8 従者セラフィム
しばらくしてセラフィムが戻ってきた。彼は中庭に集まっている一同に丁寧に謝った。
「まあいいや」
最初にそう言ったのはサーキュラーだった。なんとも不服げな四大将軍達に彼はこう言った。
「こいつのせいじゃない。それになかなか楽しかったしな。天軍長とタメ張れるなんてそうはねえよ」
にっと不敵に笑う。しかし、と四大将軍の誰かが言うと彼は一喝した。
「うるせえな。この話はこれで終わりだ。分かったな」
「……はい」
次にあのー、と口を開いたのはハンスであった。彼はカゴの中で眠りこけている智恵の蛇を指差し、こう言ってきた。
「あれはどうしたらいいんですか。飼うんですか」
セラフィムは智恵の蛇のカゴの前までやってきた。魔王もそこまで歩いてくる。二人とも驚いているようだった。
「すみません。この蛇、なんで寝てるんですか」
セラフィムの質問にフーシャが答えた。
「おなかが空いていたようでしたので、卵とネズミをやりましたの。よく食べましたわ」
そうでしたか、とセラフィムが言った。魔王もそうだったのか、と感心している。とうとうフーシャは二人にたずねた。
「どうしたんですの、二人とも。そういえばなぜこの子は封印されていたんですの」
セラフィムが魔王の顔を見る。かまわん、と魔王は言った。
「この蛇、わたくしが落ちる時に一緒に巻き込んできてしまったんですよ」
そのことに気がついたのはセラフィムが魔王に拾われて一週間もたってからであった。セラフィムは魔王が拾ったが、この智恵の蛇は誰にも気づかれずに破戒の丘にいて、やがて通行人を襲って暴れだした。
「それで、わたくしが押さえ込んで魔王様が封じたんです」
休日を一日つぶして二人は蛇退治をした。魔王はちょうどその頃学校で封印の呪文を習ったばかりだったので、教科書を引っ張り出して川べりで封印球を作成し、この蛇を封じたのである。その封印球はセラフィムが遠くに捨ててきた。
「どこへ捨ててきた」
魔王が言うのは当然であろう。
「行き先をランダムにして遠投の呪文で飛ばしました」
たまにセラフィムはとんでもなく雑なことをする時がある。魔王は思ったが今回はまさにそれであった。
「いいんですかそれで」
一同がはらはらしているのにも気づかず、ハンスはセラフィムに言った。
「もう見たくもなかったんです。よくなかったのは確かですね」
一方のセラフィムはわりとのんびりとハンスに答えていた。
「それにしても……空腹だったんですね」
「気づかなかったな」
当時気づけば卵とネズミで飼えたであろう。魔王とセラフィムはそうだったのか、と感心しきりであった。しかし聖属性であるので、親に見つかれば捨ててこいと言われるのは間違いがない。
「じゃ、飼うんですか」
ハンスが言った。いえ、とセラフィムが答える。
「環境が違いすぎますから、ここに置いたら衰弱死しますよ。本来は天界の神殿最奥部に祀られてるものなんです」
「なんでそんな大事なものがここにあるんですか」
物怖じしないハンスの質問にセラフィムは少したじろいだようだった。あのですね、と言葉をつなぐ。
「わたくしはその時ちょっとトラブルを起こして、神殿の奥に閉じ込められていたんですよ」
「何があったんですか」
「今は言えません」
ハンスを除く全員がこの答えにほっとした。
なんとなく魔王とサーキュラーには想像がついた。おそらく何か言って唯一神の機嫌を損ね、飢えた蛇がうろつく神殿内部に放り込まれたのであろう。
「それでですね、逃げたんです。今は小さくなっていますが、この蛇、天界にいる時はわたくしの身長くらいあったんですよ」
「どうやって逃げたんですか」
「床を抜きました」
それで魔界まで落ちてきたというわけだった。ハンスはまだ何か聞きたそうだったが、さすがにサーキュラーが止めた。
「そろそろ勘弁してやれ。言いたくないことだってあるんだからよ」
「あ、はい」
そういえば、とセラフィムはハンスの手にある勇者の紋章のことを思い出し、ハンスに手を差し出させてその痕を見た。ほとんど痕は消え、薄く茶色い曲線が手の甲に見えるだけだった。
「もう流入路も閉じてますし、大丈夫そうですね。開いたままだと危なかったんですよ」
「……危ない? 何がだ?」
興味を引かれ、ファイが質問した。他の者も話に聞き入る。
