4 天軍長ゼラフ
魔王とサーキュラーの気分が落ち着き、フーシャの怒りが収まったところで、居合わせた面々はそれぞれ説明を求めた。いわく四大将軍とフーシャはなぜ二人がケンカをしていたのか、サーキュラーは魔王にいったい何があったのかと問い詰めたのである。魔王はめちゃめちゃになった室内に一同を招き入れ、誰も入れないようドアに結界を張った。もう言い逃れはできなかった。
「これだ」
ケンカをしている間も決して見せようとしなかった右腕を、魔王はマントを跳ねのけてめくり上げた。一見なにもないように見えたが、サーキュラーはそこに小さな引っかき傷を見つけた。他の者は見つけられないようだったので、魔王の許可を得て解呪する。すると真っ赤に焼けただれた傷痕が浮かび上がった。フーシャが小さく声をあげ、四大将軍らは息を呑んだ。
「魔王様、どうされたんですの?」
それでも気丈に彼女はその傷を見て、薬を探そうとした。よい、と、魔王が押しとどめる。サーキュラーは思ったより傷がひどいのでしばらく何もいえなかった。やがてしぼり出すようにして、ある言葉を言った。
「聖雷痕、だな?」
「そうだ」
四大将軍らがざわめく。いったいどこで、という疑問が出された。それに魔王にこれほどの傷を負わせるちからの持ち主も、彼女らには見当がつかなかった。ある人物を除いて、である。しかしそんなことがあるのか、とも疑問であった。その疑問を代弁するかのようにサーキュラーが言う。
「セラ、だな? なんでだ?」
魔王の返事はなかったが、その顔はそうだと言っていた。フーシャが思わず言った。
「まさか……なぜセラがそんなことをするのです。いつも魔王様のことばかり考えていますのに」
一同の視線が魔王に集まった。思い切ったようにワンダが言った。
「魔王様、あの者はいったい何者なんですか。なぜ魔王様はあの者をそばに置くのです。その傷が聖雷痕というならば、あの者は魔王様の敵のはずです」
サーキュラーが後を引き継いで言った。
「それは俺も聞きたい。あいつが城へ来た経緯を俺は知らない。神々であるというのは聞いた。だが、どう考えても下っ端じゃない」
異教神群の一柱ではないかとサーキュラーは思っていた。異教神群とは現在の神々以前に天界を統べていた存在である。ある時を境に不意にいなくなり、それ以降は唯一神を名乗る存在が天界を統治していた。散り散りになったとも、唯一神に吸収されたとも魔界では言われている。
「どうしても聞きたいか」
「はい」
ワンダが答える。他の将軍たちも同意した。
魔王は少しためらっていたが、ゆっくりと話し出した。
「子供の頃、破戒の丘周辺によく行ったな」
魔王はサーキュラーにそう話を振った。ああ、とサーキュラーは答えた。確かに子供の頃、彼らはよく二人で遊んでいた。家が近かったこともある。
「ずいぶんと昔だぞ。まだエレメンタリーの頃じゃないか」
魔王はうなずく。
「あそこにドブ川があったのを覚えているか」
「そういやあったな」
少年だった魔王はその臭いドブ川で、白い大きな翼をみつけた。水面からにょっきり生えていたのでてっきり水鳥の死骸があるのかと思い、彼は岸からその大きな翼を引っ張り上げた。
「見たこともない、おかしなものが出てきた。それがセラフィムだ」
ドブ川から出てきた六枚翼のものは精神を病んでいた。少年だった魔王は川べりに座り込み、そのものと支離滅裂な会話をえんえんと続け、話が通じるようになった頃にいやなことは忘れるといいよ、と言った。
「忘れていいのですか」
「いいんだよ」
やっとひとがたを取れるまでに回復してきた相手に、彼は言った。その時に彼が考えた最善の方法だった。
「いやなことは全部忘れていいんだ。僕が大きくなった頃には、そんなことはどうでもいいことになる。だから大丈夫だよ」
「どうでもいいこと、ですか」
「うん」
彼は一生懸命に考えて言った。引き上げられてから一昼夜たっていたが、この時のセラフィムは臭い川べりから動けず、彼がゴミの山から拾ってきた毛布にくるまってうずくまっていた。ひとがたは取っていたもののその輪郭線は引き上げた時より淡く薄くなっており、このままでは消滅してしまうのがまだ子供の彼にもわかった。
「そんなに嫌だったの」
彼は聞いた。相手は迷っていたようだったが、子供の彼にも分かるように話し出した。
「命令されて、本当はしたくない、よくないことをたくさんしました。それがいいことだと思わされていたから逃げられなかったんです」
