婚約破棄された令嬢ですが、追放先は“ダンジョンの主”でした~魔物たちと癒し生活をしてたらなぜか王子が謝罪に来ました~
癒し系×プチざまぁ
みなさまの暇つぶしになれば
シャンデリアの灯が天井で煌めき、舞踏会の音楽と笑い声が満ちる王宮の大広間。
けれどその中央だけは、まるで冬の夜のように静まり返っていた。
「カトリーナ・ミレーユ・グランツ。君との婚約は、本日をもって破棄させてもらう」
第一王子アルヴィン殿下の声音は淡々としていて、どこか他人事のようだった。
周囲がざわめく。
色とりどりのドレスと装飾に包まれた令嬢たちが扇の陰で私を見ていた。
「カトリーナ。君は公爵令嬢でありながら、その行動は貴族としての品位をひどく欠いている。平民との接触が多く、王族としての私の立場を危うくしかねない」
並べ立てられる“理由”は、どれも私を否定するための飾りに過ぎなかった。
困窮した王都を立て直そうと私が一人の人間として向き合ってきた小さな善意は、国を統べる王子である彼にとっては恥だったのだろう。
一瞬だけ胸が締めつけられた。
だがその直後、さらに追い打ちがかかる。
「なお今後の処遇についてだが、君には“封印されたダンジョンの管理職”を命じる」
殿下の声はどこまでも冷たく、廷臣たちも当然の顔でうなずいていた。
名目上は役職付きの“栄転”なのだろう。だが実態は、誰も寄り付かぬ辺境の幽閉先に追いやるための方便だ。
けれど私はあえて微笑んで言った
「あら、それは責任重大ですわね。精一杯、つとめさせていただきますわ」
あまりにもあっさりした私の返答に、殿下も、周囲の貴族たちも目を見張ったようだった。私はスカートの裾を摘まんで軽く礼をし、その場を離れる。
こうして私の王都での生活はあっさり幕を閉じた。
それから数日後。
ゴトゴトと揺れる荷馬車に揺られ、私は“封印されたダンジョン”とやらの前に到着した。
案内役の兵士たちは無言で荷物を降ろすと、まるで疫病でも避けるように足早に去っていった。
石造りの階段を下って冷気漂う薄暗い洞窟を進むうち、不意に肌を撫でるような温かさを感じる。
魔力の気配だ。けれど、その波動はどこか優しく整ったものだった。
「どういうことかしら……?」
ダンジョンとは一般的に魔物の巣窟。
そこで感じる魔力など本来なら冷たく、重苦しいものであるはずなのに……。
不思議に思いながらさらに下へ。
そして最下層へと続く最後の階段を降りた瞬間、目の前にふわりと何かが跳ねた。
「ようこそ、主さま! 本日からのご在任、心より歓迎いたします!」
「え」
それは――スライムだった。
透明な体に小さな目と口。なのに言葉はやけに丁寧で流暢。
私は思わず目を瞬かせてしまった。
「ささ、こちらへどうぞ!」
「あ、うん……」
そのまま案内されるままに奥へ進むと、そこには想像を超える空間が広がっていた。
石壁には魔灯が整然と並び、ふかふかのソファ、銀縁の食器棚、魔道具のコンロとオーブンまで揃っている。
ダンジョンというより、まるで高級な山荘のよう。
そしてさらに驚いたことに、ゴウンと重たい音とともに現れたのは銀の盆にティーカップを乗せたゴーレムだった。
紅茶を私の前に差し出す仕草は、さながら由緒ある執事そのもの。
「…………」
ゴーレムさんが無言のままにそっと目の前に紅茶を差し出す。どうぞ――ということらしい。
私は戸惑いながらも一口含む。
「……おいしい」
なぜかはわからない。
けれどその紅茶の味は、私の人生の中でも一番と言ってほしいほどおいしいかった。
――もしかしたら、ここが私の居場所なのかも。
その瞬間、私はふとそんなことを思った。
◇◇◇
「主さま、主さま。起床報告の時間でございますよ!」
頭の横でぴょんぴょんと弾む声に、私はゆっくりとまぶたを開けた。
目の前にいるのは例のスライムさん。今朝も丸く光沢のある身体を揺らして、忠実な目覚まし役を務めている。
「ふあ……おはようございます、スライムさん。今日も元気ですのね」
「はいっ、主さまもお元気そうでなによりで!」
この子、ほんとうに感情が豊かでよく喋る。
初日は驚いたけれど、今では目覚まし時計より信頼している。
起き上がると、既に準備されていた紅茶の香りが鼻をくすぐった。
ダイニングの隅には茶色い土くれのボディをしたゴーレムさんが控えており、ゆったりとティーポットを傾ける。
