第十二話 同じ痛み
「……アレス。お主、絶望しておるな」
エリスの声は静かだったが、その裏にアレスの感情がそのまま響いている。
アレスは歯茎をかみしめた。
「……怖かったんだ。いまの、エリスさんの力が魔王のものだから、というのは嘘じゃない。でも、それ以上に、僕が……何もできなかったことが」
その言葉が、今度はエリスの胸を刺すように伝わる。
「何も……できなかった?」
「うん。ヴィーナちゃんを守るために、エリスさんが全部やってくれた。僕は……ただ見てるだけで……役に立てなかった」
アレスの無力感が、そのままエリスの心にも流れ込む。
エリスは息を整えながら言った。
「アレス……それは違う。わらわが動けたのは、お主がいたからじゃ。融合していたからこそ、力を制御できた」
「でも僕は……怖かった。エリスさんに全部任せて……自分だけじゃヴィーナちゃんを助けられないんじゃないかって」
エリスは静かに言葉を返す。
「わらわも同じじゃ。お主の恐怖が伝わってきて……胸が締めつけられた」
二人の感情は、境界なく混ざり合っていた。
「だからこそ……一緒に背負おう。お主の無力感も、わらわの畏れも。二人で向き合えばよい」
アレスは深く息を吸い、その言葉を受け止めた。
「……うん。ありがとう、エリスさん」
「よい。……さてと、このままここにおるのは危険じゃ。それに、ヴィーナのこともあるからな。この娘の記憶を少しだけ……柔らかくしておく」
エリスはヴィーナの額に手を当てた。
アレスの胸が痛む。
その痛みはエリスにも伝わる。
「……ごめん、ヴィーナちゃん……」
エリスは光と闇を混ぜた魔法を紡ぐ。
「――記憶修正」
ヴィーナの記憶から「アリスの戦い」の部分だけが削がれ、「笑顔での別れ」へと柔らかく書き換えられていく。
「行くぞ、アレス。痕跡を残すわけにはいかぬ」
ふたりはヴィーナを抱え、エリスが複数の魔法陣を展開する。
「物体修復」
まずパーンとの戦いで着いた両者の足跡や破壊された物体を元に戻す。
続いてーー
「瞬間転移!」
光が弾け、三人の姿はその場から消えた。
◆
「……ん……?」
ヴィーナが目を覚ましたのは、川のせせらぎが聞こえる河原だった。
「ここ……どこ……?」
頭がぼんやりしている。
アリスと別れたあと、何があったのか思い出せない。
「気がついた、ヴィーナちゃん」
声に振り向くと、そこには――アレスがいた。
幻惑魔法で姿を整えたアレスは、心配そうに駆け寄る。
「アレス……? どうしてここに……?」
「修行場所を変えようと河原に来たら、アリスちゃんのお父さんがヴィーナちゃんをここで見つけていて。……見守るよう頼まれたんだ」
アレスは優しく微笑んだ。
「怪我はない? 気分は悪くない?」
「う、うん……大丈夫……」
ヴィーナは胸を撫で下ろした。
「アリスちゃんは……?」
アレスは一瞬だけ目を伏せ、そしてゆっくりと答えた。
「……もう旅立ったよ。時間だからって。お父さんと一緒に。行くとき、ヴィーナちゃんをすごく心配してた」
「そっか……」
ヴィーナは寂しそうな表情を見せた。
「もっとお話したかったな……すごく楽しかったんだよ、アレス。アリスちゃん、すっごくいい子で……
また会いたかったなぁ」
アレスの胸が締めつけられる。
その痛みは、エリスにも伝わる。
「……うん。きっと、また会えるよ」
ヴィーナは立ち上がり、アレスに見守ってくれたお礼を告げると、手を振って帰っていった。
ヴィーナの姿が見えなくなったあと、アレスは深く息を吐いた。
「……エリスさん。ヴィーナちゃんの記憶……本当に、あれでよかったのかな」
エリスの胸にも、同じ痛みが走る。
「アレス、お主の気持ちは伝わっておる。わらわも……苦しい」
「でも……友達の記憶を勝手に変えるなんて……」
「わらわも痛んでおる。アリスとしてのわらわにとっても、あの娘は大切な友であったからな」
アレスの胸が熱くなる。
その感情は、エリスにも伝わる。
「……エリスさんも、つらいんだね」
「当然じゃ。あの娘の笑顔は……守りたいと思った。だからこそ、巻き込ませるわけにはいかぬ」
エリスが胸に手を当てると、アレスがさらにその上から自分の手を重ねた。
「……僕も、同じだよ」
エリスは応える。
「ならば、これでよい。わらわたちは……同じ痛みを抱えておるのじゃからな」
アレスは静かに頷いた。