「ふーん」
簡略化されすぎていてかえってよく分からなかったが、この存在に命令していた者が嫌なやつだということだけは彼には分かった。なのでこう言った。
「やっつけられなかったの」
「……はい」
その様子から彼は、話している相手がその嫌なやつに、どうにもならないほど追い詰められていたことが分かった。大人でもそんなことがあるのだ。彼は自分が思ったことを素直に口に出した。
「嫌なやつからは逃げてもいいんだよ。そんなことは忘れていいんだ」
相手は毛布にくるまったまま、彼の言うことをじっと聞いているようだった。
「それで、自分が頑張って強くなったらそれはどうでもいいことになるから、それでいいんだよ」
さっきまで消えそうに見えていた、相手の輪郭が濃く強くなった。同時に全身から目を焼くような光を放ち、またすぐに元に戻った。
「わたくしを励まして下さっているのですね」
え、うん、と少年の魔王は言った。はっきりと面と向かって言われたので照れくさかった。
彼はただ、自分がドブ川から引き上げたこの存在が自ら消滅してしまうのが嫌だったのである。自分のしたことを悔いているようだったが、そんな悪事を働くような者には見えなかった。本人の言うとおりならそれは他人のいいなりになってやったことであり、そのことでこの存在が自己否定をして消滅してしまうのは納得できなかった。
「だって、自分のせいじゃないんだから。そいつが悪いんだよ」
彼はこう言った。相手は目を見張って彼のことを見ていた。
「だからもうしなければいい。嫌なことはしなくていいんだよ」
ふっ、と相手の張り詰めた空気が緩んだ。そうですね、と穏やかな声が返ってくる。何か吹っ切れたのだろう、かなり落ち着いてきたのが子供だった魔王にも分かった。よかった、と思ったのが顔に出たのか、相手は微笑んだ。
「ずいぶんと励まされました。ありがとうございます」
それから毛布を肩にかけたまま立ち上がった。白い長い衣服に、真っ白くて大きな六枚翼がその背に見える。その六枚の翼には光輪がかかっていた。魔王はそんないでたちの者を初めて見たので、びっくりしてただそれを眺めていた。
「ここはどこですか」
やっと気がついたらしく相手はそう尋ねてきた。
「魔界だよ。ここは破戒の丘。よくサーキュラーと遊んでる」
「魔界?」
「そう。どこから来たのか知らないけど」
くくくく、と相手は笑った。おかしくて仕方ないようであった。背負っている光輪が青白く光り、彼はその光り方に不穏なものを感じた。何かとんでもないものを拾ってしまったのかもしれない。相手のその笑いを見たとたんに彼はそう後悔した。
「わたくしはセラフィムと申します」
「セラフィム……」
聞いたことがあるようなないような名前だった。そして相手は座り込んでいる彼の前で、ゆっくりと片膝をついて頭を垂れた。忠誠の儀である。
「え、ちょっと……」
その姿勢のまま素早くセラフィムは背中の翼をたたみ、光輪を消した。ついで着ているものが白くて長いドレープの入った衣服から、軍服のようなデザインの真っ赤なマントに変わった。顔を上げ、彼のことを見る。
「あなたが何者であっても、わたくしはついていきましょう」
あまりのことに言葉が出ない少年の魔王に、セラフィムは言った。
「ここが魔界ならば、魔界のルールに従いましょう。魔族としてここで、朽ち果てるまであなたに従います」
そして彼はやがて、魔王になった。
一同は静まり返っていた。ぽつぽつと、四大将軍らから言葉がもれる。出てくる言葉はどうしよう、だった。
「お前、セラの正体を知っているのか」
険しい顔でサーキュラーが言った。四大将軍がいたが、もう言葉遣いなどかまっていられなかった。魔王はうなずく。
「おそらく天軍長ゼラフだ。私も魔王になってこの城で古文書を見つけて初めて知った」
集まった面々に衝撃が走る。魔王はその場を立ち、彼らの前に一冊の古書を持ってきた。
「異教神群のその後だ。唯一神を名乗る者が闘争の末彼らを従えた。その中に天軍長ゼラフの名がある。描写はほとんどセラフィムと同じだ」
「これは?」
「図書室の奥にあった。まだ未整理の場所に積まれていた」
サーキュラーは壊さないように注意しながらその本を開いた。魔王が指した場所には確かにその通りの記述がなされていた。
「天軍長ゼラフ……」
放心したように彼は言った。
「どうすんだよ、魔王。どうやっても勝てねえよ、これ」
