6 勇者ハンス
衝撃は魔界まで届いた。夜が明けかけていたが太陽は遠く、ぼんやりとしか見えなかった。四大将軍達はフーシャ姫の自室で護衛をしながら、世界の変化を見守っていた。
「何があったのです」
フーシャに聞かれ、四大将軍達はどう答えるか迷った。セラフィムが天界の長を断罪してしまったことを、なんと言って伝えればよいのか分からなかった。同時に消息の知れないサーキュラーのことも気がかりだった。あれだけの存在があっけなくやられてしまうとは思えなかったが、開放されたセラフィムのちからは巨大すぎる。
ワンダはかたわらのフーシャ姫を見た。そして言った。
「姫様は、魔王様の従者のことをどうお思いですか」
不思議そうにフーシャはワンダのことを見上げた。
「セラのことですの?」
「そうです」
考えながらフーシャは答えた。
「いい方ですわ、とっても。働き者で何でも気がついて、よく分かっていて、魔王様のことをいつも一番に考えてますわ。セラがいれば困りごとは何もありませんの」
それに、とフーシャは続けた。
「魔王様とサーキュラーが喧嘩しても、セラが止めに入ればすぐ収まりますの。魔王様に注意しているときもありますわ」
ワンダはかがみこんで、小柄なフーシャと目を合わせた。
「どうしてそうなのか、考えたことはおありですか、姫様」
ぱちぱち、とフーシャは大きな瞳を瞬かせた。そして言った。
「信用されているからですわ、ものすごく。魔王様はセラのことを信用していますし、セラが魔王様を裏切ることなど絶対にありませんわ。なぜそんなことをお聞きになるのです?」
ワンダははっとした顔になった。まわりでやりとりを聞いていたほかの将軍達も、じっとフーシャのことを見つめた。そして全員がふっ、と緊張が緩んだような顔をした。
「なんですの」
微笑を浮かべてワンダは言った。
「姫様は人間なんですね。そういう考え方があることを忘れていました」
他の三人が自分の武器を取り出し、ワンダとフーシャ姫を囲むようにして構えを取る。ワンダはそのまわりに水流を呼び集め、うねる水流で防御した。
「さすがにちょっといいところを見せないとね」
サンダーが雷球を飛ばし、笑いながら言う。
「戻ってきた司令にどやされるのはごめんですから」
グランデの竹定規が石の床に突き刺さった。ファイが火焔杖を振り、その周りに炎を揺らめかせる。
「……仲間達よ、出でよ」
彼女が召喚するとその炎の中に大小のサラマンダーが現れた。そのまま漂っていき、ワンダの水流籠の上部に飾りのように鎮座する。その炎の近くにはあまたの黄色い雷球が、まるでシャンデリアのように光っていた。
「敵襲ですよ、姫様。じっとしていて下さいね」
正面のドアが開けられた。目を焼くような青い光が侵入者の全身からほとばしり、フーシャは思わず目を閉じた。ワンダの操る水流が侵入者を直撃する。その水を伝い、黄色く輝く雷球が侵入者に絡みつき、その動きを奪った。ファイに統率されたサラマンダー達が侵入者に炎を吹きかける。侵入者は大きな剣を振り上げ、それらの攻撃を受け止めた。
「やるわね」
ワンダが二撃目を放った。侵入者の両手の甲から肘にかけて、燐光にも似た青い光で巨大な紋章が浮かび上がる。ワンダの水撃は跳ね返され、四方に飛び散った。フーシャはしっかりと囲われた水檻の中から、侵入者の顔を見た。
「……ハンスですわ」
思わず言うと、将軍達が矢継ぎ早に質問してきた。それぞれ片手に雷球だの火焔杖だの竹定規だのを振り回しつつ、しっかりと話しかけてくる。
「誰、それ?」
後ろに下がりながらサンダーが言った。ワンダの水流籠に素早く電流を流し込む。ついで雷球をいくつも放り投げ、足止めをはかった。
「新しく来た庭師見習いですわ。ジークの募集でこの城にきたそうですけど、魔王様が残ってていいとおっしゃったみたいですわ」
「庭師の見習い? 魔王様が人間を残したのですか、姫様?」
グランデが先ほどのサンダーの位置に立ち、竹定規で床に円を描きながらたずねてきた。気合を入れると床が波打ち、侵入者を阻んだ。様子を見ながらさらに同心円状に波を送る。侵入者はひっくり返った。
「そう言ってましたわ。理由は聞きませんでしたけど。でもマッディがもう年で足がつらいとずっと言っていたので、それかもしれませんわ」
