第十一話 そして火蓋が切られた
人間界の、こちら側で転移魔法が発動した地点から、そう遠くない森の奥。
刺客・メルクは、膝をついて地面に触れた。
「……魔力の残滓はまだ残っている。だが弱い。深手を負ったか、魔力を大きく消耗したか」
人間界は広い。
だが、重傷の魔王が遠くまで逃げられるはずがない。
「転移直後に暴発……その後、反応消失。ならば、この周辺に痕跡が残っているはずだ」
メルクは冷静に分析し、使い魔を呼び出した。
「いでよ、パーン。周辺の魔力反応を探れ!」
闇の霧が渦巻き、そこから現れたのは、額に一本の黒い角。
上半身は痩せた青年のようで、下半身はヤギのような獣脚を持つ獣人。
パーンは鋭い金色の瞳を光らせ、低く鳴いた。
「……キィ……」
そして、闇に溶けるように走り去った。
パーンは森を抜け、村の外れへと忍び寄る。
そこで――
異様な光景を目撃した。
強力な光属性の結界が張られた家。
その家から、二人の少女が出てくる。
ひとりは栗色の三つ編みの少女。
もうひとりは……
(……闇の気配……?)
パーンは木陰に身を潜め、鋭い嗅覚で空気を嗅いだ。
人間であるはずの少女から、魔族しか扱えないはずの「闇属性」の魔力が微かに漏れている。
(これは……主に報告すべきか……?)
だが、パーンは迷った。
メルクは冷酷だ。
「怪しい」と判断すれば、即座に殺す。
かといって、あの少女が何らかの情報を握っていたとしたら、むしろ捕らえ吐かせたほうがよいだろう、とも思った。
(……まずは自分で確かめる)
パーンは独断で追跡を開始した。
◆
女子会を終え、アリスとヴィーナは並んで歩いていた。
「今日は楽しかったね、アリスちゃん!」
「うん……すごく楽しかったよ」
アリスは微笑む。
だが、同時に背後に漂う「気配」に気づいていた。
(……誰か、つけてきてる? この気配……闇のもの……!?)
エリスの鋭敏な感覚が、アレスの慎重さと混ざって警鐘を鳴らす。
ヴィーナは気づかず、楽しげに話し続ける。
「いつかまた遊べたらいいなぁ」
「うん、そうだね……」
アリスは笑顔を保ちながら、魔力を静かに練り始めた。
そして二人がいよいよお別れをしようとしたとき。
「じゃあ、またこの村に遊びに来てよ――」
ヴィーナが手を振ろうとした瞬間。
空気が裂けた!
「……っ!」
アリスは反射的にヴィーナを抱き寄せ、横へ跳んだ。
直後、黒い影が地面を抉るように突っ込んできた。
「ギィィィィッ!!」
木陰から飛び出してきた使い魔に、アリスは見覚えがあった。
正確にはエリスの記憶から引き出された、獣人・パーン。
その爪は鋭く、闇の魔力を纏っていた。
「な、なにこれ……!? アリスちゃん、魔物……? 魔族……!?」
ヴィーナは震えながらアリスの腕にしがみつく。
アリスはヴィーナを背にかばい、これまで見せたことのない鋭い目つきでパーンを見据えた。
(……魔族の使い魔……! どうしてこんなところに……)
パーンは地面を蹴り、アリスの周囲を高速で跳び回る。
「ギィ……ギィィ……!」
その鳴き声には、明確な敵意と確認の意図があった。
(……私を狙ってる……? ヴィーナを巻き込むわけにはいかない)
アリスはヴィーナに囁いた。
「ヴィーナ、絶対に大丈夫だから……」
「アリスちゃん……怖いよ……!」
「大丈夫。守るから」
すると、アリスはヴィーナに向けて微笑み、一言だけ魔法の詠唱をした。
「睡眠効果」
ヴィーナは返事をする間もなく、その場に倒れかけた。
それをすぐさま、アリスが受け止める。
「ごめんね......ちょっとおやすみなさい」
そのとき、再びパーンが二人に襲い掛かる。
しかし、アリスはヴィーナを抱えたまま受け流し、道端の岩陰へ彼女を隠した。
そしてすぐに戦いの場へ戻り、パーンの気を引くため牽制する。
パーンはそれを見て、さらに警戒を強めた。
(……やはり闇魔法……! それにこの身のこなし、この小娘、何者ッ!?)
アリスは蒼い腕輪にそっと触れた。
魔力が静かに、しかし確実に高まっていく。
「あなた、よくも……ヴィーナを怖い目に合わせるなんて、絶対許せないっ!!」
彼女の強い言葉とともに、アリスの変身魔法が解け、その正体が露になる。
そこに現れたのは、魔界では誰もが知る顔。
だがその姿は半身にすぎず、もう半身は人間の男だった。
「ま、魔王エリス……アワワワワワッ!?」
パーンはまさに目が点になった。
奇妙な姿と化しているとはいえ、まさか、いきなり大本命にぶち当たるとは想定外だったからだ。
だが、こうなるとたかが一眷属である自分が敵う相手ではないことも、本能的に察した。
(……これは何としても、主に報告せねばッ! そのためには……)
パーンは黒い魔力を纏い、一目散に逃げだした!
しかし――
「逃さん……!!」
エリスは息を吸い込み、左手の指先から一転集中の魔力を放つ。
カッ!!!!
一筋の黒光は、逃れ行くパーンの速度を凌駕して背中へと直撃。
すぐにパーン全身へ魔力が広がったかと思った瞬間、彼の姿は灰となり消え去った。
「ユノーのやつめ……」
このときエリスと同じく、急襲への怒りを感じていたアレス。
だが、彼はこの戦いにおいてまったくの蚊帳の外だった。
ただわかったのは、自分の半身の規格外ともいえる魔力と、パーンを躊躇なく消滅させた容赦のなさに、改めて魔王としての畏れを抱いたこと。
そしてそれ以上に、幼馴染の危機を自分の力だけでは助けることができなかったという、事実と虚無感であった。