「……今朝はダージリンですのね、ゴーレムさん」
ゴーレムさんは無言ながらカップをこちらに差し出す仕草が実に堂に入っている。
人間の執事よりも礼儀正しいかもしれない。
ふと窓際に目をやれば、そこには三つの頭を寄せ合ってぐっすりと眠るケルベロスくんの姿があった。
威圧的な姿なのに陽だまりでお腹を見せて眠る姿は、どう見ても大きな子犬でしかない。
「……ふふっ、案外悪くありませんわね、魔物との暮らしも」
ここに来る前に抱いていた不安などすでに消えていた。
むしろ私はいま、王都よりずっと穏やかな朝を迎えている。
ともあれこうして始まった私の“管理人”としてのダンジョン生活。
ダンジョン管理人――そう聞くと何をすればいいのか意味不明だけど、その実態は町などにある博物館や遊興施設の管理人とそう遠くない。
要は放置された内装などの環境を整えること……つまり快適なものにすればいいのだ。
しかも相手は人間ではなく素直な魔物たち。
なんと気が楽なことかしら。
王都にいた頃、私はいつか家を出る日を夢見て、帳簿の読み方や施設整備の基本を独学していた。
令嬢のたしなみにしては地味すぎると、散々笑われたけれど……。
「結局役に立っておりますわね。ふふっ」
まずは全体の構造を把握するため、スライムさんと一緒にダンジョン内の各階層を巡ることにした。
最下層こそ整っていたものの、上層は酷い有様だった。崩れかけた通路、埃をかぶった広間、散乱する古びた魔道具。
けれど、私は思ったのだ。
――ダンジョンだからって、必ずしも陰鬱でなくていいのでは?
ならば、と私は決めた。全面改修に乗り出しましょう、と。
「まずは食堂と浴場、そして訓練場も使えるようにしましょう。順番に、ですわ」
スライムさんは丸い身体を弾ませ、「了解でございます!」と元気に返事をする。掃除をし、壊れた床を直し、壁に明かりを灯していく。
重い扉の修繕にはゴーレムさんが無言で手を貸してくれた。
ケルベロスくんも瓦礫の中から器用に必要な部品をくわえてきてくれる。
そんな日々がしばらく続くと、次第に他の魔物たちから感謝の声が届くようになった。
やはり魔物であっても住む環境が快適なことに越したことはないらしい。
「主さま……なんだか住民の皆さまから“ありがとう”って言われると、うれしい気持ちになりますね!」
そう言ったスライムさんの声はどこか誇らしげだった。
「当たり前ですわ。魔物だって共に暮らす仲間。仲間に感謝されて嬉しくならない者なんておりませんもの」
あのとき王子に言われた――「貴族らしくない」――という言葉が頭をよぎる。
かつては腐敗した王都を立て直そうと奔走していた私。それにより貴族たちから不興を買ったりもした。その挙句が追放。
でも、ここには誰も私を否定する者はいない。それどころか私が整えた場所で誰かが喜んでくれる。それだけで胸があたたかくなる。
と、そんなときだった。
「?」
フロアに響いたカツンという足音に振り返る。
現れたのはボロボロのマントを羽織った若い冒険者だった。
鎧には傷が多く、どうやら道に迷って深層までたどり着いてしまったらしい。
「あ、あの……ここ、ダンジョンですよね? 襲われたりしませんか……?」
そう尋ねる冒険者の彼に、スライムさんがぴょんと跳ねて前に出た。
「ようこそ、当ダンジョンへ! 主さまにご挨拶なさいますか? それとも、まずはお茶とお菓子にいたします?」
「……は?」
呆気にとられる冒険者。
その間にもゴーレムさんが無言で盆を運んできて、ほのかに湯気の立つ紅茶とクッキーを差し出した。
しかもその横ではケルベロスくんが冒険者の足元にすり寄り、三つの頭を彼の膝に乗せてきた。
「え、なにこの……癒し空間……?」
「ご安心ください。当ダンジョンには人間を襲う魔物はいません」
「え……いやでも、ここダンジョンですよね?」
「ええ、それは間違いありませんわ。ただ、これは私の経営方針と言いますか……」
「経営方針……?」
キョトンとする冒険者。
はて、なんと説明するべきか。私はしばし考え、思いついた。
「はい。当ダンジョンは“封印されたダンジョン”改め――“癒しのダンジョン”として生まれ変わったのです。以後、お見知りおきを」
「癒しの……ダンジョン?」
冒険者が目をぱちくりさせながら呟く。
よっぽど驚いたのだろう。
う~ん、さすがに我ながら適当すぎたかな?