マッディとは庭師のゴーレムである。なるほど、と四大将軍達は納得した。ファイは火焔杖を高く放り上げ、自身を巨大なサラマンダーに変えた。
「……なぜそれが勇者になる」
そして全身で剣を持ったハンスに巻きつき、その体を焼いた。ハンスが悲鳴を上げる。しかし次の瞬間、青い光がほとばしってサラマンダーを弾き飛ばした。衝撃で剣が手から離れ、床に落ちる。ワンダが素早く大量の水を流してそれを拾った。
「それを返せ」
ぎらっとハンスの目が光る。正気を失っていた。はあん、とワンダが剣を手にしながら色っぽく言った。
「これが聖性の流入路ね。どこから見つけたのかしら、これ。普通このあたりにはないものなのよ」
その剣を水流でくるみ、ワンダは高く掲げた。それから艶っぽい目でハンスを見る。ハンスは動きを止め、彼女の顔を食い入るように見つめた。魅入られてしまったようだった。
「ねえ、お姉さんに教えてくれない?」
剣には土がこびりついている。この若者が庭師ならば、おそらくどこからか掘り出したのだろう。そのくらいは見当がついた。問題はその場所である。
「封印球を開けないと……」
ワンダの視線にやられ、うわごとのようにハンスが言った。ワンダはその言葉を聞きとがめた。
「封印球? なにかしら、それ」
ワンダは剣を空中高く放り上げ、それを追いかけようとするハンスを水獄に閉じ込めた。ハンスの両手が光り、檻を破ろうとする。しかしできなかった。剣を返せとわめくハンスを無視し、ワンダはフーシャにたずねた。何か知っているかもしれないと思ったからである。
「封印球って何かご存知ですか、姫様」
フーシャは小首をかしげた。少しそのまま考えていたが、何か思い当たることがあったようだった。
「そういえば畑から何か変なものが出てきたって言って、魔王様がいる場所を聞かれたことがありましたわ」
ぱちぱちとまばたきをし、ワンダを見る。
「畑?」
ワンダが言うとフーシャは答えた。
「お城の中庭にありますわ。近衛たちの食料を作っていますの」
「なるほどね。姫様、ありがとうございます」
ハンスは捕まったが四大将軍達はまだ警戒を解いていなかった。ファイだけがサラマンダーから元の姿に戻る。フードが外れて少年のように短いオレンジの髪とオレンジの瞳が見えていた。爬虫類の細長い瞳をしている。頬から首筋にかけては細かい鱗が無数に光っていて皮膚や筋肉の動きを邪魔しており、そのために彼女のしゃべり方は拙いのだった。
ファイは落ちつかなげにまた目深にフードをかぶった。彼女はたとえ知っている者達でも、あまり人前に素顔をさらすのは好まなかった。
「探すわ」
囚われたままぐらぐらと上体を振り回して暴れるハンスに、ワンダは水流で腹に一撃をくれた。気絶したのをよく確認してから、彼女はハンスをグランデに放り投げた。
「ここでいいかな」
グランデが廊下に出て言うと壁の石積みが自在に動き、小さな小屋ができた。彼女はハンスをそこに入れ、小窓を残してまわりをすべて塞いだ。サンダーがその小窓に電流を流す。逃走防止だ。
「……しっかり見張れ」
最後にファイが小さなサラマンダーを出して言った。サラマンダーはきょろきょろと頭を動かすと石造りの小屋に入り、その壁に張りついた。
「じゃ、行きましょう」
四大将軍らはまわりを振り返り、フーシャに手を貸すとその場を離れた。
外はまだ薄暗かったが、はっきりと周囲が見えるくらいには明るかった。フーシャは四人に豆畑の場所を案内し、目指すものを指差した。
「ほら、あそこですわ」
花が終わりかけた豆畑の横に四角く掘り返した後があり、そこにはトラロープが張られていた。魔王が指示したトラロープである。トラロープで囲われた中には大きな穴が開いていたが、その奥はよく見えなかった。フーシャはじっと目をこらして見たが、どうにも焦点がぼけてしまい、何があるのか分からなかった。
「え、どこ?」
「見えないわ。姫様、本当にここですか」
しかし四大将軍達には穴どころか何も見えていなかった。フーシャはトラロープのすぐ脇まで歩いていき、皆に言った。
「ここですわ。大きな穴にしましまのロープが張ってありますの」
四大将軍達の反応は芳しくない。とうとうグランデがフーシャの近くまできて、どこですか、とたずねてきた。
「姫様。何も見えませんが、どこにあるのですか」
グランデが丁寧にたずねる。どうやら本当に見えていないらしいと分かって、フーシャはグランデの手を取った。その手をトラロープに押し当てる。
