58 離宮でのパーティ
部屋にはエルネストの正装も届いていた。
オスカーが言って、ヴォルフズ家の使用人たちに用意させたらしい。
執事のセオドアもやってきて、レイブンズ家の使用人たちも協力して、すぐにエルネストの身支度が進められていく。
ヴィオレッタは衝立の反対側で、ソファに座って身支度が終わるのを待った。
「そもそもどうして捕まってたんだ?」
オスカーの問いに、エルネストはしばらく沈黙したのち。
「……不覚を取った」
呻くように言う。
「ばーか。でもアンバーを逃がしたのはお手柄だったな。僕がアンバーを見つけられていなかったら、今頃どうなっていただろうな?」
「…………」
「ヴィオをあんまり怒るなよ。お前のために必死に頑張ってたんだからな。あとは、まあ、ヴィオを守ってくれてありがとな」
オスカーはそう言うと、扉の方へ向かう。
「これからも、お前が守れよ」
それだけ言って、部屋を出ていく。
(お兄様……)
仕事を終えた使用人たちも、すっと部屋を出ていく。
そうしていつの間にか、部屋の中にはヴィオレッタとエルネストだけになっていた。
「――ヴィオレッタ」
「は、はい」
背後から名前を呼ばれ、ヴィオレッタはぎこちなく返事した。
エルネストが目覚めてからいままで、こうして二人きりになることはなかった。常に誰かが傍にいて、深い話をすることができなかった。事件についての詳細な話をするのは憚られた。
だが、いまは二人きりだ。
ヴィオレッタは緊張感の中、エルネストに背を向けたまま固まっていた。
夫の顔を見ることができない。
怒涛の忙しさの中できちんと向き合えていなかったが、ヴィオレッタのしたことはとんでもないことばかりだ。
勝手に行動して、危険な場所に飛び込んで。
クロを大暴れさせて倉庫を破壊させて。
銃口を向けられてまったく反応できず、エルネストに怪我をさせてしまった。
そのことをまだ謝れていない。
「――エルネスト様、ごめんなさい」
声は引きつり、わずかに震えてしまっていた。
振り返ることができない。
「わたくしのせいで怪我を……」
「君のせいではない。そもそもが私の落ち度だ」
「ですが……」
事実として、ヴィオレッタの行動がエルネストを傷つけた。
「……君に銃が向けられた瞬間、身体が勝手に動いていた。君にもしものことがあったら、私は生きていけない」
後ろから響く切実な声に、胸が締め付けられる。
「わたくしだって、まだ死にたくないですけれど……エルネスト様に何かあったら……自分が死ぬより嫌です」
想像するだけで怖い。
怖くて、怖くて、たまらなかった。
眠り続けるエルネストを看病していた時、このまま目覚めなかったらどうしようと何度も考えていた。
ヴィオレッタが座るソファの背に、エルネストがそっと手を置いた。
「――ヴィオレッタ、顔を見せてくれないか」
「ダメです。いまエルネスト様の顔を見たら、泣いてしまいます」
ヴィオレッタは下を向き、両手でドレスをぎゅっと握りしめた。
泣いているところを見られたくない。
弱いところを見られたくない。
それに、泣いたら、化粧が崩れてしまう。
せっかく綺麗にしてもらえたのに。
エルネストが後ろからそっとヴィオレッタの肩に手を回し、優しく抱き寄せてくる。
背中に感じる体温と、腕の力強さ。
生きている実感に、次第に心が落ち着いてくる。エルネストの存在が、すべての不安を包み込んでくれていく。
ヴィオレッタは顔を上げ、ゆっくりと振り返る。
青い瞳と目が合った瞬間、目許から涙が零れた。
「ふふっ……とても素敵です」
ヴィオレッタは涙を拭いながら微笑んだ。
正装姿のエルネストは、いつもより一層輝いて見えた。
エルネストも小さく微笑む。彼の額がそっとヴィオレッタの額に触れ、驚きと安心感が生まれていく。