天軍長ゼラフの名は初期の異教神群にはない。しかしこの書物には唯一神が彼らを従えたのち、その中から現れた唯一神に協力するものとして記載されている。その後、
天界が平定された後に行方不明となった記載がされていた。理由は書かれていない。
魔王はセラフィムという名もないかとこの書物と図書室を隅から隅まで探したが、この名前は見つからなかった。
「勝たなくていい。元に戻せばよい」
魔王が言った。
「どうやって戻すんだ」
魔王はフーシャ姫を見た。そもそも彼はフーシャの話を聞き、今後のことを相談しようと思ってサーキュラーを呼んだのである。極秘裏に済ませようと思ったのだが、サーキュラーが騒いだので諦めたのだった。
「姫、セラフィムの様子はどうだ」
心配な様子でフーシャは言った。
「セラはずっと眠っていて起きませんわ。ひどくうなされていて、何度起こそうとしても起きませんの。時々悲鳴を上げて……魔王様、なんとかならないのでしょうか」
彼女が見るたびにセラフィムは痩せて、具合が悪くなっていくようだった。そのことも彼女は魔王に伝えた。
「それに、おかしなことが起こりますの」
「おかしなこと?」
彼女はうなずいた。
「セラのベッドいっぱいに白い羽根が舞い散っていて……最初は羽毛布団かと思ったけど、違いましたわ。セラがうなされるたびにたくさんの羽根がセラから湧き出して、この頃は部屋が埋まるくらいですの」
その羽根はフーシャと近衛兵が片付けていた。フーシャと彼らだけが人間なので、暴走しだしたセラフィムのエネルギーに反応せずに済むのだ。戻ってきた下働きのモンスター達が手伝ってくれようとしたのだが、彼らはその羽根に触れると火傷をしてしまうのだった。
「羽根のほかにも青い光が瞬くこともあって……近衛がブラインドを下げました。みな、恐ろしがって近づかないので」
サーキュラーは四大将軍達を見た。全員が視線があうと目をそらした。
「様子を見て、とりあえず部屋に結界を張って来い。おまえら全員で行け」
「いやです」
すかさず雷精将のサンダーが言った。他三人も首を振る。
「そんな状態の神々など私たちの手には負えません。暴走したら全員が消え去ります」
サーキュラーはため息をついた。
「戦ってこいって言ってるんじゃねえよ。どのくらいやばいのか見てこいって言ってる。危なくなったら逃げ帰ってきていい」
それなら、と地精将のグランデが答えた。長い竹定規をばしばし鳴らしながら、サーキュラーに質問する。
「室内は見るんですか、司令」
「入れるならな。グランデとファイはできれば中に入れ。ワンダとサンダーは封じ込めの結界を張って来い。やばくなったら逃げろ」
水精将のワンダが立ち上がった。
「それなら了解よ、サーキュラーちゃん」
火精将のファイが黙って右手を上げ、空中から火焔杖を取り出す。それをくるくると振り回して全員を包む防護バリアを張った。その上にサンダーが呪文を唱えて防御を重ねる。
「無理をするな」
サーキュラーが言うとそれぞれが答えた。
「了解です、司令」
「かしこまりました」
「心配しないで」
「…………はい」
各自勝手な了承する声を残し、四大将軍らはその場から掻き消えた。四大将軍に用をいいつけるといつもこうである。魔王は慣れていたがフーシャはびっくりしてその様子を見ていた。
「女の方ばかりで大丈夫ですの」
心配そうな彼女にサーキュラーは言った。苦笑いしていたようだった。
「あれでも選り抜きの精鋭だ。全然そう見えないけどな」
セラフィムの部屋の前で、四大将軍達はシールドを張りながら慎重にものごとを進めていた。暴走した神など本来なら近づきたくもない。さっき聞いた話が本当ならなおさらである。天軍長ゼラフとはくだんの古書によれば唯一神の忠実な下僕であり、いかづちによって神に反逆する町々を焼き、砂漠の巨大都市を滅ぼした伝承を持つ存在であるのだ。
「けどなんとなく納得だな」
サンダーがワンダの広げた防御網に雷球を乗せながら言った。
「本音はもう天界そのものが嫌でしょうがなかったんじゃない。だって消えかけてたんでしょ」
そうね、とグランデが言った。
「そこまでいくのってよっぽどだから。自死ってすっごいキツイのよ」
言いながらグランデは竹定規を鳴らし、床や壁の石材と自分を同調させた。頃合いを見はからってファイがその上に火炎を広げる。この火炎は彼らを防御し、危険が迫れば援護するものだ。
「サーキュラーちゃんと遠話を開放するわよ」
