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アラウンド・ザ・シークレット2  作者: 空谷あかり
1/9

1 南の島から

 魔王が恋人のフーシャ姫や側近らとともに、南の島に逃げ延びてから半年ほどたった頃のことである。彼は特段やる気もなく、毎日フーシャと遊びながらだらだらと過ごしていたのだが、さすがにそれではまずいのではないかと思うようなニュースが入ってきた。なんでも勇者ジークが王位を継ぐために、フーシャ姫を探しているとの話であった。

「……魔王様、ちゃんと聞いていらっしゃいますか」

 その時魔王はビーチに寝転がり、目の前を走るカニを眺めていた。彼の視線に気づくとカニは、大きな右側のハサミを振り上げて威嚇してきた。激しく上下に振っている。指を出したら挟まれそうであった。

「聞いているぞ、セラフィム」

 魔王はカニから目を離すともそもそと起き上がり、あぐらを組んで白い髪と赤い上着の側近に向き直った。頭を振って長い紺色の髪の毛についた砂を振り落とす。もっとも長すぎるので下のほうは砂地についてしまっていた。彼の髪はくるぶしまであるのだ。

「それでですね、そのほかにも魔王様に魔王城にお戻りいただきたいと、そう嘆願書が来ております」

「嘆願書?」

 魔王が聞き返すとセラフィムはうなずいた。

「魔王城にはジークらが新領主として入りましたがすぐに出発地に戻ってしまい、実際のところ統治されておりません。城も領地も荒れ放題です」

「それはまずいな」

 反射的に魔王は言った。その言葉に力を得てセラフィムは話を続けた。

「現在、魔王城には留守番の兵士がいるだけです。周辺の治安維持もされておりません。モンスター達はおろか入植した人間達からも、魔王様のお戻りを願う文書が届いております」

「人間がいるのか?」

 彼はずっとこの島で遊び暮らしていたので、自分がいなくなった後のことは全然知らないでいた。あえて無視していた部分もある。ジーク達が適当でも統治するだろうと考えていたのだ。まさかそんなに無責任だとは思っていなかったのである。

「はい。ジークらが来た時に開拓のために連れてきたようです。もっとも開墾作業はまったく進まず、仕方なく城の周囲に田畑を作って細々と暮らしているようですが」

 魔王はうなってしまった。魔界の木々や獣らを人間が駆逐するのは無理であろう。そもそも住人であるモンスター達だって、安全な城の周囲からはめったに出歩かないのだ。魔獣に食われたくないからである。

「魔王様、お戻りいただけますか」

 仕方なく彼は立ち上がった。もうひとつ頭を振り、隠していた巨大な二本角をその頭に出現させる。

「どこからだ、セラフィム」

 白髪の側近は彼が寝転がっていたビーチマットを拾いながら答えた。

「魔王城を取り返すところからです。統治者はまだジークになっていますから」

「面倒くさいな」

 セラフィムは宙で腕を振り、大きなマントを出現させると魔王に着せかけた。マントを着せられながら魔王は言った。

「ここを片付けておけ。姫とサーキュラーも移動させろ」

「どこへ」

 魔王は照りつける日差しを見上げながら答えた。

「城下町は生きているのか」

「はい」

 ならそこへ、と魔王は言った。セラフィムはかしこまりました、と答えるとすっとその場から消え去った。


 セラフィムが城下町に用意した古家で、サーキュラーとフーシャ姫は魔王の帰りを待っていた。サーキュラーは魔王の直轄の部下であり、幼い頃からの付き合いのあるいとこ同士でもある。そんなわけで魔王軍統括総司令という肩書きを持っていた。今は魔王が職務放棄しているのでただの友人であり、魔王の家に居候をしている身分である。