しかし、彼は戸惑いながらも紅茶を口にして顔をほころばせた。
「……あの、今度仲間も連れてきてもいいですか?」
私はその様子に微笑みながら頷いた。
「ええ、歓迎いたしますわ。魔物も人も、疲れたときはお茶を飲んで休むのが一番ですもの」
こうして“封印されたダンジョン”は、密かに“癒しのダンジョン”としての第一歩を踏み出したのだった。
そこから先はけっこう怒涛だった。
聞くところによるとあの冒険者の方が王都のギルドに帰るやいなや、色んな人にこのダンジョンでの体験談を触れ回ったらしい。
「魔物なのに襲って来ないどころか、お茶とお菓子まで出てきたんだ……!」
そんなハナシをあちこちで話して回った結果、“癒しのダンジョン”の名はすぐさま王都を飛び越えて国内のあらゆる冒険者たちの間に広まった。
そして今では毎日ひっきりなしに冒険者たちが、旅の合間の束の間の休息に……と当ダンジョンに立ち寄るようになった。
《癒しのダンジョン 最下層湯処&お茶処》
《入湯・休憩 一名二銀貨 茶菓子付き。魔物への暴力は禁止です》
私が入口に設置した手作りの立て看板。
ちなみにその下には料金箱も置いてある。
無人だが魔物たちが監視しているためか、今のところ料金未払いや賽銭ドロボウのような不正はない。
また、人間を一切襲わないということで魔物たちもいつしか人気者になっていた。
中でも一番人気はケルベロスくん。冒険者たちはその大きな身体を前にしながらも、撫でる、抱きつく、毛並みを整える……とやりたい放題。
「ああ、毛並みが気持ちいい……」
「ねぇ、あなた名前はあるの?」
「ケルちゃんって呼んでもいい?」
とある三人一組の冒険者パーティーが、各々3つあるケルベロスくんの頭を撫でまわす。
ケルベロスくんもまんざらではないようで、どこか甘えるような表情で寝そべっていた。
そんな様子を遠巻きに眺めながらスライムさんが呟く。
「お、おかしい……どう考えてもボクの方がプニプニでカワイイはずなのに……なぜなんです……!」
その姿を隣で見下ろしながら、私はスライムくんの頭を軽く撫でた。
「ふふっ、安心して。あなたも充分カワイイわよ」
口にしながら自然と笑みがこぼれる。
このダンジョンが“癒し”として機能しているのは、こういう魔物たちの優しさと素直さがあるからこそだ。
「ちなみに本日の来訪者数、百十一名です! 再訪希望者は八十名、初訪の感想は“スライムの言葉遣いが丁寧すぎる”が最多でした!」
ぴょこぴょこと跳ねながらスライムさんが読み上げるのは“利用者日報”。
実は彼、来客があるたびにきちんと記録を残していたのだ。(ホテルか?)
「ふふっ、あなた、もしかして前世は書記官でしたの?」
そんなふうに私は今日も魔物たちと、ダンジョンの片隅で静かな笑いを交わしている。
一方その頃――。
王都・宮廷内の小さな応接室。
午後の陽がレース越しに差し込むなか、茶会に興じる貴族たちの話題は最近耳にしたという奇妙な噂だった。
「なあ知ってるか? 近頃あの封印のダンジョンが冒険者たちの“癒しスポット”になっているらしいぞ」
「はは、そんなまさか」
「いえ、どうもウソではないらしい。なんでも魔物が茶を出すとか、客を膝枕するだとか……」
「そういえば、たしかあそこは以前にカトリーナ嬢が左遷された……」
「聞けば日に日に来訪者が増え続け、王都の高級宿屋すらしのぐほどの収入を得ていると……」
「なんと……!」
囁き合う貴族たちの背後で、ゆるやかに紅茶を口にしていた青年がいた。
第一王子・アルヴィン。あの日、彼女に婚約破棄を告げた本人である。
「……馬鹿な」
貴族たちの噂を耳にしながらアルヴィンが呟く。
続けて彼は隣に控えていた側近を手招きした。
「おい」
「殿下、いかがいたしましたか?」
「遠出をする。ただちに遠征の準備をしろ」
側近の耳元でアルヴィンが囁く。
その声は決して強い口調ではなかったが、眉間には微かに皺が寄っていた。
◇◇◇
それは私がゴーレムさんと朝の巡回を終えたときのことだった。
「主さま、大変です! ダンジョン入口に王都からお客様が……!」
「……王都から?」
いつになくピョンピョンと跳ねながら報告してくるスライムさん。
