第二十一話 そこにエリス様がいる限り
ラーレスの魅了がアレスの心臓へ流れ込み、その心臓と繋がっているエリスにも同じ衝撃が走る。
「……っ……アレス……わらわ……身体が……重い……!」
エリスの声は震え、魔力の流れが乱れていくのがアレスにも伝わった。
アレスは必死に踏みとどまる。
「エリスさん……! 僕は大丈夫だから……!」
自身も魅了により、立っているのもやっとなはずのアレスも、必死に声掛けする。
「違うのじゃ……魅了は……「心」を侵す魔法……お主の心臓が乱れれば……わらわの心臓も……乱れる……!」
エリスの魔力が弱まり、アレスの身体の動きも鈍くなる。
ラーレスは楽しげに笑った。
「ふふ……二人で一つなんて……可愛いじゃない。でもねぇ……弱点が丸見えよ?」
アレスは歯を食いしばる。
「くっ……!」
ラーレスは攻撃を急がない。
魅了の魔力を波のように送り込み、アレスとエリスの精神をじわじわと削っていく。
「アレス……意識を……保つのじゃ……眠るな……!」
「うん……でも……頭が……ぼんやりして……」
「魅了は……精神を溶かす魔法じゃ……わらわが一番よく知っておる……!」
アレスの視界が揺れ、足が震え、杖を握る手が汗で滑る。
ラーレスはその様子を見て、さらに妖艶に微笑んだ。
「ねぇ……あなたたち……もう限界なんじゃない?」
アレスは必死に立ち上がる。
「まだ……倒れてない……!」
「強がりねぇ。でも……あなたの中の魔王様は……もう限界みたいよ?」
エリスの声がかすれる。
「アレス……すまぬ……わらわ……魔力が……保てぬ……」
アレスの胸が締めつけられる。
「エリスさんっ……!」
ラーレスはアレスの苦悶を見下ろしながら、わざとらしく肩をすくめた。
「パーンがやられたって聞いた時は驚いたけど……あれはただの間抜けだったのねぇ。あなたたちを見て確信したわ」
アレスは意識を必死に保ちながら答える。
「パーンは……弱くなんか……!」
「弱いわよぉ? だって……あなたたちみたいなのに負けたんだもの。使い魔としては……最低よねぇ?」
エリスの声が震える。
「……貴様、アレスは!」
「ふふ……怒った? でもねぇ……あなたも同じよ。魔王だなんて言っても……魅了ひとつで動けなくなるんだもの」
エリスの魔力がさらに弱まる。
「……っ……!」
アレスは叫んだ。
「エリスさんを……馬鹿にするな!!」
だが、身体は動かない。
魅了が心を縛り、力を奪っていく。
ラーレスはゆっくりと手を上げた。
黒い魔力が渦を巻き、槍のように鋭く形を変える。
「じゃあ……そろそろ終わりにしましょうか。二人まとめて……眠ってちょうだい?」
アレスは動けない。
エリスも魔力が乱れ、制御不能。
「アレス……逃げろ……! わらわは……もう……!」
「駄目だよ、エリスさんと僕は『同じ心臓』なんだからっ……!」
ラーレスの黒槍が振り下ろされる。
「さよならぁ……エリスさまッ?」
そのとき――空間が裂けた!!
眩い光が走り、ラーレスの黒槍が弾かれた。
「なっ……!?」
アレスとエリスの前に、転移してきた二つの影が降り立つ。
ひとりは、本来の姿に戻ったエリスの側近、アーテー。
もうひとりは、猫の姿ながら俊敏な戦闘使い魔、マケ。
アーテーはエリスを庇うように立ち、冷たい声で告げた。
「……エリス様を此処まで追い込むとは。貴様、覚悟はできているのだろうな?」
マケは鋭い爪を光らせ、低く唸る。
「ラーレス……お前の遊びはここまでにゃ!!」
ラーレスは目を見開き、次の瞬間、怒りと焦りが入り混じった表情に変わった。
「……エリス様の側近……! なんでここに……!」
アーテーは静かに両手を正面で重ね、構えた。
「理由? それは……そこにエリス様がいる限り、御傍に仕えるのがわれらの役目!! 今ここで、お前を倒す」
エリスはかすれた声で囁く。
「……アーテー……マケ……来てくれたのじゃな……」
続いてマケも啖呵を切る!
「たとえどんな御姿であっても、主様は主様。ただ、それだけにゃ」
アーテーは冷ややかに答える。
「……あらぁ? あなたたち……魅了が効いてないのねぇ?」
「当然だ。女に魅了が効かぬことなど百も承知だろう?」
マケも尻尾を立て、鋭く睨む。
「お前の色仕掛けなんて、猫の毛ほども感じないにゃ」
ラーレスの笑みが引きつる。
「……チッ。次は、あんたたち? ほんと、エリス様の側近ってだけで調子に乗るわねぇ」
ラーレスは黒い魔力を槍状に変え、アーテーへと突き出した。
「なら……力づくで沈めてあげるわぁ!」
すると、アーテーは冷静に右手を軽く振る。
「煙状防壁」
闇の魔力を帯びた煙状のものが展開し、ラーレスの黒槍を弾き返す。
「なっ……!?」
マケがその隙を逃さない。
「隙だらけにゃ!」
狩りをするような構えから一瞬で跳躍し、ラーレスの背後へ回り込む。
「暗影鍵爪!」
黒い爪がラーレスの背中を切り裂いた。
「きゃああああああっ……!」
アーテーは冷徹に告げた。
「終わりだ」
黒い羽が散り、ラーレスの身体は霧のように崩れ落ちる。
「メルク……様……ごめ……なさ……」
断末魔は、虚空に溶けて消えた。
◆
アーテーは深く息を吐き、アレスとエリスのもとへ駆け寄る。
「エリス様、ご無事ですか!?」
アレスたちはまだ魅了の余波でふらつきながらも、必死に頷いた。
「すまなかった……恩にきるぞ……アーテー、ニケ……」
マケは胸を張る。
「当然にゃ。主様の魔力を感じたから、瞬間移動で追いついたんにゃ。それにしても、主様もだいぶ変わられたにゃ? でも、わたしたちの役目はどんな時でも変わらないにゃ」
アーテーは静かに頷き、しかしやや戸惑いつつ声をかけてきた。
「エリス様、とそこの人間。ここは危険です。急ぎ脱出しましょう」
だがその時――迷宮全体が低く唸り、黒い魔力がさらに濃く渦巻き始めた。
アレスは息を呑む。
「これ……まさか……」
エリスが低く呟く。
「……メルクが……動いたのじゃ」