 取り壊し寸前のボロ家なのであちこちガタがきていて埃っぽい。そんな建物をセラフィムはくるくると動き回って掃除をしていた。

「休めよ、セラ」

 見かねたサーキュラーが声をかける。その向かいでフーシャもうなずいた。二人はきれいになったダイニングでお茶を飲んでいたのだが、自分達だけが遊んでいるのも少々気がとがめたのである。

「そうですわ。お茶にして休憩されたらいいと思いますの」

「……そうですか。そうですね」

 セラフィムはきょろきょろとあたりを見回し、さっきまで使っていたモップとバケツを部屋の隅に追いやった。フーシャが立ち上がって一人分のお茶を用意する。いえ、とセラフィムはその手を押しとどめようとした。

「姫はお座り下さい」

 いいえ、とフーシャは微笑んで言った。

「セラばっかり働かせてはいけませんわ。わたしでもこのくらいはできます」

 セラフィムは一瞬あっけにとられた顔をし、すぐに笑顔になって椅子に座った。お茶を出してもらいながら彼は言った。

「人々がみな姫のようでしたら、どんなにかいいでしょうね」

「あら」

 フーシャが笑う。

「みんながわたしのようでしたら、きっと世界は大変なことになってしまいますわ」

「確かにな」

 すかさずサーキュラーが突っ込む。三人は笑いあうと午後のお茶を楽しんだ。


 魔王が戻ってきたのは日が暮れてからのことである。へんてこなハンチングをかぶって雨に濡れて帰ってきた彼は、まるで貧乏学生のようであった。実際、学生時代はこんななりで貧乏暮らしをしていたこともある。理由は古書を買いすぎて仕送りを使い尽くしてしまったからであった。その古書はというと魔王城の書庫に眠っていて目を通したことはない。

「おかえりなさい」

 いそいそとフーシャが出迎えに行く。なんとなく新婚カップルのような空気が漂い、サーキュラーとセラフィムは目をそらした。毎度のことなのだが、こればっかりは二人ともなんとも居心地の悪い気分になるのだ。

「で、城の周りはどうだったんだ」

「特に変わりはない。人間が増えただけだ」

 サーキュラーがその空気を無視して無理やり話しかけた。魔王は返事をして帽子を取ると、一同が座っているダイニングのテーブル前の椅子に腰掛けた。セラフィムが夕飯を用意する。と言ってもきちんとした食事があるのはフーシャだけで、魔王の前には香草のきつい香りがするスープだけだし、サーキュラーの前には生の大きなカエルが置かれている。セラフィム自身にいたっては何もなかった。

 最初びっくりしたフーシャが魔王に「食事くらい一緒にさせてあげてください」と言ったのだが、実はそうではなく、セラフィムは食事の必要がない。それを理解するまでフーシャは二週間かかった。

「今日も何もいらないんですの?」

「はい」

 給仕をしながらにこにことセラフィムは答える。カエルを振り回しながらサーキュラーが言った。

「フクレガエルもいいんだけどよ」

「はい」

 何事かとセラフィムは返事をした。魔王はそしらぬ顔でスープをすすっている。

「デュピアとかでもいいぞ。ていうかカエル飽きたよ。最近こればっかだ」

 セラフィムは困ったような顔になった。あーあれですか、と言う。

「魔王だってスープばっかりだろ。タダみたいなもんだし、たまには用意しろよ」

 話を聞きながら食事をしていたフーシャが疑問を差し挟んだ。

「デュピアって何ですの?」

 彼女の前には暖かいシチューとパン、それに果物が置かれている。とても上品に彼女はシチューを口に運んでいて、その姿勢のまま少し上目遣いに彼らを見上げた瞳が愛らしかった。

