第二十三話 早く酒が飲みたい
迷宮から逃れたアレスたちは、少し離れた岩場の陰で休息を取っていた。
焚き火の火がぱちぱちと音を立て、その光がアレスとエリスの半々な顔を照らす。
アーテーとマケは少し距離を置き、互いに視線を交わしながら、どう声をかけるべきか迷っていた。
すると、先にエリスが口を開く。
「……わらわは、転移先の魔法陣の暴走でこんなことになった」
アレスは苦笑する。
「僕も……まさか魔王と融合するなんて思わなかったけどね」
エリスは肩をすくめる。
「わらわもじゃ。だが、こうして生き延びられたのは……お主のおかげじゃ」
アレスは少し照れたように視線をそらした。
他方、アーテーは、エリスの説明を聞き終えると、複雑な表情でアレスを見つめた。
「……エリス様と融合している以上、あなたは『我が主の半身』でもあるわけです」
アレスは困った顔をする。
「えっと……やっぱり、やりにくい?」
アーテーは真剣な顔で頷いた。
「正直に言えば……とてもやりにくいです。あなたは人間であり、エリス様ではない。しかし、エリス様とは心臓をはじめ身体を共有している……」
アレスは言葉を失う。
アーテーは胸に手を当て、深く息を吸った。
「……ですので、私はあなたを『アレスどの』とお呼びします」
「どの……?」
「はい。主の半身として敬意を払う呼び方です」
エリスは満足げに頷いた。
「うむ、よい判断じゃ」
アレスは少し照れながらも、その呼び方を受け入れた。
一方のマケは、黒猫の姿で尻尾を揺らしながら言った。
「わたしは悩まないにゃ」
「え?」
アレスが振り向くと、マケは当然のように言い放つ。
「エリス様が主なのは変わらないにゃ。でも、主様とあなたは今、ひとつの身体にゃ。なら、あなたも『もう一人の主様』にゃ」
アレスは目を丸くする。
「主……僕が?」
「そうにゃ。だから、わたしはあなたを『アレス様』と呼ぶにゃ」
アーテーが呆れたように眉をひそめる。
「……あなたは本当に単純ですね」
「単純で何が悪いにゃ。忠誠は二つに割れないにゃ。なら、二人とも主にすればいいにゃ」
エリスは笑いをこらえながら言った。
「マケらしいのう」
アレスは苦笑しつつも、胸の奥が少し温かくなるのを感じていた。
その時――
地面が低く唸った。
「……っ!?」
アレスが立ち上がる。
迷宮の方向から、大量の魔力が噴き上がり、空へ向かって帯状に伸びていく。
アーテーが目を見開く。
「これは……魔法陣の暴走……!」
エリスは険しい表情で呟く。
「メルクが……最後に仕掛けたのじゃ」
アレスは不安げに空を見上げる。
「じいちゃんっ……!?」
そう不安がよぎった瞬間、魔力の帯の中から、一本の光の筋が飛び出した。
それは空を翔り、雲を貫き、地表へと消えていく。
マケが目を細める。
「誰かが、爆心地から跳んだにゃ?」
アーテーも息を呑む。
「……あれは光の魔法か……!?」
アレスはその光に見覚えがある。
「あれは、じいちゃんの迷宮脱出……!!」
ここでアーテーは深く頭を下げる。
「エリス様、アレスどの。わたしたちは、いったん別行動を取ります。村の結界から離れた場所で、後日必ず合流しましょう」
マケも尻尾を揺らしながら頷く。
「アレス様、エリス様。わたしたちも情報を集めるにゃ。ユピテルの動きは……どうにも不穏にゃ」
エリスは静かに言った。
「うむ。ユピテルの企みは、ただの下剋上では済まぬ。お主らも気をつけよ」
アレスは二人を見つめ、胸の奥に温かいものを感じていた。
「また会おう、アーテー、マケ」
アーテーは微笑み、マケは「にゃ」と短く鳴いた。
そして二人は転移魔法で姿を消すのだった。
二人との別れを済ませ、アレスが深呼吸すると、エリスがふっと微笑んだ。
「さて……アレス。また、お主の姿に擬態するぞ」
エリスは幻惑擬態を展開し、左半身が光に包まれる。
「やはり先代を倒したクロノスは流石じゃな。さあ、迎えに行くのじゃ!」
アレスは頷き、光の筋が落ちた方角へ走り出した。
◆
森を抜け、谷をまたぎ、アレスは一目散に進み続けた。
そして、光が落ちた地点にたどり着く。
「じ……師匠ッ!!」
そこには、地面に座り込みながらも無事なクロノスの姿があった。
クロノスはアレスを見ると、深く息を吐いた。
「……無事だったか、アレス。まったく……心配をかけおって」
アレスは駆け寄り、クロノスの肩を支える。
「それはこっちのセリフだよ……!」
クロノスは苦笑しながら答えた。
「メルクの魔法陣が崩壊した瞬間を狙い、わしは迷宮脱出を使ったんだ。同時に防御魔法を幾重にも重ねてな。間一髪ではあったが……どうにか生き延びたわい」
アレスは目を丸くする。
「そんな……一瞬で、同時に何個も魔法を……」
クロノスは肩をすくめた。
「サシの戦闘は苦手でな。仲間との連携がないと、わしの力も半分ほどしか出せん。あのメルクとかいう魔族……手ごわかったぞ」
アレスは胸が熱くなる。
(じいちゃん……本当にすごい……あんな状況で……)
クロノスは立ち上がり、杖を軽く振った。
「さて、帰るとするか。まだ魔力は残っているしな」
「えっ、飛行移動で?」
「もちろんだ、アレス。ここに来た時と変わらんよ」
アレスは驚きながらも頷いた。
「師匠の魔力の底って……本当にどこまであるんだ……」
クロノスは笑った。
「老いぼれと侮るでないわ!」
クロノスが飛行魔法を展開すると、風が巻き起こり、二人の身体がふわりと浮かび上がる。
アレスはクロノスの腕に支えられながら、空へと舞い上がった。
眼下には、崩壊した迷宮と、魔力の余波がまだ漂う大地。
アレスは小さく呟く。
「……帰ろう、じいちゃん」
クロノスは静かに頷いた。
「うむ。早く酒が飲みたい」
二人を乗せた風は、夕暮れの空へと溶けていった。