「ここから直接人体に天界のエネルギーを流し込みますから、ずっと開いたままだと精神が焼き切れておかしくなるんですよ。だいたいリミッターをつけて痕付けするんですが、たまにそのリミッターが効かないのがあってそうなると大変なんです」
そこにいる全員が初めて聞く話であった。セラフィムはハンスの手をよく確認し、もういいですよ、と言った。
「そういえば聖剣って出てきましたか」
ハンスは古ぼけた銅のつるぎを出してきた。セラフィムは剣を受け取り、仔細に眺めた。
「量産型のつるぎを送ってきましたか。場所が場所ですからうまくいったら儲けもの、くらいの感覚だったんでしょうね。いりますか、これ。一応、選ばれし勇者のあかしですよ」
聞かれてハンスは首を横に振った。勇者なんぞまっぴらであった。
「じゃ処分します。いいですね」
セラフィムがそれを構えるとヴォン、と鈍い音がして真っ青に光り輝いた。
「うわ……」
ハンスが驚く。セラフィムは皆を少し後ろに下がらせ、さらに剣にエネルギーを流した。やがて剣からはビビリ音がしてきて、破裂音を立てて砕け散った。
「これでいいでしょう。どうせレプリカです」
サーキュラーがあきれたように言った。
「セラ、お前ものすごいことするな。通電で金属塊破壊するヤツ初めて見たよ」
セラフィムさーん、とみんなの後ろから声が聞こえた。サンダーであった。
「それ、どうやってやるんですか? 教えて下さい」
サンダーはもう夢中であった。すごい勢いで奥から出てくる。セラフィムがサーキュラーに怪我させたことなどきれいに吹き飛んでいた。
「その大きさでどのくらいの電流が必要なんですか? どこへ負荷をかけたらああなります?」
これできますか、とセラフィムは両手を広げ、その間に電流を流してサンダーに見せた。青白い光がスパークしてきらきらと光る。
「こうかな」
サンダーも真似をして両手を広げて通電する。距離は短いものの黄色い雷光が同じように光った。
「大丈夫ですね。後で教えますよ」
やったーと言いながらサンダーは少し下がった。ハンスが智恵の蛇を真ん中に運んできたからである。
「これ、なんとかしないといけませんね」
さっきから黙って見ていた魔王が口を開いた。
「お前が戻してくるのか、セラフィム」
「天界の奥神殿まで入れるのは、わたくし以外にいないように思います。魔王様でもお一人ではたぶん無理でしょう。戦闘に特化した御使いがおりますので。彼らは殺戮を躊躇しません」
「それほどか」
「はい」
ただ、と彼は話を続けた。
「聖痕を受けた人間がいれば少し違いますが。いきなり攻撃されることはありません。天に選ばれし者ですから」
魔王はそこで蛇のカゴを持ってぼけっと突っ立っているハンスを見た。他の者達も同じように彼を見た。
「ハンス、お前勇者だったな」
魔王は続けて言った。
「その蛇を持ってセラフィムと一緒に天界に行って来い」
「……はい?」
そうね、とワンダが同意する。サーキュラーは笑いながらハンスの肩を叩いた。
「天軍長が一緒だ。頑張れよ」
「あの、ちょっと皆さん、何言ってるんですか」
おろおろするハンスに容赦ない声が投げかけられる。
「いってらっしゃい、勇者くん」
「……頑張れ」
「魔王様じきじきのご命令よ。光栄ね」
あの、とハンスはフーシャのほうを見た。懇願する目だった。
「ハンスがいかないとまずいんですの?」
彼女は魔王にたずねてみた。
「いないとセラフィムと智恵の蛇が黒焦げになるが、それでもいいか、姫」
「それは困りますわ。いればいいのですか」
そうですねえ、とセラフィムが言った。
「初撃がなくなりますから、こちらから下手に動かなければまず大丈夫です。奥神殿に蛇を置いてきたらあとは戻るだけですし。出口でちょっと揉めるかもしれませんが、なんとかなるでしょう」
フーシャはその説明を聞いていたが、にっこりと笑ってハンスにこう言った。
「それならセラがついていれば大丈夫ですわ。何も心配することありませんのよ」
完全に退路を絶たれ、ハンスははあ、と一言だけ言った。智恵の蛇は相変わらすカゴの中でぐっすりと寝ていた。
セラフィムはハンスを奥神殿の入口まで送り届けると、自分は中に入らずにその場を去った。その間に用事を済ませようと思ったからである。ハンスについては全然心配していなかった。武器も持たせていないし、何よりも智恵の蛇を抱えている。彼が持ち出したその蛇を戻しに来た者であるので、うかつに攻撃されることはまずなかった。