「ええと、その……」

 セラフィムが言いづらそうにする。魔王は質問を無視した。サーキュラーは目ざとく、すぐ横の壁に話題のものが這っているのを見つけた。

「ああ、これだよこれ」

 カエルを皿に戻し、カサカサ動くそれをひょいと掴む。そしてぽい、と口に入れた。

「いやあああああああ!」

 フーシャの絶叫が響き渡った。デュピアとはゴキブリのことである。


 食事を残し、フーシャは部屋に引きこもってしまった。おそらく明日の朝まで出てこないであろう。カエルとスープでごまかし続けていたセラフィムの苦労は水の泡であった。魔王とサーキュラーは魔族なのだが、フーシャだけはれっきとした人間なのである。

「悪い悪い」

 あの後サーキュラーは台所を漁り、ゴキブリの巣を見つけ出した。粘着性のある網を上から軽くかけてたくさんのゴキブリを固定すると、彼は堂々とそれらを食べだした。サーキュラーの正体は巨大な金蜘蛛である。カエルや鶏肉も悪くはないのだが、やはり昆虫が一番好みに合うのだった。

「全然そう思ってないだろう」

 魔王に言われてもサーキュラーはびくともしなかった。それだけカエルに飽きていたのである。

「だってよう、もう限界だよ。お前だって結構きてるんじゃないのか。腹が鳴ってるぞ」

 魔王が飲んでいたスープは食欲を抑える作用がある。セラフィムと違って彼はちゃんと食事を取るが、回数はさほど必要としない。その代わり大食いだ。魔王の本性は黒いドラゴンであり、その食性は爬虫類のものである。

「それじゃ足りん」

 魔王はゴキブリを見ながら言った。この頃には群れはあらかた食い尽くされていて、サーキュラーは次の群れを物色しにかかっていた。

「明日、市場でニワトリを二十買ってくる。セラフィム、姫を頼む」

 彼は諦めたようにそう言った。はい、とセラフィムは素直に返事をした。


 翌朝遅くフーシャが自室から出てみると、メンドリが二羽、庭先に放たれていた。魔王の姿はない。彼女は食事を用意しているセラフィムに声をかけた。

「魔王様はどちらへ行かれましたの?」

 一夜明けたキッチンはとても清潔になっていた。昨日サーキュラーがゴキブリを全部駆除したからである。そのサーキュラーは、まだ片付け終わっていないリビングをうろうろしていた。この家が思いのほか古く、あちこちにいろんな虫が巣食っていることに気づいたからであった。

「魔王城へ下見に行かれました」

 目玉焼きの乗った皿をトレーに載せ、セラフィムは返事をした。その横にトーストとオレンジジュースを置き、彼はそれをフーシャのところまで運んできた。彼女は自分の席に座るとそれを受け取った。

「下見?」

「ええ。今は人間もいますので、どうしたものか考えておられるようです」

 そこへサーキュラーが戻ってきた。よっ、とフーシャに声をかける。フーシャは眉をひそめ、ふう、とため息をついた。

「おはようございます」

「おう」

 彼女はしばらく目玉焼きを見ていたが、顔を上げて言った。

「昨日のようなことは私の前ではなさらないで下さい。お願いしますわ」

 あー、悪い、とサーキュラーは言った。フーシャはオレンジジュースを見て、それからサーキュラーとセラフィムを見た。

「魔王様も含め、そういう方々だったというのを忘れていた私もいけないのです。なので、私の前でなければ気にしないことにします」

 そう言い放つと、彼女は黙々と朝食を食べだした。困ったようにサーキュラーはその様子を見ていたが、

「分かった。もうやらない」

と答えるとセラフィムにお茶を出すように言った。セラフィムがキッチンに下がる。

「ではこの話はこれで終わりです。ところで、あのニワトリはなんですの?」

 無邪気にフーシャはサーキュラーにたずねた。あっ、とセラフィムが思った時には遅かった。

「ああ、あれか。あれ魔王の食べ残し。しばらく食ってなかったから二十も鶏買ってきて、あれだけ残してみんな食いやがった。いくら黒竜族だからってよく入るよ」

 フーシャの眉間にしわが寄った。しかし彼女はそのまま食事を続けた。ゴキブリよりははるかにましだからであった。

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