第十六話 アレス、基礎課程を修了する
クロノスが腕を組んで見守る中、アレスは深呼吸をして杖を構えた。
「……じゃあ、いきます。火炎散弾!!」
放たれたのは、火属性の初級魔法。
攻撃魔法の基礎中の基礎であり、アレスが最初に習った魔法でもある。
だが――その火球は、以前とはまるで別物だった。
小さく、無駄のない球体。
魔力の収束が極めて高く、放たれた瞬間に空気を切り裂くような鋭さを持つ。
速度も、軌道の安定性も、二か月前とは比べものにならない。
ボウッ!!
的に命中した瞬間、火球は一点に集中して燃え上がり、的の中心だけを正確に焼き抜いた。
クロノスの目が見開かれる。
「……ほう。これは……随分と精度が上がったな」
アレスは内心で冷や汗をかいていた。
(やば……抑えたつもりなのに……)
内側でエリスが静かに囁く。
(大丈夫じゃ。まだ「本来の力」の半分以下じゃからな)
(いや、それでも十分すごいんだけど……!)
続いて、クロノスは回復魔法を求めた。
「では、次は白魔導士としての本領を見せてみろ」
アレスは頷くと、エリスがアレス側である右腕に爪で小さな切り傷を作る。
そして杖を軽く振った。
「ーー傷部回復」
淡い光が傷口を包み、瞬く間に皮膚が再生していく。
以前はじんわりと時間をかけて治していたが、今は一瞬だった。
クロノスは思わず息を呑む。
「……治癒速度が段違いだな。魔力の流し方が洗練されている……」
アレスは照れくさそうに笑った。
「えへへ……自主練、頑張りましたから!」
内側でエリスが満足げに言う。
(よいぞアレス。わらわの教えをよく身につけたな)
(実際はエリスさんのコントロール修行のおかげだけど……)
一方、そんな喜ぶアレスをクロノスはじっと見つめた。
「……アレス。お前、たった二か月間でここまで伸びるとは思わなかったぞ」
アレスは肩をすくめる。
「僕も……なんか、急にコツが掴めたというか……」
クロノスは続ける。
「もともとお前は、魔力適性が高い。わしの血を引いている関係なく、な。だが……性格もあってか、能力の開花は遅いと見ていた」
アレスは苦笑した。
「……よく言われます」
「だからこそ、基礎訓練を長く課したのだが……どうやら、わしの想定を大きく超えてきたようだな」
クロノスは腕を組み直し、真剣な表情でアレスを見た。
「アレス。お前はもう、基礎段階を卒業してよい」
アレスは驚いて目を丸くした。
「えっ……!?」
クロノスは静かに告げる。
「次の段階に進むべきだ。実戦形式の修行を取り入れる」
アレスの胸がざわつく。
「実戦……?」
「そうだ。この地方には、初級者向けのダンジョンがある。そこに潜り、モンスターとの戦闘で経験を積ませる」
アレスは息を呑んだ。
(ダンジョン……! ついに、冒険者みたいなことを……!)
内側でエリスが静かに言う。
(良い判断じゃ。実戦経験は何よりの糧となる)
クロノスは続けた。
「もちろん、わしも同行する。危険は最小限に抑えるつもりだ」
アレスは胸の奥が熱くなるのを感じた。
「……はい! 僕、やってみたいです!」
クロノスは満足げに頷いた。
「よし。明日、準備を整えて出発するぞ。だがその前に、今晩は基礎課程修了を祝って、家でうまい飯でも食おうか!」
「はいっ!!」
アレスはガッツポーズをした。
だが、ふと我に立ち返り、内心でツッコミを入れた。
(今晩の料理をつくるの、結局、僕なんだけど……!?)