訝しみつつ玄関へ向かうと、そこにいたのは見間違えようもない人物だった。
旅装を纏い、風に乱れた金髪を整えようともせずに立っていたのは――なんとアルヴィン殿下だった。
数か月前、私を公衆の面前で婚約破棄しダンジョン送りにした張本人だ。
「久しぶりだね、カトリーナ。こうして会うのもずいぶん久しぶりだ。少しだけ話がしたいんだけど、いいかな?」
殿下がふわりと爽やかに微笑む。
王都でも随一と言われる彼の整った顔立ちから放たれるその笑顔は、社交界でも多くの淑女たちを魅了してきたものだ。
「話……ですか?」
「ああ、大事なものだ」
……だが私は知っている。
殿下がそういう笑顔を浮かべるときというのは、決まって何か下心があるときだ。
とはいえ相手は仮にも王子。
無下にしてまたどこかに追放されても困る。今の私にとっては、ここが唯一の居場所なのだから。
「……わかりました。ではどうぞこちらへ。ゴーレムさん、お茶の用意をしてくれるかしら」
私は殿下を応接室へと案内した。
そしてゴーレムさんがティーポットを運び丁寧に紅茶を注いだところで、彼はこう切り出してきた。
「まずは謝らせてほしい」
殿下は真っすぐに私を見つめながら言った。
「それは……いったい何に対しての謝罪なのでしょうか?」
「決まっているだろう。もちろん婚約破棄のことだ。あの時は我が側近の進言と、僕自身の未熟さで君を深く傷つけてしまった。本当にすまなかった」
そう言ってうつむく殿下の姿は、いかにも“誠実な王子”そのものだった。
「最近このダンジョンの噂が王都まで届いていてね。君の評判についても同様にだ。魔物と共に暮らし、経営も成功させているとか。本当にすごいことだと思う」
「まあ、王都まで……どおりでここのところ訪問者が増えているなと思ったら。管理者としてはとても光栄なことです」
「……それでだ。その話を聞いたとき、僕はようやく気づいたんだ。君のその誠実な人柄や魅力……そして自分自身の愚かな過ちに」
悔しそうに奥歯を噛む殿下。
私は黙って紅茶をひと口啜った。
「殿下の過ち……」
「ああ、そうだともカトリーナ。君は決して追放されるべき人ではなかった。それなのに僕は……いったいなんてことを!」
なおも殿下は続ける。
「なあ……カトリーナ。恥を承知で頼む。王都に戻って来てはくれないだろうか? 僕はもう一度君と向き合いたい。今度こそ、本当の意味で」
最後にそう告げると、殿下は再び私の目を真っすぐに見つめてきた。
私はしばしの間、それを無言で受け止めた。
「…………」
……さて、どうしましょうか。
正直なところ、私の答えはすでに決まっていた。
だがそれをどのようにして伝えるべきかが問題だった。
と、そのときだった。
「主さまっ! 突然ですが日報報告のお時間です! 申し訳ありませんが、この場でお伝えしてもよろしいでしょうか?」
ぴょこんと跳ねたスライムさんが勢いよく応接室に飛び込んできた。
空気をまったく読まないこのタイミング。さすがに殿下の眉がぴくりと動く。
「……今か? まだ話の途中なんだが――」
「構いませんわ。続きを聞かせてくださいな、スライムさん」
殿下の言葉を遮り私は答える。
するとスライムさんはぴょんと嬉しそうに一跳ねして日報を開いた。
「ではご報告します! 本日は見回りの際に冒険者たちから有益な情報を得られましたので、その内容をお伝えいたします!」
「有益な情報?」
「はい! 殿下に関する最近の財務情報であります!」
「なっ……!?」
聞き返した私にスライムさんが高らかに答える。
まさかの内容に驚愕の声を上げたのは殿下だ。
「財務……?」
私が首をかしげたのも束の間、スライムさんは張り切って読み上げはじめた。
「まず、王子殿下は現在六軒の酒場で未払いを続けております! 宝石商へのツケは五百金貨を超え、さらに新たな婚約者とは金遣いの荒さが理由で破局! それ以外にも多数の金銭トラブルを抱えている模様です!」
「がっ……ああっ……!」
突然の暴露とも呼べる報告内容に、殿下の顔がみるみる蒼白に染まっていく。
そして最後にスライムさんは言った。