「ここですわ。ロープがここに」
グランデの手がロープに触れた瞬間、バチン、と大きな音がしてグランデは弾き飛ばされ、掘り返した土の上に転んでしまった。あわててフーシャが駆け寄る。
「大丈夫ですの?」
グランデは泥だらけのお尻をさすりながら立ち上がった。
「大丈夫です。分かりました、姫様。これ、結界が張ってあります」
「結界?」
「はい。魔王様ですね」
それを聞いて他の三人も近くにやってきた。フーシャが大きな瞳をぱちぱちと瞬きしながら質問する。
「魔王様がなぜここに結界を張るのです?」
「危ないからですよ」
グランデは目の前の泥に竹定規を突き刺して言った。ファイがそのまわりに数匹のサラマンダーを召喚する。
「それに……」
グランデは口ごもった。言っていいものかどうか迷ったのだった。
「なんですの」
フーシャの口ぶりは相変わらず無邪気だった。グランデはその顔を見て、思い切って言った。
「魔王様は隠し事をなさっておいでです。おそらくあの従者のことだと思うのですが、さっき聞いた以上のことを魔王様はご存知のようです」
「セラのことですの?」
「そうです。お知りになりたいですか」
フーシャ姫は少し考えたようだった。少したってから彼女は、そうですわね、と言った。
「ハンスがおかしくなったのも、セラの具合が悪くなったのも、全部このせいなのですね」
四大将軍達はうなずいた。
「なら、隠し事をしていた魔王様がいけないのですわ。どうしてなのかは後で聞けばよいことです。見せてくださるかしら」
「よいのですか、姫様」
「かまいませんわ。何があっても魔王様は魔王様ですし、セラはセラです。隠していたのも何か理由があるのでしょう。それに、あなたたちはサーキュラーが心配ではないのですか」
グランデは言葉に詰まった。やがて切れ切れの言葉でフーシャに言った。
「……不安でないわけではありませんが……この状況では待つしかないのです。それにあれだけの実力を持つ司令が、そう簡単にやられるはずがありません。必ず帰ってくるはずです」
フーシャは微笑んだ。
「サーキュラーを信用してますのね」
グランデは虚を突かれた表情になった。
「そう……ですね」
「なら私も同じことですわ」
他の三人は静かにそのやりとりを聞いていた。
「かしこまりました、フーシャ姫」
グランデは気を取り直して一礼をし、仲間達を振り返った。
「水籠がいるかしら」
ワンダが言った。
「お願い」
グランデが答えるとトラロープのまわりに水のカーテンが現れた。サンダーがそのカーテンに電流を流す。
「地霊の補助を得て私が解除します。何が出てくるか分かりませんけど……魔王様がこれを隠しておきたかったのは確かです」
解呪の呪文が唱えられた。夜明けとともに魔王の結界は解除され、朝日にさらされて眼前に現れた。
四角く掘り返された地面を全員が覗き込む。トラロープは取り払われ、それぞれの四辺に一人ずつ四大将軍が立っていた。手前側の角にはフーシャがいて、長いドレスをたくし上げながら四角い穴の中を見下ろしていた。
「なんですの、これは」
深く掘られた穴の中には赤黒く光る1メートルほどの球体が置かれていた。サンダーが口をはさむ。
「封印球、って言ってたよね」
ワンダが答えた。
「まあそれっぽいわね。でも何を封じているのかしら」
色合いからすると封印は天界由来のものではなさそうであった。ファイが火焔杖を中に差込み、属性を確認する。火焔杖の先につけた炎が揺らめき、大きくなった。魔属性である。ちなみに聖属性ならば火が消える。
「……こっちのだ。いったい何を封じている」
「変なの。中身なんだろ」
サンダーが言った。とりあえず引き上げてみようということになり、グランデが地面を動かした。地鳴りとともに穴の中から、大きな赤黒く光る石の球がせりあがってくる。地上まで上がってきたところで全員がそれを取り囲んだ。
「魔王様の封印ですね」
グランデが言った。ますますもって分からなかった。ここでワンダが、忘れられていたハンスのことを思い出した。
「勇者くんに聞いてみたらどうかしら」
「……それがいい」
「そうね」
「そうしましょう」
四人はフーシャと先ほど設置した水籠を残し、捕らわれたハンスを連れてくるためにその場を立ち去ることにした。
