57 パーティ当日
意識を取り戻したエルネストは、しばらく治療院で絶対安静で療養することになった。
パーティには出られそうにないが、ヴィオレッタにとっては些細なことだ。
そしてヴィオレッタはパーティの準備に没頭した。とにかく時間がなかった。目まぐるしく働き続け、前日に会場となる離宮でスイーツの準備を終わらせ、そのまま離宮に泊まった。
――そしていよいよパーティ当日。
パーティは夕方からだが、ヴィオレッタは昼から離宮の部屋で身支度を整えていく。
新たにドレスを準備する時間はなかったので、昔作って着ていなかったドレスを母とルシアが流行を取り入れて仕立て直してくれたものを着る。
(お母様とルシアは、本当にセンスがいいわ)
母は流行を完璧に把握している。
そしてルシアは昔からセンスがいい。
レイブンズ家が贔屓にしている仕立て屋の腕もいいのだろう。少し昔のドレスなのに、最新のデザインとなっていた。
髪も母のお気に入りの髪結い師に結ってもらった。
鏡に映る完璧な侯爵夫人の姿を見て、ヴィオレッタはしばらくそれが自分だとうまく認識できなかった。
(わたくしじゃないみたい……)
すべての身支度が終わり、最後に指輪を身に着ける。
エルネストから贈られた、青いダイヤモンドが輝く指輪だ。代々のヴォルフズ夫人が身に着けるものらしく、その青い輝きはエルネストの瞳の色とよく似ている。
普段は大切に仕舞ってあるが、この場ではどうしても身に着けたくて持ってきた。
この指輪を見ていると、胸があたたかくなり、勇気が湧いてくる。
(――大丈夫。何もかも絶対にうまくいくわ)
椅子に座り、今日の予定を改めて確認していると、部屋の扉が開く。
入ってきたのは金髪の貴公子だった。
「お兄様、今日はよろしくお願いします」
エルネストはまだ医務官からの許可が出ていないため、治療院で療養中だ。あと一週間ほどは入院が必要らしい。
もちろんパーティに出られないので、オスカーにエスコートを頼んだ。
オスカーはヴィオレッタの近くにやってくると、じっと顔を見つめてくる。
「お前、寝てないだろ。化粧でも隠しきれていないぞ」
「お兄様、デリカシーが皆無です」
着飾った女性の前でなんてことを言うのだろう、この兄は。
そしてオスカーの言った通り、最近は準備に追われていてまとまった睡眠時間を取れていない。昨日の夜は完全に徹夜だった。ヴィオレッタも、マルセルも、ミエル・ヴィオレのスタッフも。
「一晩ぐらい寝なくても平気です。むしろなんだかテンションが上がってきています」
「酒は飲むなよ。徹夜明けは回りやすいからな」
「言われなくても飲みません」
「ならいい。ところで、もう準備は終わったのか?」
「はい」
「じゃあ、少し外に出るか」
部屋を出て、オスカーの後ろをついていく。同じ階層にあるバルコニーまで。
庭に面したバルコニーは、出入り口に警備兵がいるものの他に人はいない。
内緒話をするにはうってつけの場所だった。
バルコニーからは美しい庭園が一望でき、遠くには王都の街並みが広がっている。
柔らかな風が吹き抜け、ヴィオレッタのドレスの裾をそっと揺らした。
「今日は大丈夫なのか?」
「わたくしはわたくしのするべきことをするだけです。今日は王国にとってもすごく特別な日になりますよ」
スイーツの準備は万全だ。
あとはお披露目を残すのみである。
ここまでこれたのも、パティシエのマルセルの才能と努力、ミエル・ヴィオレのスタッフたちの協力、そしてオスカーとルシアが一緒にヴォルフズ領へ黄金糖を取りに行ってくれたことがあってだ。
「多くの方々に支えられてここまで来ました。絶対に成功させてみせます」
「……強くなったな。いや、昔から強いか」
外の景色を眺めながら言う。