それぞれがうなずく。ワンダは水蒸気を呼び、周囲に充満させた。その漂う水気を一陣の風が吹きさらっていく。サーキュラーとつながったのだ。彼女らに何かあった場合はすぐに彼が駆けつけてくる。四大将軍らはやっと肩の力を抜くことができた。もう大丈夫だ。
「あんなんだけどねえ」
ワンダが言った。
「今までで一番まともな上司なのよね。世の中ってどうなってるのかしら」
「本当よね。ちょっと今回はどうかと思うけど」
髪飾りを揺らしながらサンダーが同意する。もっとも彼女らもサーキュラーが直接ここに出向かない理由は分かっていた。あれだけの戦闘力を持ちながら、彼は大型の結界が張れない。魔王とフーシャ姫の護衛も必要だ。精霊である彼女らは周囲からの補助を得られるが、サーキュラーの力は自身の能力のみに基づいている。それは魔王も同じだ。
「いきます」
グランデが言った。返答のつむじ風が吹き荒れる。グランデとファイはそれぞれ自分のまわりに防御シールドを張りめぐらせると、セラフィムがいる部屋のドアを開けた。
「つっ」
ドアノブが帯電している。グランデは床と室内を形作る石材を、通電しないように少し組成を変えた。サンダーがこわごわとその後ろから覗く。ワンダは遠話を受け持っているので後ろで待機している。ファイは火焔杖を振り回し、彼らに降りかかる白い羽毛を焼いた。触れたらただではすむまい。
室内に動きはなかった。ただ静かに白い羽根が天井から降り注いでいるだけだ。それはベッドに横たわるセラフィムの上に降り積もり、床一杯に広がって舞い落ちている。この世のものではない、途方もなく美しい光景だった。
グランデは無言でその景色を眺め、ファイは「きれい……」とつぶやいた。
「何もないね、ファイ」
「……うん」
室内の様子は力なく横たわるセラフィムに、ひたすら雪のように白い羽根が降り積もるだけだった。彼らにとっては害となる聖属性に染められてはいるが、それ以外には何もない。肝心のセラフィムもかなり消耗していて、そのままにしておけば潰えてしまいそうに見えた。魔王には悪いが、このままセラフィムがいなくなればそれで脅威はひとつ減る。そう思えるほど、この時の彼には生気がなかった。
ここを封鎖しておきさえすれば当面は大丈夫だろう、二人がそう思った時だ。ざっ、と物音がしてベッドから大きな白い翼がひとつ、立ち上がった。その翼には青白く光る雷球がいくつもまとわりついている。ファイがシールドを強化し、二人は急いでドア近くまで待避した。が、間に合わなかった。
魔王城に破壊音が響き渡る。外で待機していたワンダは吹き飛ばされ、ドア前にいたサンダーは散り散りになった。金属製の髪飾りが焼け焦げて床に落ちている。室内にいたファイとグランデの姿はどこにもない。天井は大きく抜け、星空がそこから見えた。
真っ白な羽根に埋もれたベッドから、セラフィムはゆっくりと身を起こした。背には白い巨大な六枚翼が生え、そこには光輪が光っている。衣服は天衣と呼ばれる白く長いドレープのあるものに変わっていた。表情はなく、ただ目の前を見つめているだけだ。
「なにしやがる、セラ!」
竜巻とともにサーキュラーが飛び込んでくる。それを見てもセラフィムの表情は変わらなかった。ばちばちと帯電した空気が発生し、青白い光を伴ってセラフィムの周囲を包む。セラフィムは相手の力量をはかり、さっきの数十倍にも及ぶエネルギーを集結させつつあった。
「天軍長ゼラフってのはマジだったんだな」
サーキュラーはそのいでたちを見て言った。とん、と軽い音を立ててセラフィムはベッドから降りた。足元は素足に亜麻のサンダルだ。相変わらず表情はない。
「打ち据えよ」
すわった目でセラフィムは言った。
「唯一神に従わぬものは、すべて打ち据えよ。それが彼らへの善行となるだろう」
「お前……」
こんなセラフィムは魔王には見せられない、とサーキュラーは思った。彼の記憶にある限りでは、セラフィムというのはよく気がついていつでも柔和であり、たまにある魔王の無茶な言いつけを文句を言いながらもこなす、有能で忠実な側近だったのだ。
「つけ込まれたんだな」
サーキュラーは先ほど聞いた魔王の話を思い出しながら言った。
「お前、お人よしだからな。断りきれなくて、とうとうそんな怪物にされちまった」
彼は数本の糸を広げ、突風を呼んだ。その端につかまり上空へと舞い上がる。セラフィムは六枚の翼で追ってきた。星明りのもと、両者は対峙し、にらみ合った。
「魔王軍統括総司令、サーキュラー・ネフィラ・クラヴァータがお相手だ。光栄に思えよ」




