第二十八話 エースターの休日
この少女の声は聞き覚えがある。
「マケ……!? 人間の姿に?」
マケは胸を張る。
「集合住宅は動物禁止にゃ。だから人化変身で人間になってるにゃ!」
アレスは思わず笑ってしまう。
エリスはやや呆然としつつも納得した。
「なるほど……そういう理由か」
アーテーは少し気まずそうに言った。
「わたしたちも、エースターで潜伏する必要があり……この物件を借りていたのです」
アレスは相槌を打ち、二つの部屋の扉を見比べながら応える。
「木を隠すなら森、ですか」
するとエリスは、けしかけるようにアレスへ決断を迫った。
「アレス! ここにするのじゃ! アーテーとマケが隣におるのは都合が良い! 情報交換もできるし、いざという時の助けにもなる!」
「たしかに……そうだね」
こうして、アレスの新居が決まり、同時に隣人がアーテーとマケということも明らかになった。
その後、四人はアーテーの部屋に上がり、最近の状況を共有することになる。
アーテーは少し恥ずかしそうに言う。
「わたしは……夜は踊り子として働いています。潜伏しつつ、生活費を稼ぐために」
マケが補足する。
「アーテー様は人気あるにゃ。踊りも上手いにゃ」
アレスは驚きつつも納得した。
「アーテーさん、すごいんだね……」
「もともとアーテーはわらわと同じくサキュバスでな、姿を変えても魅了の力が奥底からあふれてきておるんじゃろ?」
エリスの解説に、アーテーは照れながら視線をそらす。
「い、いえ……生きるためですから!」
マケが表情を引き締め状況を報告する。
「魔王軍は、メルクの敗北で体制を立て直してるにゃ。大将軍ユピテルは、時間がかかる野望よりも……まず『主様の暗殺』を優先する方針に変えたにゃ」
アレスは息を呑む。
「エリスさんを……?」
アーテーも頷く。
「はい。人間界に新たな刺客を送り込んだようですが……誰なのか、規模もわかりません。私たちも魔界へ戻れなくなってしまいましたから……」
エリスは静かに呟いた。
「……ユピテルめ。わらわを消すことが、そんなに重要か」
主な情報交換を終えたあと、エリスはふっと真剣な声で言った。
「……潜伏の必要性が増したのう。マケが使っておった人化変身、久々にわらわも試してみるか」
「えっ、あれをまたやるの? なんか自分だけど自分じゃなくなるし、恥ずかしくて……」
「何を言うのじゃ! オルフェの腕輪をつけていても、アーテーとニケでは白系統の結界内には入れん。わらわたちで、じかに潜り込まねばならん時もあるやもしれぬぞ?」
エリスに正論を突き付けられてしまったアレスは、しぶしぶ同意する。
「人化変身!!」
エリスが唱えると、アレスの身体が淡く光り、魔力が形を変えていく。
アーテーとマケが息を呑む中――光が収まると、そこには若い人間の女性が立っていた。
アレスの金髪からエリスの黒紫へと変わっていく長い髪、柔らかな表情、オッドアイでアレスともエリスとも異なる雰囲気。
そして彼女は、自分の胸に手を当てて名乗った。
「……私、アリス」
アーテーは完全に硬直した。
「えっ……えっ……エリス様……? アレスどの……? ど、どちら……?」
マケはまったく動じない。
「主様は主様にゃ。姿が変わっても、わたしにはわかるにゃ」
アリスは微笑みながらマケの頭を優しくなでる。
「ありがとう、マケ。あなたは本当に頼りになるわ」
マケは久々のスキンシップにゴロゴロと音を出し、得意げな顔をする。
「ふふふっ……当然にゃ!」
アーテーはしばらく口をぱくぱくさせていたが、やがて深呼吸し、落ち着きを取り戻してから話し始めた。
「……エリス様でもアレスどのでもない……しかし、どちらでもある……そのような存在……」
アリスは優しく頷く。
「そう。私はふたりが重なった、『アリス』」
アーテーはしばらく考え込み――やがて膝をつき、頭を下げた。
「……では、私はあなたをアリス様とお呼びします」
アリスは少し間をおいて、そしてにこやかに応えた。
「アーテー……ありがとう」
アーテーは顔を赤らめながら言う。
「い、いえ……あなたが主であることに変わりはありません。ただ……呼び方をどうするか悩んでいたので……これで決まりです」
しかし途中でまじめな表情へと変わり、話を続ける。
