3 四大将軍
「で、魔王様はどうするつもりなのよ、サーキュラーちゃん」
こちらは魔王城の一角に与えられた魔王軍統括総司令部の室内である。それらしく石壁には大げさなタペストリーが飾られ、その下に置かれた巨大な机と椅子にサーキュラーが座っていた。彼の前には二人分の人影が見える。四大将軍のうちの二名、水精将のワンダと火精将のファイであった。どちらも女性で、ワンダはセクシーな服を身に着けた妙齢の美女で、ファイは長いローブで小柄な全身をすっぽり覆って隠していた。背格好からして年は十四、五くらいであろうか。その袖口からは小さな炎がちらちらと見えているが、ローブに隠れてしまって顔は分からない。
上司であるはずのサーキュラーに向かってえらそうな口をきいたのは水精将ワンダであり、火精将のファイは黙ってそれを見ていた。
「さあな。本人に聞けよ」
ワンダもファイも顔を見合わせた。やがてワンダが言った。
「聞けるわけないじゃない。サーキュラーちゃん、聞いてきてよ」
あきれたようにサーキュラーは二名の将軍を見た。こいつら降格してしまおうか、とサーキュラーが一瞬思ったのはともかく、彼らが魔王に近づかないのはそれなりのわけがある。魔王の戦闘力は桁違いなのだ。二人でかかってもとうてい魔王には勝てない。危険なものには近づかないに限るのだった。
「根性ねえなあ。ならセラに聞いてみたらいいだろうよ」
「……嫌です」
違う声で返事があった。さっきから黙っていた火精将のファイであった。
「……魔王様があの者をそばに置いているのはどうしてですか、サーキュラー様」
この白髪をした魔王の側近は得体が知れない。魔王よりも旧いようだし、伝え聞いた話によると魔王よりも大きなちからを持っているともいう。そんな存在がなぜ魔王に付き従っているのか誰も知らない。いつの間にかこの城にいて、魔王の側近を務めているのだった。
「サーキュラーちゃんしか魔王様とお話できないのよ。お願いだから聞いてきてよ」
「うっせえよ」
少々不機嫌になってサーキュラーは言った。将軍達がびくっとする。なんとか集めたがこいつらだけじゃ駄目だなあ、とサーキュラーは思った。やはり地精将と雷精将も必要だ。気を取り直し、サーキュラーは言った。
「お前ら、グランデとサンダーを探して来い。その間にどうするのか聞いてきてやる。もし人界に出るなら準備もいるし、姫のこともあるからどっちにしろ全員必要だ」
「は、はい」
慌てたように二名の将軍は彼の前から姿を消した。サーキュラーは今後のことを考え、うんざりした気分になった。
「かったりいな」
将軍達が彼の下についているのは、サーキュラーのほうが彼らよりはるかに戦闘力が高いからだ。現時点では魔王の次くらいにカウントされる。仕方がないとはいえ、こういう上下関係は彼の心をささくれだたせるのだった。
「誰か頭のいいヤツいないのかよ。俺疲れたよ」
魔王軍は力こそがすべてだった。めったに弱音も吐けない。彼はなんとなくフーシャ姫に化けてジーク達と旅をしたことを懐かしく思った。
「あいつら、いいよな」
それから立ち上がり、セラフィムを探すために城内へと出て行った。
サーキュラーに尋ねられ、セラフィムは魔王のところへと赴いた。魔王は中庭で庭師達と豆畑を眺めているところだった。その近くにはメンドリが二羽、えさを探して歩いている。城下町のボロ家にいたニワトリだ。きっちりと彼はこんなものまで持ち出してきたのであった。
「失礼いたします、魔王様」
何をしているのかと思いながら、セラフィムは魔王の目の前に出現した。ゴーレムは礼の姿勢を取ったが若者はぼうっと彼のことを眺めていた。ゴーレムにうながされて、若者はあわてて礼の姿勢を取った。
「いいのですよ」
彼らにそういうとセラフィムは魔王に向き直った。魔王は難しい顔をして豆畑を見ていた。
「魔王様、あの……何を見ていらっしゃいますか」
用件を伝えようとして、セラフィムは魔王がさっきから見ているものに気がついた。それは豆畑の横、掘り返した地面の上に置いてあった。すべすべとして光る石肌に呪文が刻み込まれ、球形で赤黒く脈動する光を放っている。大きさは1メートルほどだった。
「あれは……封印球!」
