第四十話 3 on 3
視界が暗転し体の表と裏が反転したような感覚のあと、スコルピアたちの視界に広がったのは、薄暗く、白と黒が液体のように混ざり合う、底の見えない空間だった。
地面はあるようでなく、踏みしめても硬さがないのに沈まない。
空気は冷たくも熱くもなく、ただ「魔力そのもの」が満ちている。
ピュートンが息を呑む。
「……なんなんだ、この場所……!」
キャンクローは全身の毛が逆立つような感覚に、本能的な恐怖を覚えていた。
「足場が……ないのに、落ちない……ここ……普通じゃねぇ……!」
スコルピアだけは、震える声を押し殺しながら周囲を観察していた。
「……これは……亜空間……? 空間のはざまに引きずり込まれた……?」
その言葉を遮るように、空間の中心にひとりの女が立っている。
先ほど、自分たちをこの空間へと引きずり込んだ、エリスその人であった。
彼女の髪が、風もないのにふわりと揺れ、瞳は深い紫に光り、その周囲の空間がわずかに歪む。
エリスは静かに口を開いた。
「追い詰められておったのは、そなたらの方じゃ」
その声は柔らかいのに、空間全体に響き渡るような重みがあった。
スコルピアの顔が引きつる。
「……エリス……! どうやって……こんな……!」
エリスはゆっくりと歩み寄る。
足音はない。
だが、彼女が一歩進むたびに、空間が波紋のように揺れた。
「アーテーは囮じゃ。そなたらをこの場所へ誘い込むための、な」
スコルピアの喉がひくりと動く。
「……誘導された……? 私たちが……?」
「そうじゃ」
エリスは手を広げ、周囲の白黒の空間を示した。
「ここは、わらわが切り取った『隔離領域』 空間転移によって対象ごと空間を閉じ込めたのじゃ」
ピュートンが怒りに震える。
「閉じ込める……だと……!」
「うむ。そなたらは、もう逃げられぬ」
エリスの瞳が細められ、その奥に冷たい光が宿る。
「ここは、そなたらの墓場となるやもしれぬのう」
エリスの背後に、アーテーが立つ。
彼女もまた人化変身を解き、その身体には、エリスと同じくサキュバス族の魔力が流れ、皮膚の下で脈打つように見えた。
「さあ、覚悟しなさい。引導を渡されるのは――あんたたちよ」
マケもエリスの横に並び、尻尾のように揺れる魔力をふわりと立ち上らせた。
「……逃げられないにゃ。ここは、主様の領域にゃ」
一方、表から姿を隠したアレスは、半身の主導権を完全にエリスへと渡し、彼女の中で状況を見守っていた。
(エリスさんの作戦って、こういうことか。敵を一か所に集めて、収納魔法の上位版で一挙に亜空間へ引きずり込む。人間界でも魔界でもない空間だから、戦いの様子も、魔法の痕跡も何も残らない。おまけに力を抑える必要がないから、余計な被害の心配もない!!)
エリスは念を押して安心させるようにアレスに伝える。
「うむ、任せるがよい。わらわのこの領域は絶対じゃ!」
スコルピアは歯を食いしばり、必死に冷静さを保とうとする。
「……ふざけないで……! 私たちを閉じ込めて、数で押すつもり……?」
エリスは首を横に振った。
「違うわ。ここでは、わらわたちが本来の力を出せるだけじゃ」
そのとき、空間が震え、白黒の世界に紫の魔力が満ち始めた。
スコルピアの背筋に、冷たいものが走る。
(……まずい……! こいつ……本気で……!)
そのとき、ピュートンが最初に動いた。
杖を後方へ下げ、黒い魔力を両手に集めると、低い声で呪文を唱える。
「――黒力励起!!」
黒い霧がスコルピアとキャンクローへ流れ込み、二人の身体能力が一挙に上昇する。
スコルピアの毒針は黒紫に変色し、キャンクローの両腕はこすれるような音を立てて肥大化した。
「ふふ……これで一撃の重さが違うわよ」
スコルピアが毒針を構えた瞬間、ピュートンはさらに呪文を重ね、黒い霧をエリスたちへ向けて放つ。
「衰弱毒霧!」
だが、その霧が触れる前に、アーテーが杖を振り抜き、防御魔法陣を展開した。
「――浄化散風」
透明な風が吹き抜け、黒い霧をかき消す。
そのままアーテーは味方へ向けて呪文を重ねた。
「エリス様、マケ! 強化します!! 迅速強撃!!」
マケの身体が魔力の渦に包まれ、エリスの周囲の空間がさらに歪む。
「ありがとにゃっ……身体が軽いにゃ……!」
だが、強化を受けたスコルピアが、地を蹴った瞬間にはもうエリスの目の前にいた。
黒紫の毒針が雨のように放たれ、空間を裂く音が響く。
「――遅いわ」
エリスは指先を軽く振るだけで、毒針の軌道が捻じ曲げ逸らした。針は隣同士を飛ぶそれに衝突し、すべて跡形もなく消える。
「なっ……!」
「ここはわらわの領域じゃ。そなたの攻撃など、通用すると思ったか?」
スコルピアが舌打ちするより早く、キャンクローが強化された脚力で跳び、巨大化した大鋏をマケへ振り下ろした。
「にゃっ……!」
マケは紙一重で横へ跳び、大鋏が空間を切り裂く。
衝撃で白黒の床が波打ち、まるで地面が砕けたように見えた。
「逃がすかよ!」
キャンクローが追撃に移るが、マケは影のように滑り込み、キャンクローの足元へ爪を叩き込む。
「にゃあああっ!!」
魔力の爪が閃き、キャンクローの脚に深い傷を刻む。
「ぐっ……!」
その隙を逃さず、エリスが両手を広げ、紫の魔力を空間全体に満たした。
「――虚空閃雷」
紫の雷が空間のあちこちに走り、スコルピアとピュートンへ襲いかかる。
スコルピアは毒針で雷を弾き、ピュートンは黒い盾を展開して防ぐが、雷の余波だけで腕が痺れた。
「くっ……この威力……!」
「ふっ、わらわの攻撃魔法は、これでも本来の百分の一にすぎぬ。そなたらがまだ立っていられるのが、その証拠じゃ」
エリスの瞳が妖しく光り、空間そのものが彼女の呼吸に合わせて脈動する。
スコルピアは毒針を連射しながらエリスの死角へ回り込み、キャンクローは大鋏を振り回してマケを押し込み、ピュートンは黒魔法で味方を強化しつつアーテーへとデバフを飛ばす。
逆にアーテーは味方への補助魔法を唱えながらピュートンの呪文を相殺し、マケは影のように走り回りスコルピアやキャンクローへ斬撃を入れ続け、エリスは空間を歪め、雷・闇・風の複合魔法を放ち続ける。
白黒だった亜空間は、光と闇、毒と雷、魔力と衝撃が入り乱れ、まさに様々な色が乱れる混沌の戦場へと化していった。