「君もとても美しい。ヴィオレッタ、君がいてくれるだけで、私は本当に幸せだ」
お互いに笑い合いながら、そっと口づけをする。
くすぐったくて、幸せで。
ずっとこのままでいたいと思った。
◆◆◆
空が夕焼けに染まるころに、王城の離宮で華やかなパーティが始まる。
王子たちとリーヴァンテ公爵家ゆかりの貴族たち、そして公爵令嬢であるアイリーゼの親しい人たちが集まり、女王もその場にいた。
六十人ほどの招待客が、豪華なシャンデリアの下で会話を楽しんでいる。
レイブンズ家の伯爵と伯爵夫人、オスカーとルシアも参加していた。
ヴィオレッタはエルネストにエスコートされ、会場に入った。
ぴったりと寄り添って歩いていると、会場中の視線を感じて内心で感嘆する。
(さすがエルネスト様……物凄い注目度だわ)
特に女性たちからの視線が熱い。
エルネストの整った顔立ちと堂々とした振る舞いに、貴婦人たちや令嬢たちが引き寄せられているのがわかる。
(わたくし、浮いていないかしら)
女性たちは皆、豪華なドレスを纏っている。鮮やかな色彩と宝石の輝きがとても眩しい。
ヴィオレッタもドレスと宝石は劣っていないと思っている。だが、中身はどうだろう。
それに、まだあの噂を覚えている人々もいるだろう。
――ふしだらな悪女。
事実ではないことを言われても普段なら気にしないが、いまのヴィオレッタはエルネスト・ヴォルフズ侯爵の妻だ。
自分の悪い噂のせいで、エルネストまで好奇の目で見られるのは胸が苦しい。
心配になってきてちらりとエルネストを見上げると、すぐに青い瞳と目が合う。
そして、微笑まれる。
「今日の君は、夜空の女神のようだ」
その言葉は会場に強く響き、ヴィオレッタは心臓が口から飛び出しそうになった。
(エルネスト様が冗談を言うなんて……冗談よね?)
どうにも困ったことに、エルネストがこのような場で冗談を言うようには見えない。
そしてヴィオレッタは、いつの間にか緊張が解けていることに気づいた。
(緊張をほぐしてくださったのかしら)
女王や王子、リーヴァンテ公爵とアイリーゼに挨拶していくうちに、自然と笑顔が浮かぶようになっていく。
挨拶が終わったころ、ダンスの音楽が流れ始める。
ヴィオレッタはエルネストに手を引かれ、中央へと進んだ。
向かい合って立ち、大きな手がそっと腰に触れると、心臓が一瞬高鳴る。
ヴィオレッタはエルネストのリードに導かれながら、練習通りに踊った。力強い腕に支えられると、安心感が広がる。
ステップを踏み外してしまうこともあったが、その度にエルネストが即座にフォローしてくれた。そのたびに微笑みを交わしながら、最後まで踊った。
「あの、エルネスト様。わたくしは他の曲は踊れないので――」
他の女性を誘って踊ってもらうべき、なのだが。
夫が他の女性と踊っている姿を見たくない。
「――少し休憩しましょう」
強引に治療院を出てきているので、無理をさせるわけにはいかない。
中央から抜け出し、壁際に移って一息つく。
給仕が運ぶシャンパンのトレイが近づいてきた時、エルネストが一杯を取ってヴィオレッタに差し出す。
「いえ、わたくしはお水で」
ヴィオレッタは控えめに断った。
これから一世一代の舞台が待っている。
オスカーにも酒を飲まないように注意されている。酔ってしまって失敗するわけにはいかない。
それに、ヴィオレッタは少し前から酒を飲まないようにしていた。
運ばれてきた水を受け取り、喉を潤した。
冷たくて、火照った身体に心地いい。
会場の片隅のテーブルには、白い幕がかかった大きなものが鎮座している。
まるで銅像でも覆い隠しているかのような存在感だ。
ヴィオレッタの心臓はドキドキと高鳴った。
(――大丈夫。何もかもうまくいくわ)