重々しく魔王がうなずく。
「お前が自分で片付けたはずだったな、セラフィム」
セラフィムは少し青ざめていたようだった。そんな、と自問するような言葉も聞こえた。
「……そうです。なぜここにあるんですか」
庭師の若者がおずおずと出てきた。あの、と思い切ったように声を出す。
「僕が畑を広げようと思って掘ったら出てきたんです。その、なんだか分からなくて師匠に聞いたら魔王様にお伝えしろって、それで、その……」
「まあいい」
魔王はその封印球のそばにいき、状態を確かめた。
「封印が弱まっているな」
「本当ですか」
まだ破れてはいないが、石肌からは中の気配が漏れ出ていた。このままでは封じたものが出てきてしまう。セラフィムが封印球に近づこうとすると魔王が止めた。
「やめておけ」
「ですがこのままでは……」
ぴしり、と音がして滑らかな石肌にひびが入り、赤黒い光の隙間から青白い火花が飛び散った。魔王が封印球に重ねて封印の呪文を唱えると火花が消え、石肌の亀裂もなくなった。魔王とセラフィムがほっとするのを、横にいた若者はおろおろしながら見ていた。
「まずいな」
魔王はその封印球を、とりあえず地上から少し深く掘った穴の中へ降ろすことにした。これならば中身が出てきてしまってもどうにかなる。弱まってきているのできちんと封印をし直さなければならなかったが、そのためには一度封印を解く必要があった。
「開けるか、セラフィム」
魔王が言うとセラフィムは渋った。珍しいことである。
「このままで何とかできないものでしょうか。今こちらから……」
その言葉が終わらないうちに、封印球から青白い光が立ち上り、空に向かって駆け上がっていった。ほぼ同時に同じ色の光が今度は降りてきて、庭師の若者と魔王の隣にいるセラフィムを照らし出した。
「なんだ、今の」
若者はびっくりした顔をしていたが、セラフィムは顔面蒼白だった。魔王もそのことに気づき、大丈夫か、と彼に声をかけた。
「見つかりました」
青い顔をして棒立ちになっているセラフィムに、魔王はしっかりしろと言った。ああ、と彼は頭を振って気を取り直した。ひどい衝撃を受けていた。
「まさかここにいて見つかるなんて。わたくしはどうしたら……」
「落ち着け。うろたえるな」
魔王の声は厳しかった。
「その怯えっぷりは私に喧嘩を売る気か」
そう言われセラフィムははっ、と魔王のことを見た。そして「申し訳ありません」と深々と頭を下げた。
「よい。できることはあるのか」
セラフィムはあることを思い出し、若者に近寄ってその右手を確認した。泥だらけの軍手を外し、その甲を見る。ついで左手も同じように確認して、絶望的な表情を浮かべた。
「勇者の紋章です」
その顔のまま、彼は若者の両手を皆の前に差し出した。そこには青い光でくっきりと複雑な図形が描きこまれていた。
「なんだこれ」
若者がびっくりする。両手を振ったがその図形は消えなかった。それどころかますますはっきりと輝きだした。
「本物です。わたくしは……私は……」
魔王はひどく難しい顔をして、うなだれるセラフィムを見た。いずれ彼はここからいなくなる。そうなる前に手を打たねばならなかった。
勇者とは本人の意思と関係なく選ばれるものである。前回のジークを選んだのはゲーム制作会社の人間であった。今回はもうちょっと高次の存在がちょっかいを出してきた。
「戻れ、と」
魔王の言葉に、うなだれたままセラフィムはおそらく、と言った。
「嫌です。わたくしはもう、あんなことはしたくありません」
話が見えず、若者は光る両手を差し出したままおろおろしていた。魔王は若者と庭師のゴーレムに今日はもういい、と言った。実際どうにもならなかった。
「その手の模様は消えん。しばらく手袋でもしているがよい。それと名は何と言う」
魔王は若者の名前を聞いた。必要だったからである。
「は、ハンスです」
うろたえながら若者は答えた。魔王は若者の名前を確認すると封印球のまわりに結界を張り、ついでに黄色と黒のロープで囲うようにセラフィムに言った。
「いや、いい。近衛にやらせる。しっかりしろ」
彼は青い顔をしているセラフィムに声をかけ、その肩に触れようとした。そのとたんに青い雷光が瞬き、魔王の腕に痛みが走った。