「アリス様がこの姿で生活するなら、周囲に説明する設定が必要です」
「設定? あぁ、追加設定ね!」
「え、はい。例えば……わたしはアリス様の『付き人』……など」
マケが手を挙げる。
「わたしは主様の『ペット』にゃ! あ、人間モードの時は『付き人その2』とか」
アリスは苦笑しつつも頷いた。
「なるほど……商家の娘以外にももう少し詰めておかなくちゃね。じゃあ、アーテーは私の付き人。マケは……まあ、マケでいいわ」
「にゃ!」
アーテーは収納魔法で紙とペンを取り出し、真剣にメモを取り始める。
「では、アリス様は外国から留学している商家の少女ということで……私はその護衛兼付き人……」
それを見たアリスは思わず吹き出しそうになる。
「アーテー、その癖、全然変わらないのね~」
◆
クロノスとの待ち合わせまで、まだ時間があった。
そういえば、物件探しにのめりこみすぎたせいで、まだ昼食も食べてはいない。
アリスは鏡の前で髪を整えながら言った。
「せっかくだし……首都を偵察しておきたいわね」
アーテーはすぐに察した。
「偵察……というより、街歩きを楽しみたいだけでは?」
アリスはむっと頬を膨らませる。
「ち、違うわよ。……まあ、半分くらいはそうだけど」
マケは人の姿のまま尻尾を振るように腕を揺らす。
「アリス様、街歩きは楽しいにゃ! わたしも行くにゃ!」
アーテーもまたか、といった体で観念したかのように頷いた。
「では、三人で行きましょう。エースターは広いですから、案内も必要でしょうし」
こうして、アリス、アーテー、マケの三人は、首都・エースター市街へと繰り出した。
昼時のエースターは活気に満ちていた。
魔導具店、露店、カフェ、書店……どこも人ばかりで、たくさんのおしゃべりが街を賑わせている。
アリスは目を輝かせながら言った。
「アーテー、あの店! 美味しそうな匂いがする!」
「はいはい、行きましょう」
三人は小さなカフェに入り、ランチセットを注文した。
アリスは最初に運ばれたスープを一口飲んで、ぱぁっと表情を明るくする。
「おいしい……! アレスの料理とは系統が違うけれど、これもいいわね!」
アーテーはその姿に思わず微笑ましくなった。
(……エリス様が、こんな顔を……)
マケはパンをもぐもぐしながら言う。
「アリス様、もっと食べるにゃ?」
「食べる!」
アーテーは苦笑しつつも、どこか嬉しそうだった。
ランチの後、三人は裏通りへ一歩入った服屋へ立ち寄った。
アリスは店内に入るなり、目をキラキラさせて花柄のワンピースを手に取る。
「アーテー! これ似合うと思う?」
「えっ、あ……はい。とてもお似合いです、アリス様」
「じゃあこれも! あっちのも!」
アーテーは完全に振り回されていたが、その表情はどこか柔らかい。
(……エリス様が、服を楽しそうに選ぶなんて……昔の魔王城では考えられらませんでした……)
マケは試着室のカーテンを開けようとして怒られる。
「マケ! 開けちゃダメ!」
「にゃ!? ごめんにゃ!」
次に立ち寄ったのは、可愛い雑貨やぬいぐるみが並ぶ店だった。
アリスは店内に入った瞬間、完全に目が点になった。
「…………」
アーテーが心配して声をかける。
「アリス様……?」
アリスは震える指で、棚に並ぶふわふわのぬいぐるみを指さした。
「……かわいい……」
アーテーはその光景に目を丸くした。
アリスはぬいぐるみを抱きしめ、頬ずりしながら言った。
「アーテー、これ買っていい?」
「も、もちろんです!」
マケは笑いながら言う。
「アリス様、完全に子どもにゃ!」
「うるさいわね!」
アーテーはその光景を見ながら、これまでの、エリスが魔王に至るまで道のりを思い出し、感慨にふけていた。
(……エリス様は、アレスどの融合している影響とはいえ、本当に楽しそう。変わられたのですね。こんな表情……初めて見ます)
アリスはぬいぐるみを抱えたまま、満足げに川岸の遊歩道を歩いていた。
「ふふ……今日は楽しいわ」
アーテーも頬が緩みつつ、返事をする。
「はい。アリス様が楽しそうで、私も嬉しいです」
マケも元気よく頷く。
「またいくにゃ!」
アリスは、川の向こう岸を見つめつつ小さく呟いた。
「……こういう時間が続けばいいのに……」