「戻ってきてくれたのか、ゼラフ」
「蛇を返しに来ただけです」
御使いの報を受けて、唯一神が足早に歩く彼の前に現れた。実はあの騒ぎのあと、彼が魔界に戻ってからずっと、唯一神は御使いにメッセージを持たせてよこしていたのである。天界から魔王城まで来るのは並大抵ではないはずなのだが、それでも御使いは毎日のように彼が一人になる隙を見計らって、唯一神からのメッセージを渡してきたのであった。
「戻る気はありませんので、こういうことはお止め下さい」
セラフィムはさっき受け取ったメッセージを唯一神の目の前にかざした。そこには彼がいないとどんなに大変かということが切々とつづられていた。
「分かってもらえたか、ゼラフよ」
彼はその場でそのメッセージに電流を流し、消滅させた。同時にばちばちと火花を散らし、怒りとともに数十もの雷球が彼のまわりに現れた。ハンスがいたら腰を抜かしたであろう。うろたえた御使いが彼のまわりを飛び交った。
「また稲妻を食らいたいのですか」
唯一神の様子はまるで別れた女にすがる男のようであった。文字通りボルテージの上がってくるセラフィムに対し、御使い達が口々にとりなしにかかった。いわく許してくれだの悪気はなかっただのといった言葉である。
「悪気がなかったら何をしてもいいのですか」
さらに雷球の数が増える。またもやいかづちが落ちようとした時に、御使いの一人がすっとその間に入った。
「もうこの者にかまうのはおやめ下さい」
魔王と言葉を交わした御使いであった。その御使いは言った。
「この者はよそに主君を持ち、あなたを裏切りました。すでに天界の存在でもない者に関わりあうのは無駄なことです」
生意気な、と唯一神は言った。そしてこう言葉を続けた。
「そいつさえいれば私の支配は安泰だ。そのちからは私だけのために使われるべきだし、そいつは未来永劫私の元にいるべきなのだ」
セラフィムが雷撃を放つより早く、御使い達はぐるりと唯一神を取り囲んだ。
「では、我々は何なのです」
唯一神の表情が変わる。セラフィムは攻撃しかけたのをやめた。
「あなたが造り給いし我々は、いったい何だというのです。あなたのためだけに存在し、あなたのためだけに動く我々はあなたにとって何なのでしょうか。お答え下さい、主よ」
「何を言っている」
「お答え下さい。お答えによっては我々はあなたを切り裂き、自死を選びます」
御使い達の手には、反り返った刃を持つ大きなナイフが握られていた。縛められていたセラフィムの糸を切り払い、自由にしたナイフである。その切っ先は唯一神に向けられていた。
「お前たち……」
唯一神は頭を振り、目の前にいる御使い達をじっと見つめた。
「そうだったな。すっかり忘れていた。お前たちこそが私のただひとつのちからだった」
唯一神自身にはこれといったちからはない。その代わりに彼の意を汲み取り、どんなことでもやってのけるのが御使い達であった。彼はこつこつと御使いを増やし、そのちからでもって異教神群のたむろする天界を制圧したのである。
「この天界には今や我々とあなただけです、お気づきですか。他の神々はあなたに耐えかね、消滅、または逃亡しました。残っているのは取るに足らない者ばかりです」
御使いの一人が言った。唯一神がその御使いの顔を見る。
「それがあなたの望みだったはずです。なぜ今になってその者に執着するのですか。もはや神々でもない存在に」
唯一神は御使いの奥に見えるセラフィムに視線を移した。
そこにいたのは彼の知っている天軍長ゼラフではなく、軍服のような真っ赤なコートに身を包み、真紅の六枚翼を生やした最高位の魔族だった。おぞましくも禍々しい、かつての仲間達にそう呼ばれることをよく知った上で、あえて彼はその姿を選んだ。
「それは、降魔の赤か」
「その通りです」
「私のせいなのか」
「そうだとしたらどうしますか」
奥神殿の試練を潜り抜けてハンスが戻ってくる。セラフィムはそれに気づき、こう言い残してその場を去った。
「これ以上わたくしと魔界に何かするようなら、その時は容赦しません。あなたが今でも唯一神としていられるのは、わたくしが魔界にいるからだということをくれぐれもお忘れなきように願います」
唯一神の額に浮かぶ脂汗を御使いがぬぐった。震えの止まらないその体に毛布がかけられる。残され絶叫を上げる唯一神を、御使い達はかいがいしく世話をしていた。