「申し訳……ありません……」
庭師に呼ばれて近衛の連中がやってきた。セラフィムの様子を見て驚き、大丈夫ですか、とまわりを取り囲んだ。
「お前とお前はセラフィムを部屋に連れていけ。残った者はあそこにロープを張れ。ぐずぐずするな」
人間どもに指示をすると魔王は素早くその場から消えた。そのまま自室に移動する。焼け焦げたマントの下の傷を確認すると自力で治療にかかった。ほかの者に見られてはならなかった。
(く……)
痕を残して聖雷による傷は癒えた。その痕も加工し、一目で分からないようにする。
(なんとかなったか)
魔王は安堵するとその場に倒れこんだ。心配したフーシャが探しに来るまで、ずっとそのままだった。
セラフィムが倒れたという報を受けて、サーキュラーは揃った四大将軍とともに魔王の元へやってきた。謁見の間に入った際にきなくさいような帯電した空気を感じたのは、彼だけだった。魔王は一人で玉座に座り、彼らが来るのを待っていた。
「失礼いたします、魔王様」
サーキュラーは揃った将軍達を引き連れ、魔王の眼前に立った。いつもそばについている白髪の従者がいない光景は、彼にはなんとなく奇異に感じられた。一方の将軍達は、セラフィムの姿がないことでほっとしていた。
「近衛隊長が病に臥せっていると聞いております」
本当のところ何があったのかはサーキュラーも聞いてはいなかった。病気だと言われただけである。しかしセラフィムの本性を知る彼には、今起きていることがただごとでないことが分かった。
「そこで、今後のことについて、魔王軍統括総司令として僭越ながらお聞きしたく参りました。まず現状はどうなのか、お教えいただけますか」
魔王がうなずく。四大将軍がいなければこんなにまだるっこしい口上は必要ない。彼が一言「これからどうすんだ?」と魔王に言えば済むのだが、立場上そうもいかなかった。魔王が重々しく口を開く。
「セラフィムの病は重く、しばらく動けまい。だが姫が看病を申し出たのでお願いしている。そのうちに良くなろう。案ずるな」
サーキュラーはあっ、と思った。しかし動揺を押し隠して言った。
「フーシャ姫が看病を?」
「そうだ」
さっきから感じる帯電した空気は魔王から発生している。サーキュラーはそれに気がついた。魔族である彼らには受け入れられない不快な空気だ。
「そうでございますか」
まさか、と彼は思ったが口には出さなかった。魔王が黙っているなら今ここで口出しできる事例ではない。
「では今後、我々はどうしたらよいのです」
その問に魔王はこう答えた。ある程度は予想できたがそのほかは予想外であった。
「サーキュラーは臨時で近衛隊長を兼任せよ。城内の雑事やそのほかはやらなくてよい。私が他の者に命じてやらせる」
「はい」
これは予想できたことだった。セラフィムの代わりが務まるような戦闘力の持ち主は彼だけだからである。サーキュラーは一歩進み出て頭を下げ、その命を受けた。その時に魔王のどこから不快な空気が漂ってきているのかが分かった。右の二の腕だ。
「四大将軍は一人を残し、後は自宅に待機せよ。人選はまかせる」
驚いてサーキュラーはさっきから下げていた頭を上げた。せっかく集めたのにこれでは意味がない。城内待機でないと非常時に対応できなかった。
「現状、かなり警備は手薄です。近衛隊長もいません。なぜそのような決断をされますか」
思わずそう言ってしまったが、魔王からの返事はなかった。ただこう言われただけだ。
「異議は認めぬ。サーキュラーはのちほど、私の自室に来るように」
「かしこまりました」
また頭を下げ、サーキュラーは答えた。魔王の身に何かあったのだと彼は思ったが、それを顔に出さないようにするだけで精一杯だった。
サーキュラーは失礼します、と魔王の自室のドアをノックした。いらえがあり、彼は中に入ってしっかりとドアを閉めて鍵を掛けた。
「魔王、腕見せろ。何があった」
鍵を掛けて振り向いたその目は、ぎりぎりと光って吊り上っている。近寄ってきてマントを払いのけようとする彼を、魔王は引っぱたいて押しとどめようとした。
「誰に向かってものを言っている」
「何言ってんだてめえ。何を隠してる」
