Ep2-4:一郷恋波の中学生日記
天井に顔が浮いている。
きゃっきゃっと笑う、あどけない幼女の顔。首からは痩せ細った女性の体が繋がっていて、手足はまたぷにぷにとした幼児のものだ。
逃げたくても、目を反らしたくても、体が動かない。
気持ち悪い…… でも、気持ち悪いだけだ。
いい加減、慣れてしまった。もう何度目だか。
溜め息を吐きながら、倦んだ目で悪趣味なオブジェを見つめていると、
「ダメね、もう枯れたみたい」
疲れ果てた女性の声と、
「じゃあ、もう要らないな」
同じように疲れ果てて諦めたような、低い男性の声がした。
幼女の耳の辺りから、筋骨で節榑立った、毛深く逞しい男の腕が、めごり、と生える。
ただでさえ不自然な腕は、ずるり、とさらに不自然に伸び、恋波の首を、がしり、と掴む。
激痛と息苦しさが恋波を襲った。
「いやああああああアッ!!」
飛び起きる。
夢か。
じっとりとした寝汗。首に残る痛み。鏡を見れば、くっきりと指の痕。
「もう、いや……」
一郷恋波は泣き崩れた。
時計を見れば、草木も眠る丑三つ時。
四方木礼祀は、今も戦っているのだろう。人々の平穏を守るために。
そして、明日も学校で寝るのだ。
一言でも教えてくれれば、あんな……ストーカー呼ばわりして責めるようなこと、しなかったのに。
勝手に助けて、勝手に見捨てた、勝手極まりないヤツ。
信用してくれなかった級友たちを、未だに恨んでいるからか。
証拠も無しに人を犯罪者扱いして人権を踏み躙った屑共を、救う価値無しと判断したからか。
どちらにしろ、この街で恋波たち3年2組の生徒達だけは礼祀に助けてもらえず…… 故に、毎夕毎夜奇々怪々な連中に群がられている。
……いや、あの子だけは違う。
小輪雁夏水。あの子だけは、今も四方木礼祀の傍でのうのうと、ぬくぬくと、守られている。
あの子が何を成し遂げた?
四方木礼祀が寄って集って責められていた時、あの子は擁護のひとつもせずに下を向いて震えていただけじゃないか。まるで、本当にストーカー被害にあった人間みたいに脅えてたじゃないか。
翔流くんが「やっぱりああいうモテない男は犯罪に走るんだな」なんて言うから、「ほんとサイテーだよね。あんなヤツ死ねばいいのに」って話を合わせていただけの私と、どれだけ違うっていうの?
………………ああ、府玉田翔流。
「小輪雁夏水より君の方が可愛いよ」なんてローカルでクリティカルな口説き文句で女を誑かしてた最低野郎。
あんな奴に乗せられたせいで、私は……
あんな男に引っ掛かったのは、夏水より可愛いって言われたせいで。
あんな男にフラれたのも、夏水より可愛くなかったからで。
今でこそ逆怨みもいいとこだなって自分自身に呆れてしまうけど、その時はホントにホントに頭に血が上ってて。
仕返しだの制裁だの検索してたらネットフリマで見つけた、怪しげな呪いの看板を衝動的にポチってしまった。
月刊誌二冊分くらいの小包を自転車に載せ、寝不足で重い体に鞭打って走った。
平日昼間の住宅街の路地に人気は無く、見つかったところで子供の悪戯だと叱られるだけだろう。
ペンキを塗ったバルサ材のパーツ。釘も接着剤も使わず、凸凹を嵌め合わせていくだけであっという間に看板が組み上がった。安っぽくて笑ってしまう。
気が狂いそうなほどムカつく女の名前をマジックペンで書き入れる。日付や時間は大雑把でもいいと、取説に描かれた藁人形のマスコットが解説してくれた。
本当に事故に遭ったらおもしろいなーなんて思いながら、自室でくつろいでいたら……あの様だ。
風呂やトイレに入ってる時じゃなくて本当に良かったと思う。
7800円もしたのに。こんなことなら怪しげな除霊グッズでも買った方がよっぽどマシだった。
「……ホント、何やってんだろ、私」
それを説明して欲しいんだけど……と、友人が情けない声で訴えてきたことを思い出す。
……友人などとは、もう烏滸がましいか。
一言も私を責めなかったな、あの子。そんな余裕がなかっただけかもしれないけど。
ああ、もう! なんであの子ばっかり!
可愛いだけじゃんか、見た目と性格が!
守られるだけの女なんて、今時流行んないんだよ!
ああいう子が「割り勘が当たり前だよね?」とか言って女をダンピングするんだよ!
……ああ、もう、ほんとに。
結局は、四方木礼祀も、ああいうのがいいのか。
小輪雁夏水に興味を示さない希少な男子だと思ってたのに。「あいつホモなんじゃね?」などと言い出す矢追文花と笑い合ったりしたこともあったのに。
寝てるだけのコミュ障で、無害で無力な背景の一部だと思ってたのに。
それがお前…… 卑怯だろ。清掃員に変装した社長かよ。ワニガメのベッカム型擬態かよ。
パワーバランス考えて動くなんて誰でもやることだろ。強いなら強そうにしててくれよ。詐欺かよ。
……「なんでもするから許して」と四方木に泣き付いたクラスメイトの一人は、「頭も性格も悪いクズに何ができる」と罵詈雑言を吐き捨てられたそうだ。
私達が許してもらうためには、人権と法律に関する知識を身に付け、怒れるゴリラを見ても忖度せずに正義を貫く精神と肉体を養い、有能で信頼のおける人間に成長してみせる必要があるのだろう。
フザけろ異常者。陰陽師だかスーパーハカーだか知らないが、こっちはただの中学生なんだ。
本当に反省してるんだよ。あれから私はネットで炎上してる人をソースなしに叩くこともやめたんだ。
だから…… 3日で死ねとか、言わないでよ。
夏水にも…… ちゃんと、謝るからさ……
「ひぐっ…… ぐすっ……」
共働きの両親を起こさないように、少女は声を殺して啜り泣く。
明日は学校に行こう。
四方木にもう一度謝ろう。思ってることを素直に打ち明けてみよう……
(話を聞けって? 俺の話は聞こうともせずにストーカー呼ばわりしておいてか?)
(手土産も無しに謝罪に来て、償いもしない内から頼み事かよ。何のための謝罪だかバレバレじゃねーか)
(誰にでも過ちはあるだぁ? 何が過ちだよ確信犯だろーが)
(昔のことを根に持つな? 今の自分は違うってところを見せてから言えや)
(夏水を呪っておいて何が反省だよ。お前は生きてる限り他人に危害を加え続けるだけの危険人物なんだよ)
脳内の四方木から執拗な総スカンを食らい、恋波は逃げるように布団をかぶった。






