第十八話 忘れ去られた迷宮
ソル村からはるか離れた山脈。
険しい岩肌が連なるその奥に、古びた石造りの入口がぽつりと口を開けていた。
その入口は苔むし、アーチは崩れかけている。
この場所こそ、冒険者の間でもほとんど話題に上らない「忘れ去られた迷宮」と呼ばれる場所だった。
アレスはクロノスの魔力に抱えられ、空を滑るように飛行してここまで来た。
「うわ……すごい景色……こんなところにダンジョンがあるなんて」
「この山脈は険しくめったに人が寄りつかん。その割にモンスターは弱小でな。だからこそ、昔から腕試しの場として使われてきたのだ」
クロノスは懐かしむように目を細めた。
「わしも若い頃、ここで修行したものだ」
アレスは胸が高鳴った。
「じいちゃんが若い頃に挑んだ場所……僕もここで強くなれるかな」
内側でエリスが静かに囁く。
(気負うなアレス。この程度の迷宮など、今のお主なら朝飯前じゃ。わらわも見ておる)
アレスは深呼吸し、頷いた。
一方のクロノスは、入坑を前にして真剣な表情に戻った。
「アレスよ。ダンジョンでは『緊急事態は即撤退』が鉄則だ。命あっての修行だぞ」
「うん、わかったよ、師匠」
「よし。では行くぞ」
二人は迷宮の暗がりへと足を踏み入れた。
ーーだがこの最深層にこそ、メルクが人間界での拠点を構えていることを、エリスも含めた三人はまだ知らない。
◆
浅い階層は、壁は古びているが、罠も魔力の乱れもない。
現れるのはスライムや小型のゴブリンなど、初級者向けの小型で弱いモンスターばかり。
「アレス、来るぞ。構えろ」
「はいっ!」
アレスは杖を構え、火炎散弾を放つ。
火球は小さく収束し、一直線にゴブリンの眉間へ命中した。
「よし、次だ。間合いを詰められる前に撃て」
「了解!」
アレスは次々と魔法を放ち、モンスターたちを撃破していく。
エリスは内側で満足げに言う。
(ふむ……よい動きだアレス。浅層の敵なら問題ないな)
クロノスも腕を組んで頷いた。
「予想以上だな。魔力の収束が格段に良くなっている」
アレスは照れくさく笑った。
(エリスさんのおかげだけど……)
順調な滑り出しだった。
だが――
異変は、中層に差し掛かった瞬間に訪れた。
「……アレス、気をつけろ。この階層、魔力の流れが妙だ」
クロノスが足を止めた。
アレスも空気の重さを感じる。
「なんか……息苦しいような……」
エリスの声が鋭くなる。
(アレス、壁に近づくな。魔力が……歪んでおる)
その瞬間だった。
ガラガラガラガラッ!!
天井から大量の岩が落ちてきた。
「アレス、どけっ!!」
クロノスがアレスを突き飛ばす。
アレスは転がりながら避けたが――落石は通路を完全に塞ぎ、二人の間に巨大な岩壁が立ちはだかった。
「し、師匠っ!!」
「アレス!無事か!」
声は届く。
だが、姿は見えない。
クロノスが魔力を込めて叫ぶ。
「……これは自然の落石ではない。『誰か』が仕掛けた罠だ!」
続いてエリスもアレスの心に語りかける。
(アレス! この迷宮……闇の魔力で書き換えられておる!)
アレスは息を呑んだ。
クロノスはすぐに脱出魔法を試みた。
「迷宮脱出!!」
しかし――
魔法陣は一瞬光っただけで、すぐに霧散した。
「……封じられている……? 闇の魔力で、脱出魔法が阻害されている……!」
エリスも同じ結論に達していた。
(アレス、外へ出る魔法は使えぬ。この迷宮そのものが封印されておる!)
アレスは震える声で呟いた。
「じゃあ……どうすれば……」
クロノスの声が岩壁越しに響く。
「アレス!聞こえるか! 徒歩で脱出するしかない! お前はそのまま前進しろ! わしも別ルートから出口を目指す!」
「わかった!! 『緊急事態は即撤退』だね!!」
エリスが冷静に告げる。
「アレス、落ち着け。わらわが魔力の流れを読む。道を間違えぬよう導くぞ」
アレスは深呼吸し、杖を握り直した。
そして、歩き始めてから大した時間も経たぬうちに――通路の奥から、重い足音が響いた。
ドス……ドス……ドス……
「……なに、あれ……」
姿を現したのは、本来このダンジョンに出るはずのない、大型のアーマーゴーレムだった。
全身が黒い魔力に覆われ、目の部分が赤く光っている。
エリスが低く呟く。
「……アレス。あれは『闇の支配』を受けておる。通常のモンスターではない!」
アレスは震えながらも杖を構えた。
「じいちゃんと……合流しないと……!」
ゴーレムが咆哮し、アレスへ向かって突進してくる。
忘れ去られた迷宮は、その姿を変え、いよいよ牙を剥いてくるのだった。




