第三十九話 闇夜の川辺にて
夜の空気は昼間よりもずっと冷たく、そして静かだった。
アーテーはその静けさを活かすように、わざと人気のない方向へ歩いていた。
エリスを狙う連中に追われている――その気配を感じ取った以上、彼女は囮になる覚悟を決め、そのために、あえて「追いやすい獲物」を演じていた。
アーテーは、背後にまとわりつく気配を感じながら、足を速めずに歩く。
向かう先は、夜の川沿いの遊歩道。
アーテーやマケとともに、アリスの姿で買い物していた時に通った、あの道だ。
あの場所なら、エリスが瞬間転移で来られる。
そして、街灯もなく、結界が皆無で、敵としても自分を追い込みやすい場所だろうと踏んでの判断である。
おまけに、無関係な人間たちに姿を見られないというのも好都合。
アーテーは袖口に隠した小さな魔道具を指先で軽く弾いた。
微弱な光が一瞬だけ走り、空気に溶ける。
(エリス様、お願いします)
それは、エリスたちがみている魔法陣に送られている合図だった。
川沿いに差し掛かった瞬間、アーテーの背後で足音が止まる。
「……かかったわね、エイテさん……いえ、アーテー」
川沿いの遊歩道に差し掛かった瞬間、背後から知っている女の声が落ちてきた。
スコルピアが街灯の影から姿を現し、その両脇にはピュートンとキャンクローが立つ。
3人とも、完全に人化変身を解除し戦闘態勢だ。
アーテーも身構える。
「アン、貴女が刺客だったのね……」
「そうなの。魔界ではお目にかかったことはないけれど、スコルピアの名前くらいはご存じでしょ?」
「まぁ、ユノー配下であることを考慮すれば、後ろの2人も含めて順当な人選ではあるか……」
「では私たちがあなたの前に現れたってことは、目的はわかるわよねぇ? エリスの居場所を吐きなさい。言わないなら――あなたを人質にするだけ」
スコルピアの声は冷たく、しかしどこか楽しげでもあった。
アーテーは舌打ちし、距離を測る。
「1対3は、さすがに分が悪いのくらいはわかるよなぁ?」
「戦いでの連携攻撃の強さはお前もよく知っているだろう」
キャンクローは大ばさみで逃げ道を塞ぎ、ピュートンは素早く横へ回り込む。
そしてスコルピアは正面からじりじりと距離を詰めてくる。
完全に包囲された。
「さあ、どうするの、アーテー?」
「……あんたらに教えるわけないでしょ」
アーテーは焦っているようではあるが、当然というか、強がってみせる。
スコルピアが業を煮やす。
「じゃあ、力づくで――」
「……なんてね?」
アーテーの極限まで緊張していたように見えた表情が、百八十度方向転換し、あわよくばニヤつくような口元へと転換した。
その瞬間だった。
空間が裂けるように、光が走る!
「アーテーッ!!」
「……間に合ったにゃ!!」
空気が一瞬だけ歪み、そこに二つの影が現れた。
アレスとマケだ。
アレスはアーテーの前に立ち、スコルピアたちを睨みつける。
マケは無言でアーテーの肩に触れ、怪我がないか確かめるように魔力を巡らせた。
「お待ちしてました……」
アーテーは驚きと安堵が入り混じった声を漏らす。
「前に似たような作戦をやったことがあるって聞いてたけど、うまくいくもんだね!」
アレスは苦笑しつつも、目は鋭い。
マケは静かに言った。
「主様とは、あうんの呼吸ってやつだにゃ」
その言葉に、アーテーはちょっと照れた。
一方、スコルピアは舌打ちし、肩をすくめる。
「エリスでなくて人間の男? これじゃ……増えたところで、状況は変わらないわよ?」
ピュートンが杖を構え、キャンクローが鋏をじょきじょきと鳴らす。
実際、3対3になったとはいえ、アレスの能力を加えた「だけ」ならば、敵の方がまだ上手だ。
だが、アレスは一歩前に出た。
「ここは任せたよ、エリスさん!!」
すると、アレスの幻惑擬態が変化する。
「なっ!?」
刺客たちは思わずたじろいだ。
そこには完全なる魔王エリスの姿があったからだ。
黒紫の腰まで流れるような髪、優雅に弧を描く角、やや褐色な肌、ゆらゆら後部を踊る尾、そしてスタイルの良さも健在なまま。
スコルピア、ピュートン、キャンクローの三名は突然、人間がエリスに姿を変えたことで、絶句する。
もちろん、そんな敵の隙をエリスが見逃すはずもなく、すぐさま魔法を詠唱した。
「空間転移」
空間が裂け、足元が沈むような感覚が広がる。
スコルピアが驚愕の声を上げる。
「なっ……!? これは……!」
ピュートンもキャンクローも抵抗するが、エリスの魔力は容赦なく全員を飲み込んでいく。
エリス、マケ、アーテー、スコルピア、ピュートン、キャンクロー――
その場にいた全員が、闇夜の川辺から消えた。