取っ組み合いになったが、こういう時に止めに入るはずのセラフィムはいない。やがて互いに魔術を繰り出しての争いとなった。魔王の火球が室内を乱れ飛び、サーキュラーの捕獲網がそれを追い払う。室内は散々なありさまになった。
「この網を外せ!」
「ふざけんな!」
本性に戻ることは二人とも避けていた。魔王城が吹き飛んでしまうからである。それでも魔王の自室近辺はすさまじいエネルギーが噴き出しており、あまりの騒ぎに四大将軍達は仕方なく様子を見にきた。
「これ、魔王様とサーキュラーちゃんよね」
ワンダがドア前で途方に暮れたように言った。となりでファイがうなずく。昨日戻ってきた地精将のグランデと雷精将のサンダーもどうしたらいいのか分からず、そこに立ち尽くしていた。
「こんなの初めて見ました。司令も魔王様も恐ろしすぎる」
ジャージ姿で竹定規を持ったグランデが言った。四大将軍は全員が女性である。グランデは体育教師みたいな格好をしていたが、実際、前職は学校教師であった。サーキュラーは部下の服装に構わなかったので、彼女は仕事用に持っている服をそのまま着ていた。
「止められると思う?」
みんなに問いかけたのは雷精将のサンダーだった。他の三人が首を横に振る。そうだよね、と長い袖と裾を引きずったワンピースを着た彼女は答えた。頭には小さなゴールドの髪飾りがついていて動くたびにさらさらと揺れている。
「どうする?」
「どうするって言ったって……」
全員で行っても見境がないほど魔王の頭に血が昇っていればそれまでである。我に返ったサーキュラーが庇ってくれるかもしれないが、我に返らなければ全滅だ。
「みなさん、なんですの」
後ろから声がした。四大将軍達は振り返り、そこに可憐な美少女が立っているのを発見した。こんな魔族の居城には不釣合いなほど可愛らしかった。
「あー……」
「もしかして、姫様、ですね」
四大将軍達はフーシャ姫を見たことがなかった。以前の企画では彼女らがフーシャ姫と会う機会はなかったし、城に戻ってからはセラフィムと魔王がいつでもそばについていて、彼女らにはとうてい近寄るすべはなかったのだ。
「そうですわ。フーシャと申します」
魔王が大事にしているらしいという噂だけは伝わっていた。四大将軍達はじっくりとフーシャを見て、なるほど、と思った。自分達にはいないタイプである。
「あなた方は?」
無邪気な表情でフーシャはたずねた。水精将のワンダから順番に名乗り、最後にサンダーが自分たちがサーキュラーの部下であることを説明した。そうですの、とフーシャ姫は言った。
「なぜここに?」
「魔王様とサーキュラー様がケンカしてるんで止めにきたんですけど……」
サンダーが言った。全員の顔が曇る。
「私たちでは止められませんのよ、姫様」
ワンダが言うとフーシャは不思議そうに言った。
「なぜですの」
言いづらそうにグランデが答える。
「格が違いすぎます。半端に入れば私たちが吹き飛びます」
「そうですの」
フーシャはさらに不思議そうな顔になった。その間も魔王の自室からはドタバタガッシャンという音が聞こえる。サーキュラーの罵声と魔王の怒鳴り声も聞こえてきた。フーシャの眉間にしわが寄る。
「魔王様もサーキュラーも……本当にまるで子供ですわ」
そのままフーシャはつかつかとドアの前まで歩いていった。ドアノブをがちゃがちゃ鳴らし、鍵がかかっていることに気づく。その音で室内が一瞬静かになった。気がそれたのだろう。
「開けます」
その隙を突き、サンダーが錠前にカミナリを落として壊した。フーシャはがばっとドアを開き、中に入っていった。
「魔王様! サーキュラー! 何をしてらっしゃいますの!」
怒ったフーシャの声が響いた。室内が静かになる。えっ、あ、といううろたえた声も聞こえた。サーキュラーの声であった。
「なんですの、この部屋は! セラが寝込んでいるっていうのに二人ともどういうことですの!」
「いや、姫、これは……」
魔王の言い訳が聞こえる。四大将軍達はそうっと中を覗き込んだ。めちゃめちゃになった部屋の中で、フーシャ姫が魔王とサーキュラーを叱りつけていた。両方ともいたっておとなしく叱られていた。
「強い……」
ファイが言った。残りの将軍達はうんうん、とうなずき同意した。