7 帰還
魔王が、封印球が出土した報を受けて駆けつけたのは先に述べたとおりである。魔王とセラフィムが去った後、明日の準備と後片付けをしていたハンスは、封印球のそばに見たことのない長い剣があるのを見つけた。
「それまでどこにもなかったんです」
それは掘り返した柔らかい地面に斜めに突き刺さり、全身に青白い光を帯びて神々しく光り輝いていた。ハンスは思わずそれを手に取り、しげしげと全体を確認した。自分の手に浮かび出たのと同じ紋章がその剣には掘り込まれていた。
「これね」
ワンダがハンスから取り上げた剣をそこの地面に置いた。ハンスがあれ、という顔をする。
「これ、、こんなだったかな」
紋章こそ残っていたがハンスが見つけた時のような青白い光はなく、少し古くさいただの銅剣に見えた。特に神々しくもありがたくも思えなかったし、むしろ埃をかぶった遺物のように思えた。
「触っていいですか」
ハンスはまわりの同意を求めると、おそるおそるその剣を手に取った。何も起きなかった。少しの間手に持ってから、また地面に戻す。そして話し出した。
「そうしたら頭の中に、こう、なんていうか直接声が響いてきて……あの、分かりますか」
一同はうなずいた。ハンスはほっとして話を続けた。
「フーシャ姫のところにいる敵を殲滅せよ、ってなんかこう、命令されたんです」
「で、従ったと」
「はい」
まあいいけどね、とグランデが言った。しょうがないよ、とサンダーも答える。本人が覚えていなくては責めようもなかった。四大将軍達は天界の介入はともかく、ハンス自身についてはもういいことにした。勇者の紋章はあるが特に強かったわけでも、何かいかれた言動があるわけでもない。ごく普通の若者であった。
「それから記憶がないんです」
ハンスも困ったように言った。智恵の蛇は車座になって話し込む彼らの後ろで、満腹になって思いっきり寝ていた。ワンダがそっちを向いて言う。
「あれって意思疎通できるのかしら?」
「……無理だと思います。どう見てもただの蛇です」
智恵とはついているものの、異形なだけであとは普通の蛇である。魔獣ではあったが精霊でもなんでもないのが分かって、みんながっくりと肩を落とした。
「どうしてそんなものを封じていたのかなあ」
サンダーが言うとファイが言った。
「……危ないからだと思う。いっぱいの頭で食いつかれたらこわい」
その時風が吹いて、ファイのフードが外れた。まだ幼さの残る顔に、オレンジの髪とオレンジの細長い瞳があらわになる。ハンスは驚いた顔になった。
「火トカゲ?」
ファイはむっとした表情になり、また深くフードをかぶった。
「……悪いか」
いえ、とハンスは答えた。
「あの、びっくりして……すみません。昔絵本で見た絵にそっくりだったので」
ファイがそっちを見た。興味をそそられたようだった。
「……なんだそれは」
上空から突風が吹き荒れる。風が黒雲を運び、さっきまで晴れていたのが急に曇ってきた。皆は空を見上げ、そこに見知ったものを見つけた。
「サーキュラーですわ」
飛行糸につかまり、サーキュラーははるか高みからにっ、と一同に笑いかけた。そのままふわふわと降りてくる。黒雲は凝縮し、真っ黒なドラゴンに変わったかと思うと魔王の姿になった。
「魔王様!」
フーシャは立ち上がり駆け出した。泣きそうになりながら飛びついてくる彼女を、魔王はそっと抱きしめた。
ここからは魔王の話である。彼はサーキュラーの糸をたどって強引に天界の門をくぐり、裁きの間へとたどりついた。御使いらの攻撃もあったがたいしたことはなかった。何よりもセラフィムの反乱で、天界の武装兵達の大半が逃げ出してしまっていたのだった。
「セラフィム、ここか」
裁きの間で彼が見たものは瀕死のサーキュラーと本体に戻り怒り狂うセラフィム、それにいかづちに打たれ、ぐったりと倒れている唯一神と名乗る存在であった。残っているわずかな御使い達は片隅で震え、怯えていた。
「戻れ、セラフィム」
魔王が言ってもまったく効き目はなく、むしろ彼めがけて雷がばんばん落ちてくる始末であった。セラフィムは怒りにとらわれ正気を失ってしまっていた。
「ちっ」
