。
「エリス様、マケ! 離れて!」
しかし、もう遅かった。
亀裂は空間そのものを裂き、三人の足元を飲み込むように広がっていく。
「にゃっ……!?……引き離されるにゃ……!」
「くっ……空間が……さらに分割されておる……! 亜空間の中でやるとは無茶な……!?」
エリスが空間制御で抵抗するが、スコルピアの魔法は連携を断つことに特化しており、限界があった。
そして――空間が三つに割れた。
エリスは白黒の空間の一角へ弾き飛ばされ、視界からアーテーとマケが完全に消える。
別の空間では、アーテーがピュートンと向かい合い、魔力の風が渦を巻いていた。
「……ここは……私とピュートンだけ……!」
さらに別の空間では、マケがキャンクローと対峙し、互いに低く唸り声を上げていた。
「にゃ……タイマン勝負にゃ……!」
そして最後の空間では、スコルピアがエリスを見据えていた。
「これで……あなたたちの連携は使えない。1対1なら……勝機はある!」
エリスは静かに息を吐き、紫の瞳を閉じた。
「……なるほどのう。連携を断つことで、わらわたちの強みを消したか」
スコルピアは毒針を構え、口元に薄い笑みを浮かべる。
「暗殺者はね……『ひとりぼっち』の方が得意なのよ?」