「あの男の子を連れてきます。姫様は待っていて下さい。その封印球や水籠に触ったら駄目ですよ」
ワンダが言うとフーシャはうなずいた。ぞろぞろと連れ立って四大将軍達がいなくなる。フーシャはひまになってしまったので、水籠ごしに封印球を覗き込んでいた。
「なんですの」
ぱし、と小さい音を立てて封印球の表面にわずかな亀裂が入った。フーシャが見ている前でぱし、ぱし、と音を立てていくつものひび割れができていく。いずれも小さかったが数はどんどんと増えていき、封印球の表面は亀裂だらけになった。
「きゃっ」
そのひび割れの隙間から青い光が漏れ出してきた。フーシャはそれを直視してしまい、思わず目をつぶった。その間に封印球は轟音を立てて割れ崩れ、フーシャが目を開けた時には違うものがそこにあった。
「……なんですの、これは」
青白く光り、うねうねとうねる大量の蛇の頭がそこにあった。一見大量の蛇がからまっているように見えたが、それらの蛇はすべて一匹であり、数十もの頭はたったひとつの胴につながっていた。その頭は用心のためにワンダが置いていった水籠に阻まれ、フーシャに牙をむきながらもこちらに来ることはなく、フーシャはそれを知ってほっと安心した。
「姫様!」
四大将軍らが戻ってきた。後ろには水流でぐるぐる巻きにされたハンスを引きずっている。フーシャはそっちを見て言った。
「大変ですわ。蛇がいますの」
何事かと四大将軍達は封印球の置かれていた場所にやってきた。皆で水籠の隙間から中をうかがう。見たとたんにうわ、とサンダーが言い、グランデは目をそらした。ファイはじっと見つめていたが青白い光が辛いらしく、しばらくして横を向いた。
「シャーシャー言ってるわね」
ワンダがあまりそちらを見ないようにして言った。すぐ隣にはじたばたするハンスが転がされている。彼女は転がっているハンスを起こし、水籠の中にいる多頭の蛇を見せた。
「何か知ってるかしら」
ハンスの両手の紋章が光る。カッ、と口を開けてたくさんの蛇の頭が威嚇してきた。ハンスはぼんやりとその蛇を見ていたが、やがて「智恵の蛇だ」ということを言った。
「智恵の蛇?」
ハンスの目の焦点は合っていない。グランデが竹定規を突き出して尋問を始めた。
「で、ハンス君。智恵の蛇って言ったけどこれは何?」
ハンスは答えない。グランデは竹定規をバン、と鳴らした。ハンスがびくっとする。
「言いなさい。何なのこれは」
えっと、あの、ともごもごとハンスが口を開いた。グランデはさらに追求する。
「智恵の蛇って何ですか。誰が持ち込んできたの?」
「あの……僕は……」
「ちゃんと言いなさい!」
ファイがそっとサンダーの後ろに下がった。
「……先生こわい」
サンダーはその頭をなでながら苦笑していた。
「昔司令室でアイスこぼして怒られたっけ。あの時はグランデこわかったよね」
「……うん」
フーシャはびっくりしてその様子を見ていた。グランデが脅したりなだめすかしたりしているうちに、とうとうハンスは話し始めた。全員がハンスの近くに寄ってくる。彼は観念したようだった。
「偉大な唯一神の後ろ盾にしてその智恵のもととなるものだ。唯一神は崇高にして……」
ワンダが言った。
「すっごい洗脳されてるわね。で、なんでそれがここにあるのかしら」
グランデが言いなさい、というと素直にハンスはしゃべった。
「堕天せし反逆者が持ち出し、暗き存在によりて封印され、天には災いが来たり。それを憂いし唯一神は……」
へー、とサンダーが言った。もう誰も先を聞いていなかった。
「堕天せし、ってあの従者でいいのかしら」
「……それしかいない。魔王様が封印した。たぶん、邪魔だから」
四大将軍達がわいわいやっている間、フーシャは多頭の青白く光る蛇を見ていた。そしてあることに気がついた。
「あの、みなさん」
フーシャが呼びかけると全員が一斉にそっちを向いた。何ですか、とワンダがたずねてくる。フーシャは言った。
「この子、おなかが空いているみたいですわ。何か食べさせるものはありませんの?」
騒がしかったのが急に静かになる。えーと、と四大将軍達が悩んでいると縛られたままのハンスがあのー、と地面の上から言ってきた。全員がそちらを見る。ハンスはそこから困ったような表情でフーシャを見上げた。
「……あの、蛇はネズミか生卵です」
やや正気づいてきたらしい。両手の紋章もかなり薄くなってきていた。