これではサーキュラーを回収することもできない。大量の雷撃を受けてもこの場所が壊れないのは、ひとえに唯一神がセラフィムに合わせて作った場所だったからである。魔王はそのことを後ほど戻ってきたセラフィムに聞いた。
セラフィムの怒りの矛先が倒れている唯一神に向いた。まだ生きてはいるが、この状態でもう一度雷を受けたらひとたまりもない。セラフィムは大量のエネルギーを集め、巨大な雷球を作り出しにかかった。
「落ち着け」
やむなく魔王は本性に戻り、ドラゴンの姿となった。人のままでは耐え切れないからである。御使い達が恐怖で逃げ惑った。見たこともない凶悪な魔性だったからだ。彼はかまわずサーキュラーを引きずり、急いで裁きの間から外に放り出した。雷球が場外に出るサーキュラーを追撃する。それを打ち消し、彼はほっと一息をついた。
「そいつを連れて逃げろ」
ついで魔王は御使い達に警告を発した。御使い達が驚く。
おそらくこの一撃を撃たせれば落ち着くだろう、そう魔王は読んでいた。しかし彼は耐えられても御使い達は耐えられず消し飛ぶ。唯一神も同じだ。
「なぜ助ける」
御使いの一人が聞いてきた。魔王が答える。
「無駄死にする必要はない。逃げろ」
御使い達が近寄ってきた。我々は、と彼に言う。
「敵ではないのか。敵は殲滅するものだ」
魔王はふん、と鼻を鳴らした。
「お前達はそうらしいな」
セラフィムの雷球がさらに大きくなり、光を増した。どうにもならなくなり、魔王は御使いと唯一神をかばうような位置に立った。
「早く逃げろ。私でも耐え切れるか分からんぞ」
しかしもう時間がなかった。御使い達は彼の影に隠れ、倒れている唯一神の上に重なって少しでもダメージをやわらげようとしはじめた。
「その者が大事か」
魔王の問いに御使いの一人が答える。
「この者の本当の眷属は我々だけだ。何があっても我々はこの者を見捨てることはできない。たとえ自業自得と分かっていてもだ」
「知っていたのか」
魔王がたずねると御使いは言った。
「知っていたとも。この者が何をして、天界がどうなったかすべて知っている。それでも我々はこの者を見捨てることはできないのだ」
ふふ、と魔王は笑った。
「私もそこまで思い込まれてみたいものだ」
巨大な光球が彼らの前に出現した。世界は真っ白になり、原初の混沌を思わせる空白が彼らに襲いかかってきた。
誰かが彼のことを呼んでいた。久しく聞いていない、自分の本名だった。魔王位を継いだ時になくしてしまった自分の名前だ。半狂乱になりながら呼ばれるので、彼はとうとう目を開けた。
「ご無事でしたか」
真っ白な髪に真っ赤なコートを着た彼の従者がそこにいた。やっと元に戻ったか、そう思って彼は異変に気がついた。
「ここは?」
声が甲高い。時が巻き戻っているのだった。身を起こした彼は自分の手足が縮み、背も低くなっていることを知った。
「大丈夫だったの、セラフィム」
そう言った少年の彼をセラフィムはぎゅうっと抱きしめ、申し訳ありません、と言った。泣いているようにも聞こえた。
「僕は大丈夫だよ。心配しないで」
そして急速に時は進んでいった。
魔王が身を起こした横に、セラフィムはさっきの幻覚と同じ赤いコートを身に着け、ひざまずいて座っていた。夢を見ていたようにも思えたが、それにしてははっきりとしすぎている。魔王は自分の手足を確認し、今が少年時代でないことを痛感した。
彼はまわりを見渡し、倒れている御使い達とその下敷きになっている唯一神を見つけた。どちらも生きていた。
「申し訳ありません、魔王様」
硬直した声でセラフィムが言った。どんな叱責も処分も辞さない、そんな覚悟が見て取れた。
「元に戻ったか」
「はい。ご迷惑をおかけしました」
魔王は立ち上がった。
「サーキュラーはどうした」
「応急処置をして魔界に移しました。とりあえずは大丈夫なはずです」
「ならいい。立て」
「はい」
あの、とセラフィムは言った。
「わたくしは、これからどうしたらいいのでしょうか」
そっけなく魔王は答えた。
「お前のせいで予定が全部狂った」
「……申し訳ありません」
「なんとかしろ。城内もめちゃめちゃだ。早く後片付けをしろ」
セラフィムは魔王の顔を見た。
「はい。かしこまりました」
そして深々と頭を下げ、最上礼の儀を取った。