◆
夕陽が沈み、家の中に柔らかな橙色の光が差し込む。
アレスは台所でフライパンを振りながら、軽く愚痴をこぼした。
「……自分の修行の成果祝いを、自分で作るって……なんか、矛盾してるよね……」
すると、エリスの声が弾むように返ってくる。
「よいではないかアレス。お主の料理は絶品だし、わらわも味わいたいからな!」
「……エリスさん、なんかテンション高くない?」
「当然だ! 今の擬態の状態ならば、お主が食べる味覚はわらわのものでもある。二人で同時に味わえる……これはお得だぞ!」
「……なんか言い方が可愛いんだけど……」
「むっ、可愛いとは何だ! わらわは魔王だぞ!」
この魔王はそう言いながらも、声は明らかにウキウキしている。
アレスは苦笑しつつ、肉を焼き、スープを煮込み、サラダを盛り付けていく。
香ばしい匂いが部屋に広がり、ふたりの共有する腹が鳴った。
「……良い匂いじゃ……! ああ、酒も飲みたいが……お主の身体は受け付けぬのだったな……」
「成人したってのに……僕、お酒を鼻に近づけただけでダメなんだよね……」
「まったく、悔しいのう......」
アレスは肩をすくめながら、クロノス用の酒瓶をテーブルに置いた。
「じいちゃんの分は、ちゃんと準備しておかないとね」
料理が並んだころ、クロノスを部屋から呼ぶ。
クロノスは今も侵入した魔族対策に奮闘しているようだった。
「ほう……今日も豪勢だなアレス」
「えへへ……修行の成果祝いだからね」
「そうか。では、いただくとしよう」
修行中は「師匠」と呼ぶ決まりだが、家の中は完全にプライベート。
アレスは自然と「じいちゃん」と口にした。
「じいちゃん、スープ冷めないうちに飲んでね」
クロノスは目尻を下げて笑った。
「おお、久しぶりに『じいちゃん』と呼ばれたな。やはり家ではこれが落ち着くぞ」
酒を一口飲んだクロノスは、修行の時には決して見せない笑顔でアレスを見た。
「ところでアレス。あの杖、調子はどうだ?」
「あ、うん! すごく使いやすいよ。軽いし、魔力の通りもいいし……ありがとう、じいちゃん!」
クロノスは嬉しそうに頷いた。
「そうかそうか。出張先で見つけてな。お前に似合うと思って買ってきたんだ」
内側でエリスがしみじみと呟く。
(……良い祖父だな)
アレスは胸が温かくなるのを感じた。
酒が進むにつれ、クロノスの表情がどんどん柔らかくなっていく。
「ところでアレスよ……ヴィーナとは、どうなんだ?」
「ぶっ……!? な、なに急に……!」
アレスはスープを吹きかけそうになった。
クロノスはにやりと笑う。
「最近よく差し入れを持ってきているだろう? 修行を見に来る回数も増えておるし……ふむ、これはもしや……」
「ち、違うよ! ヴィーナちゃんはただの友達で……!」
内側でエリスが冷たい視線(?)を向ける。
(動揺が伝わっておるぞ、アレス!)
(う、うるさい……!)
クロノスはさらに追撃する。
「ほう、友達とな。だがなアレス、女の子が健気にも、毎日のように差し入れを持ってくるのは……脈がある証拠だぞ?」
「じいちゃん、酔ってるでしょ……!」
「酔っておらん。わしは常に冷静だ」
エリスが呆れた声で囁く。
(……完全に酔っておるな)
アレスは顔を真っ赤にしながら、肉を口に運んだ。
すると、エリスの喜びが内側から伝わってくる。
(うむ……この肉、絶品じゃ……! アレス、もっと食べるのだ!)
(僕のお腹の容量は決まってるんだけど……)
(ならば、わらわが代わりに味わうから問題ない!)
(いや、胃は一緒でしょ……)
(むぅ……理不尽じゃ……)
◆
ささやかな宴も終わり、クロノスは完全に酔いつぶれて部屋へ直行となった。
アレスも後片付けを終え、ひと段落したところで浴室へ向かう。
脱衣所で、エリスは幻惑擬態を解いた。
半々なふたりの姿が洗面台の鏡に映り、両者の目線が鏡を通して向き合う。
「いよいよじゃな……」
「うん」
明日から始まるダンジョンでの実戦訓練。
アレスには不安もあるが、エリスが優しく囁く。
「まぁ、なるようになるものよ」
「うん。僕もエリスさんを信じてる……」
「アレス、お主の力を測るのじゃから、まずは己を信じよ。油断は大敵だが、己の力は結局、己自身で引き出さねば意味がないのじゃ」
アレスは、エリスの言葉を激励と受け取った。
だが、エリス的にはせっかくのバスタイムに、いまの辛気臭い空気を持ち込みたくはない。
そこで声のトーンを変え、ややとぼけるようにアレスを急かした。
「それでは、出陣前の湯浴みといこうかの。ほれ、脱ぐぞ!」
「あー、もう!! ちゃんとそこは隠して!!」
アレスはまたか、とやや呆れ気味にランドリーバスケットにある手拭いを掴んだ。




