第三十話 アレスとエリス、上京する
入学式を翌日に控え、アレスはソル村の家で荷物をまとめていた。
「じゃあ、空間収納お願い!」
と、アレスは収納魔法をエリスに依頼する。
エリスが手をかざすと、家具も衣類も生活用品も、光の粒となって亜空間へ吸い込まれていく。
「やっぱり便利すぎる! 配達業者使わないぶん、安上がりだし。黒系統だから、人間がつかえないのが本当に残念だよ」
「これで荷物ゼロじゃな。体ひとつで上京というのも、よいではないか。道中を愉しむことこそ旅の醍醐味じゃ」
エリスは妙にワクワクしている様子。
その後、アレスは玄関先でクロノスに見送られながら、最寄りの鉄道駅へと向かった。
エースター行きなど、本来ならば瞬間移動で一瞬だ。
だが──
(アレス、列車に乗ってみたいのじゃ! あの鉄の箱が走るやつ!)
「……エリスさん、そんなに?」
(魔界には乗り物など、そもそもなかったからな。こういうのは新鮮なのじゃ)
アレスは苦笑しつつ切符を買い、ふたりは列車に乗り込んだ。
車窓から流れる景色。
山、川、街並み。
初めて列車へ乗車するエリスにとって、どれもが新鮮な体験だった。
(ほぉ……速いのう。魔力も使わずにこれほどの速度とは)
(エリスさん、窓に張り付かないで……)
(よいではないか! 心地よいのじゃ!)
アレスはエリスのはしゃぎっぷりに、思わず笑ってしまった。
◆
数時間後、列車がエースターの駅に到着すると、改札の向こうに手を挙げ待っている二人がいた。
「アレスどの! こちらです!」
「アレス様、こっちにゃ!」
アーテーとマケだ。
アレスは手を振り返す。
「ただいま、かな? 二人とも」
アーテーがおじぎをし、案内をする。
「とりあえずお部屋に向かいましょう。明日の支度もありますし」
そうして4人はアパートに徒歩で移動し、アレスは自室の鍵を開けた。
入室したアレスは、改めて部屋の中を見回し、呟く。
「いよいよ……独立、か」
「うむ、ようやく擬態せんでもよい時間を増やせそうじゃの」
そう言うと、エリスは幻覚擬態を解き、ふたりの本来の、半分こずつのボディが姿を現した。
アーテーが隣の部屋の壁を指さす。
「エリス様、アレスどの、こちらをご覧ください」
壁には複雑な魔法陣が描かれている大きなポスターのようなものが貼られていた。
「これ……?」
「壁面透過です。アレスどのの部屋と私たちの部屋を繋ぎ、すり抜けられます。対象人物は我々だけに設定してありますが」
マケが魔法陣を通して隣の部屋とを行ったり来たりしながら、得意げに言う。
「実質、部屋が二倍にゃ!」
エリスが満足そうに囁く。
「ふむ……これは良い。わらわの部屋が広くなる!」
「僕の部屋なんだけど……」
「細かいことはよい!」
アレスは苦笑した。
◆
荷物の部屋への搬入は、エリスの収納魔法によって、配置まであっという間に終えた。
4人での昼食を済ませたあと、アーテーが語りかける。
「エリス様、アレスどの。少し時間は早いのですが、共同浴場に行きませんか? この近隣の、ちょっとした名物なのです」
アレスが尋ね返す。
「共同浴場……?」
「アレスよ、アリスの姿で行くのじゃ! 女湯に入れるぞ! よかったのう!」
「エリスさん、声が大きい……! それじゃまるで僕がそういうものが好きみたいな感じじゃない⁈」
「違うのか?」
アレスは顔を真っ赤にして返答に困り、黙ってしまった。
そして、間髪を置かず、エリスが人化変身を唱えると、光が収まり、姿を変えたアリスはウキウキな表情でアーテーとマケに話しかける。
「大きなお風呂って久しぶりだから、すごく楽しみなのっ!!」
アーテーは手際よく、既にタオルやシャンプーなどの入浴セットを準備しており、一同はおしゃべりをしながら共同浴場へと向かう。
共同浴場は、エースター市街のあちこちに位置し、石造りだがコンパクトさもあって、庶民の憩いの場として親しまれていた。
更衣室は意外に広く、壁にはツルを乾燥させて作られた脱衣籠が整然と並び、天井のランプが柔らかい光を落としていた。
マケはロッカーを開けたり閉めたりして遊んでいる。
「アリス様、こっちの籠が広いにゃ!」
「マケ、遊ばないの」
アリスは鏡の前に立ち、髪を軽く整えながら自分の姿を見つめた。
「……こうして見ると、やっぱりアリスの姿って不思議ね。アレスでもエリスでもない、私」
アーテーは丁寧にタオルを畳みながら言う。
「アリス様、髪をまとめますか? 湯に入るとき邪魔になりますよ」
「そうね……お願いしてもいい?」
アーテーは器用にアリスの髪をまとめていく。
その手つきは、さすがに魔王城でも侍女として活躍していただけあって、手慣れていた。
マケはその様子を見ながら、自分の髪をぐしゃぐしゃにして真似をする。
「マケもまとめるにゃ!」
「あなたは短いから必要ないでしょ」
「にゃーん!」
アリスは思わず吹き出した。
準備を終えた三人は、籠に衣類を入れ、タオルを手に取って浴場の扉の前に立った。
アリスはふと、更衣室の静けさに耳を澄ませる。
木の床のきしむ音、湯気の向こうから聞こえる水音、ほのかな石鹸の香り。
「……こういう場所、好きだわ」
アーテーは優しく応じる。
「アリス様がそう言ってくださるなら私も嬉しいです」
マケは扉を押しながら叫ぶ。
「アリス様、早く入るにゃー!」
三人は湯気の向こうへと歩みを進めた。
「アリス様、こちらです。滑りやすいのでお気を付けください」
アーテーが浴室の扉を開け案内する。
マケはその横でタオルを抱えてぴょんぴょんしているが、案の定、つるんと足を踏み外した。
「にゃっ!?」
「ほら、言わんこっちゃない」
エリスとアーテーはあまりにも当然のように滑るマケに呆れている。
浴場は広く、湯気が立ちこめていた。
身体を洗い終えた3人は、湯に浸かり、ほぉっと息をつく。
「……気持ちいい……」
アーテーは隣で静かに語りかける。
「アリス様、肩まで浸かると温まりますよ。私も仕事前なので、ここで洗い流してから向かうんです」
マケは桶を浮かべて遊んでいる。
「主様、見てにゃ! 船にゃ!」
「マケ、はしゃぎすぎよ」
アーテーはふとアリスを見つめる。
「……アリス様は、本当に表情が豊かになりましたね」
アリスは少し照れたように笑う。
「そうかしら?」
「はい。昔のエリス様は、こんな穏やかな顔をされることが滅多にありませんでした」
マケも湯船から顔を出す。
「いまの主様は楽しそうだにゃ。そんなお顔が見られると、こちらも幸せになれるにゃ」
アリスは湯に沈みながら呟いた。
「……そうね。私も、今の自分が嫌いじゃないわ」
こうして、湯船のなかで3人のおしゃべりは延々と続いていくのだった。




