Ep1-1:小輪雁さんは美少女
幕戸屋は、この狗尾柄市の御当地バーガーショップである。
地方都市の街起こしの名残りにしては割りと繁盛しており、通勤通学の時間帯から少なくない人数が出入りして慌しい朝食を取っている。
そんな幕戸屋の前で、小輪雁夏水は四方木礼祀を待っていた。
待ち合わせである。誰が何と言おうと待ち合わせである。
一緒に行こうと言っても勝手にしろとしか言わない礼祀だが、夏水の足でも学校に遅刻しない時間に此処を通りがかるようになったのだから、これは合意に違いない。
以前の礼祀は遅刻寸前の時間まで姿を見せず、恐ろしく歩くのが速い彼の隣を朝から半泣きでランニングする羽目になったものだ。
小輪雁夏水、もうすぐ15歳。市立狗尾柄中学校に通う中学生。
1ヶ月ほど前に大量の欠席者と行方不明者を出し、一時は学級閉鎖に追い込まれた3年2組の生徒である。
夏水の友人も行方不明になってしまった。四方木礼祀をいきなりストーカー呼ばわりして暴言と暴力を振るい、返り討ちにあって担架で運ばれて以来、杳として行方が知れない。
夏水はまだ、その現実を受け入れられていない。悲しいとも寂しいとも、二度と会えないとも思えなかった。
帰ってきた彼女達が、また礼祀に変な言い掛かりを付けたりしないように、礼祀と仲良くなっておく。今の夏水はとにかくそれを最優先に考えるようにしている。
なので、ちょっと塩対応されたくらいで挫けたりはしないのだ。
今日も覚悟よし気合よしと礼祀を待つ夏水の姿に、通り過ぎる人々が二度三度と振り返る。
小輪雁夏水は美少女である。野暮ったい公立中学の制服に身を包み、中途半端に伸びた後ろ髪を適当に二つ結びにしているだけなのに、目にした人間の脳と心臓を星が飛ぶほどカチ殴るエロ可愛さの権化である。
そんな美少女が無防備に街角に立っていれば……
「ね、君、遊びに行かない?」
妙な男たちに絡まれても、何ら不自然ではない。
「えっ…… えっと、お、おはようございますっ」
小輪雁夏水は怖がりである。知らない人は取り敢えず怖い。男はもちろん、女子供に老人、犬猫に至るまで怖い。自慢じゃないが知らない人に付いて行ったことは一度もない。
怖いけれど、明ら様に怖がるのは失礼というものだ。下ろし立ての笑顔で知らない人にもおはようって言うのが小輪雁夏水の流儀である。
「いいねー、元気良くていいね。やっぱり中学生は疲れた感じが無いよね」
「その制服、狗中でしょ? 懐かしいわー」
男たちは大学生だろうか。赤い毛先のウルフカットと金髪スキンフェードの二人組。派手なピアスが遊んでいますと主張している。揃って長身で、見下ろされる威圧感に夏水は身を竦めてしまう。
「いいわー、めっちゃ可愛いわー。緊張しちゃってるのも初々しいわー」
「大丈夫大丈夫。俺達こう見えてもI学だし」
「そうそう、頭いいのよ。良くないことはやんないの」
地元じゃ旧帝大に次ぐ評価の大学名を挙げながら、二人は夏水を挟むようにポジショニングしてくる。
朝っぱらから通学路で中学生に絡むって結構良くないことじゃないの? そう思った夏水だが、口に出す度胸は無い。
「あっ、あの、学校がありますから……」
「何? 出席日数ヤバいの?」
「大丈夫大丈夫。義務教育って実は必要単位とか無いから」
「そうそう。学校のサボり方、教えてあげるよ」
「今の内に憶えとかないとヤバいよ? 君みたいな可愛い子は特に」
地味な見た目に、押せば行けると判断したか、男たちの手が馴れ馴れしく夏水の肩に伸びた。
これは大声出した方がいいんじゃないか、と思う傍から頭が真っ白になっていき、体が硬直する。
どうしよう、どうしよう。今まではやたらベタベタしてくる友人Aと、身長2mの友人Jがいたおかげで、こういう手合いに悩まされることなんてなかったのだ。
腕を引かれる。肩を押される。声も出せないまま、忙しなく歩く朝の人波から外れて路地へと押し込まれそうになった時……
「よー小輪雁。毎朝ご苦労さん」
欠伸しながら、四方木礼祀が姿を現した。
「何? 誰? おトモダチ?」
二人組は夏水から手を離すことなく、にこやかな顔を礼祀に向けた。
地味な髪、地味な顔、地味な靴、地味な着こなしに地味な体格。娑婆僧だと見て取った二人は一転して目力を強め、礼祀を凄むように見下ろして来た。
「邪魔しないでくれない? 今、お取込中だからさ」
「学校に遅刻したら先生に怒られっぞ、マジメくん?」
輩二人の視線を受けて、礼祀は、
「はぁ……」
心底怠そうに溜め息をついた。
人の悪意というものはやはり好きになれない。
いっそのこと地球圏から無くしてしまおうと思ったこともある。
その準備として、悪人を食べる神魔怪妖達に「お前の体、悪人を食べなくても生きていけるように改造していい?」と聞いて回ったら、概ねなんとも言えないイヤそうな顔をされた。とりあえず計画は保留にしている。
ああ、あの時もクソ親父は散々笑っていたものだ。思い出したら腹が立ってきた。
「っ!?」
一瞬放たれた怒気の異様な圧力に、二人組が思わず一歩下がる。
おっと、八つ当たりはみっともないな、と礼祀が頬を掻いて表情を緩めると、男たちの手から解放された夏水が転がるように礼祀の後ろへ逃げ込んできた。
ぎゅ、と、礼祀の制服が掴まれる。こひゅーこひゅーと浅い息を繰り返していた唇から、「ほっ」とも「ふう」ともつかない安堵したような長い吐息。
涙目で背中に縋りついてきた美少女に、礼祀は苦笑しながら手を伸ばし……
首根っこを捕まえて、二人組の前に突き出した。
「無断で人を盾に使うな」
子猫のようにぶら下げられながら、夏水は呆然とした顔で呆然とした男たちを見上げた。