「それで、これほどいて欲しいんですけど」
四大将軍らがざわつく。ワンダが言った。
「あれだけ暴れた後でよく言えるわね。まともじゃないわ」
ハンスはぽかんとした表情になった。
「何がです? 僕何かしたんですか? あの、ちょっと記憶が飛んではいるんですが」
「マジ? 本気で言ってるの、それ」
口には出さなかったが、そこにいた全員がワンダと同じような気分になった。あ、はい、とうろたえたようにハンスは答えた。
「昨日の夕方からところどころ覚えてないんです。気がついたらここでこんな風になってて、本当に僕、いったい何をしたんですか」
ふう、とワンダはため息をついた。
「やられたわね。やつらの手口よ」
「やつら?」
「天軍よ。しるしをつけた人間を乗っ取るの。まさかここでやられるとは思わなかったわ」
実は今の魔王になってからは、宿敵である天軍との戦いはほとんど行われていない。なのでその手口について詳しい者は少なかった。ワンダが話す内容を、他の四大将軍達は感心しながら聞いていた。
「やつらはどこでも乗っ取りにかかるわ。敵軍のど真ん中でも、平和な町の中でもね。しるしのついた人間さえいればいいのよ。ところで勇者くん、そのしるしはどこでつけられたの?」
ハンスはぼーっとしていたが我に返って質問に答えた。
「あの、封印球ってのが出てきたので、マッディさんがこの場所に魔王様を呼んだんです。あとからセラフィムさんも来て、その時に青い光が降ってきて、気がついたらこの模様がついてました」
それを聞いたワンダはしかめ面になった。なんですって、と言う。
「もしかしてその青い光が降ってきた時に、あの従者もいたのね? なんとなく分かったわ」
「セラフィムさんが寝込んだのってその後です」
「二人して天恵光の直撃を食らったわけね。ふざけないでよ、本当に」
とりあえずハンスは無害になったらしいと分かって、フーシャはさっき言われたことを彼に確認した。
「蛇には生卵なのですわね」
「あ、はい」
「分かりましたわ。もらってきます」
フーシャは食堂まで行き、かご一杯の生卵をもらってきた。それを水籠の隙間から差し込む。すると頭がひとつ出てきてぺろりと飲み込んだ。もうひとつ差し込むと違う頭が出てきて、それもぺろっと飲み込んでしまった。
「頭が多くて足りませんわ」
近衛が呼ばれた。雑用係である彼らは城のあちこちに仕掛けられたネズミ捕りを持ってきて、中からネズミを外してフーシャの前に積んだ。直接さわることのないように長いトングも一緒である。
「姫様、平気なんですか」
そのネズミを智恵の蛇にやっているフーシャを見て、ワンダがおそるおそる聞いてきた。フーシャが答える。
「サーキュラーに比べれば全然ましですわ。丸飲みですし」
四大将軍達は顔を見合わせた。
「あの、司令は何をしたんですか」
「思い出したくありません」
そうこうしているうちにネズミもなくなり、智恵の蛇は満足して寝てしまった。もう昼過ぎである。その間にハンスは水縛を外された。勇者の紋章もすっかり薄くなり、ほぼ分からなくなった。
「この子、どうしたらいいのでしょう」
フーシャが眠っている智恵の蛇を見ながら言った。水籠も解除され、智恵の蛇は近衛が持ってきた金属製のかごに移されていた。ハンスが手でつかんで移したのであるが、智恵の蛇は特に暴れることもなくすんなりと別のかごに収まった。
「魔王様たちが戻ってこないとなんとも、ですね」
グランデが答える。そしてちらっとハンスを見た。ハンスがぎょっとした顔をする。
「あの、何ですか」
「そうね」
グランデは言った。
「最初から聞きたいんだけど、もう一度ちゃんと話してもらえる?」
「はい」
ハンスはそこに座りこんだ。近衛たちがフーシャとハンスのところにバスケットを持ってくる。今日は食堂に行かないと伝えたところ、おばちゃんが詰め合わせて昼食を持たせてくれたのだった。
「どうぞ」
フーシャはサンドイッチをハンスに渡し、自分もひとつ手に取ってそこに座った。恐縮しながらハンスはそれを受け取り、一口かじってから話し出した。
「あの、豆畑を広げようと思って地面を掘ったらこれが出てきたんです」
ワンダが近衛から飲み物を受け取った。それをフーシャとハンスに渡し、他の三人に座るようにうながした。
「それでですね……」
ハンスが話し始める。いい天気であった。