第三十六話 マケのパトロール
魔導植物園での騒動のあと、第3班はすぐに学校へ戻り、セレナ先生へ事の経緯を報告した。
ヴェスタはまだ少し震えていたが、医務室での診察の結果、魔力の乱れはすでに安定しており大事には至らなかった。
「……ご迷惑を、おかけしました……」
「気にすることはありませんわ、ヴェスタさん。あなたは何も悪くありませんのよ」
ディアナが優しく背中をさすり、アレスは黙ってヴェスタの荷物を持っている。
ネプトは報告書をまとめながら、アレスにだけ聞こえる声で言った。
「……やっぱり、普通じゃないね。あの魔力の乱れ方」
アレスは返事をしなかった。
胸の奥で、エリスが静かに息を潜めているのを感じていた。
魔道術専門学校はすぐに調査チームを派遣し、魔導植物園の全域を探索した。
だが──
「異常な魔力反応は、あの一件以外に確認できませんでした」
「植物園の管理者にも聞き取りを行いましたが、管理業者の出入り程度で不審者の目撃情報はなし」
「引き続き警戒は続けますが……現時点では『単発の事故』として扱うしかありませんね」
セレナ先生は眉をひそめたまま、アレスたちに告げた。
「皆は今日はもう帰って休め。特にヴェスタ、無理は禁物だ」
ヴェスタは小さく頷いた。
「は、はい……」
こうして本日は解散となり、それぞれ帰路についた。
部屋に戻ると、アレスはすぐにエリスと向き合った。
「……エリスさん。あれ、やっぱり普通の植物じゃなかったよね」
エリスは静かに頷いた。
「うむ。あれは闇魔法の一種……定点探査がかけられておった。魔族の黒魔導士が使う、簡易センサーのようなものじゃ」
アレスは息を呑む。
「センサー……?」
「触れた者の魔力を乱し、その反応を遠くの術者へ伝える。魔力の質、強さ、属性…そういった情報を拾うための術式じゃな」
アレスはすぐに思い出した。
「……じいちゃんも、ソル村の結界の周りに似たようなものを張ってたよね」
「うむ。あれは光の、もっと高度な術式じゃったが……目的は似ておる。誰が通ったか、を知るための罠じゃな」
「じゃあ……あれは誰かが意図的に?」
エリスは思案しながら答える。
「おそらく、刺客の手によるものじゃろう。魔力の集まる場所──つまり魔導植物園にばらまいたのは、魔力の質を測るためじゃ」
「魔力の質……?」
「うむ。断言はできぬが……わらわの気配を追っておる可能性は高い」
エリスの声は静かだったが、その奥には確かな緊張があった。
アレスは深く息を吐いた。
「……じゃあ、あれは罠のようなものってこと?」
「うむ。今回はお主の白魔法で打ち消してしまったが、本来ならば闇の魔力反応を見て、わらわを炙り出すつもりだったのじゃろう」
エリスは続けた。
「だが──光闇の混交状態にあるわらわたちには反応せん。クロノス殿の結界のようにな。わらわの姿を直接見つけられないがゆえの罠じゃったのだろうが。」
「……となると、次はもっと強い手を?」
「可能性は高いのう。刺客は焦っておる。そして……こちらの動きも探っておる。アーテーやマケにも警戒を強めさせんとな」
ここまで話を続けたエリスだが、そういえばマケの姿が隣室にもない。
「あやつは、また哨戒か」
◆
夕方のエースター。
石畳の路地を、黒い猫がしなやかに歩いていた。
マケだ。
尻尾をゆらゆら揺らしながら、時折立ち止まっては鼻をひくつかせ、周囲の気配を探る。
「ふんふん……今日も怪しい奴はいないにゃ。エリス様もアレス様も、安心して暮らせるにゃ」
散歩という名の偵察。
アレスたちが暮らすこの街で、危険な魔力の匂いがないかを確かめるのが、マケの日課になっていた。
人間たちは、マケをただの可愛い野良猫だと思っているし、実際、使い魔といっても猫そのものの姿で区別はつかない。
マケが魔界で生きていた頃、彼女の一族は「影走りの猫族」と呼ばれ、俊敏さと魔力感知に優れた小さな種族だった。
だが、前大戦で重宝され、一族はほぼ全滅した。
幼いマケは、瓦礫の中で震えながら、ただ生き延びることだけを考えていた。
そんな時だった。
「おや……まだ生きている者がおるとはのう」
黒いドレスをまとい、魅惑のまなざしを向ける女。
将軍エリスが、倒れかけたマケを抱き上げた。
「助けてほしいのか?」
マケは震えながらも、必死に尻尾を振った。
「……にゃ……」
エリスは小さく笑った。
「面白い奴じゃな。よし、今日からわらわの使い魔になれ」
マケは目を丸くした。
「にゃっ!? い、いいのかにゃ!? わたし……弱いし……他の猫族みたいに強くないにゃ……」
エリスはマケの額を軽くつついた。
「そこが面白いのじゃ。普通なら絶望して動けなくなる状況で、お主は尻尾を振って返事をした。そんな魔族、見たことがないからの」
マケはきょとんとした。
「……尻尾、振っただけにゃ?」
「うむ。泣きながら尻尾を振る奴など、初めて見たわ。死にかけているのに、まだ生きようとしている。
その図太さ、嫌いではないしな。それに──」
マケの小さな体を抱き上げ、額を撫でながら、エリスは笑う。
「お主、見ていて飽きないのじゃ。わらわの退屈しのぎにはちょうどいいしのう」
「にゃっ……! 褒められてるのかにゃ……?」
「褒めているぞ?」
「にゃふっ……!」
こうして、マケはエリスと使い魔の契約を交わし、今に至る。
◆
パトロールを続けていたマケは、ふと路地裏の空気が変わったことに気づいた。
(……にゃ? この魔力の匂い……)
微かに漂う、人間のものではない魔力。
その先には、倒れた木箱と、その下に挟まれた小さな影があった。
「にゃ……にゃあ……!」
マケが親しくしている近所の雌猫、白毛の「シロ」だった。
「シロ!? ちょっと、何してるにゃ!」
マケはすぐに駆け寄った。
木箱は重いが、倒れ方が不自然だった。
(……これは偶然じゃないにゃ。ロープが魔力で切られてる……わたしが通るタイミングで落ちるように仕掛けた罠にゃ)
これも刺客側の魔力感知センサーであった。
マケは木箱の隙間に潜り込み、シロの体を引っ張り出した。
「にゃあ……!」
「大丈夫にゃ、シロ。ほら、こっちに来るにゃ」
シロは震えながらマケにすり寄った。
マケは木箱の上を見上げる。
(……やっぱりにゃ。魔力の残滓……刺客の匂いにゃ)
シロが心配そうに鳴く。
「にゃあ……?」
「心配いらないにゃ。でも……これは放っておけないにゃ」
マケは木箱の上に残った魔力の匂いを辿り、路地の奥へと駆け出した。