「加えて先日王都のクラブで豪遊した際は、店員の女性及びその他の客たちに“癒しのダンジョンを利用して儲ければまだまだ遊べる”と発言していたとの証言も複数あったとのこと!」
パタンッと閉じられた日報の音がやけに大きく室内に響く。
私は静かに目を細めた。
「……なるほど。何か良からぬ企みがあって来たとは察していましたが、ご自分の利益のために私の人生をまた弄ぶおつもりだったのですね」
「ま、待ってくれカトリーナ! 今のは違う! 何のことかさっぱりわからない! お願いだ、信じてくれ! 僕は本当に──」
殿下は必死に弁解しようとしていたけれど、その声はケルベロスくんの低く唸る声にかき消された。三つの首すべてが静かに彼を睨んでいる。
この子のこんな顔はダンジョンに来て初めて見た。
「ひぃっ……!?」
殿下は椅子を蹴って立ち上がると、顔を真っ赤にして玄関へ駆け出した。
無様な音を立てて扉を開けたその後ろで、ゴーレムさんがゆっくりとそれを閉める。
「ふぅ……」
私は紅茶をひとくち啜り、深く息を吐いた。
「まあまあ、あんなに慌てて帰るとは。なにか急ぎの用事でもあったのでしょうか?」
スライムさんが小さく跳ねながら、どこか皮肉めいた声で言う。
「それで主さま? 王都にはお戻りになるのですか? 今ならば向こうも歓迎してくれると思いますが」
見上げたその顔はほんの少しだけ心配そうだった。
だから私はそっと微笑み、ケルベロスくんの頭を撫でながらこう答えた。
「ふふ……ありがとう。でも大丈夫。だって今の私には、守るべき居場所があるのですもの」
◇◇◇
あれから――私たちの“癒しのダンジョン”はますますの賑わいを見せている。
冒険者たちの間で「安全に泊まれて、茶菓子が出て、魔物が可愛い」と評判が広がり、今では昼も夜も誰かが訪れている状態。
受付係のスライムさんは大忙し、ケルベロスくんは相変わらず膝枕で寝そべり、ゴーレムさんは今日も黙々と紅茶を淹れている。
「お客様三名ご到着でーす! みなさまだいぶお疲れのようで、お部屋へお連れするなりパタンと倒れられてしまいました!」
そう言ってスライムさんがぴょんぴょん跳ねながら報告してくるのを、私は苦笑まじりに迎える。
「了解しましたわ。じゃあ“本日の紅茶”はハーブティーで、ミントを多めに入れて差し上げましょうか」
私の指示にゴーレムさんが無言でうなずく。
いつも通りの日常だ。
「それと主さま! 今朝のクッキー、サクサクほろほろで美味しいと冒険者のみなさんから評判でしたよ!」
「そう? なら、次回は少し多めに焼いておきましょうか」
魔物たちは今日も元気で、そしてなにより優しい。
人間と魔物がともに笑い合うこの空間が、私はたまらなく好きだ。
最近では他の種族の魔物たちもここへ集まり始め、紅茶を出したり、読書会を開いたりしてもてなしているうち、中にはここで働かせてほしいという者まで現れるほど。
冒険者の方々がときどき置いていってくれる贈り物やレシピ本なども増えて、いつしか棚からあふれ出しそうになっている。
不思議なものだ。
かつては“封印されたダンジョン”と呼ばれ人々に恐れられたこの場所が、今では“癒しのダンジョン”として知られ観光スポットのようになっているなんて。
そしてそんなこの地を最下層で司る私を、今や人々はこう呼ぶようになった。
――魔王様、と。
もちろん本物の魔王などではない。
ただの元公爵令嬢であり、魔物たちのご飯と掃除と紅茶を司る女主人である。
「私は幸せですわ。こんなにたくさんの笑顔に囲まれて」
そう呟いた私の隣でケルベロスくんが大きく伸びをし、スライムさんが嬉しそうに「主さま、なにかおっしゃいましたか?」と無垢な表情で問いかけてくる。
……平和で、穏やかで、でもちょっとだけ賑やか。
そんな日常が、今日もまた私たちのもとに続いていく。
最後までお読みいただきありがとうございます
もしそこそこ好評だったら長編も書いてみたいなとうっすら思っているので、設定や内容を気に入ってくれた方はよろしければ★評価やブックマークなどしていただけるととてもうれしいです(なお長編化するとしたらざまぁ要素より魔物たちと戯れるのがメインになるかと思います)