どこまでも続く青い空と、人々が生きている王都の姿がよく見えた。緑豊かな庭も、そこに咲く白い花も美しい。
この離宮は先々代の王が愛する王妃のために建てたという。
主がいないいまは、高位貴族のパーティの場所としてよく使われている。
「……サディアス様はどうなるのでしょうか」
サディアス・カルドネア次期公爵だった彼はいま、逮捕されて投獄中だ。
密売に関わっていた人間たちや雇われていた傭兵たちは次々逮捕されている。アンバーがアンブロシアパウダーを使っていた人間を次々と見つけて捕まえているという。
王都からアンブロシアパウダーは近いうちに一掃されるだろうと、シエラから聞いている。
ちなみに、クロが破壊した倉庫の弁償をするつもりだったが、持ち主を探す前に既にマグノリア商会が買い取っていた。新しい倉庫が欲しかったのでちょうどよかったらしい。
そして、あの夜を無事乗り越えたことで、シエラのマグノリア商会への借金も無事に減ったらしい。「閣下には感謝してもしきれません♪」と声を弾ませていた。
「少なくとももう表に出てくることはないだろうな」
オスカーはあっさりと言う。
「大罪に大罪を積み重ねたんだ。反逆罪が適応されるだろう。自業自得だ」
将来を約束されていたはずの次期公爵。
輝かしい未来が待っていたはずなのに、違法な薬物に手を出し、密輸し、犯罪組織に流通させて莫大な利益を得ながら王都に薬物を氾濫させて。
侯爵を監禁し、銃で傷つけた。
(アイリーゼ様……ショックでしょうね)
親戚関係にあるリーヴァンテ公爵家にも既に話は行っているはずだ。
パーティの準備中何度か話したが、アイリーゼはそんな素振りをまったく見せなかった。
気丈な姿からは、王子妃になる覚悟を感じた。
「……サディアス様は、どうしてあんなことをしたのでしょう」
――ヴィオレッタはどうしても、政争に敗れたぐらいで、と思ってしまう。
本人も、エルネストと共に女王陛下の御許で豊かな未来を作っていきたいと言っていたのに。
過去に囚われ、得られなかった栄光に追いすがり、自ら堕ちていった。
「現状に耐えきれなくて、復讐心や薬に頼っただけだ。そして負けた。それだけだ」
手厳しい。
「僕はあいつを絶対に許すつもりはない」
サディアスのしたことは、決して許されることではない。ヴィオレッタも許すつもりはない。
だが、そこに至った人生を思うと、一抹の哀れみを覚える。もっと他の生き方があったはずなのに。
「――ヴィオ」
「はい」
「僕は、お前とエルネストの結婚に反対だった」
ヴィオレッタは驚いてオスカーを見つめる。
「ヴォルフズ家はその役割上、恨みを買いやすいからな。今回だってそうだった」
「……いまは反対していないんですか?」
素直な疑問を口にすると、オスカーはしばらく黙ったのち、呟いた。
「お前が、あいつのことを好きなのを知っていたしな」
「……え? い、いつから――」
「学園時代から。お前はわかりやすい」
ヴィオレッタは顔が真っ赤になるのを感じた。
誰にも言ったことがなかったはずなのに。
恋心を見透かされていたなんて、物凄く恥ずかしい。
「それでも、不幸にさせてたら無理やりにでも連れて帰るつもりだった。自分でも帰れるようにクロを放った」
「お兄様……過保護です」
「普通だ普通。妹を心配するのは普通だ」
オスカーは怒ったように言いながら、手すりに体重を預けた。
「結局お前は帰ってこなかっただろ。……あいつも、ちゃんとお前のことを大事にしているのがわかったからな」
ため息をついて、目を閉じる。
――刹那、勢いよくバルコニーの入り口が開く。
驚いて振り返ると、エルネストが駆け込んでくるのが見えた。
「――ヴィオレッタ!」
「エルネスト様?」
ヴィオレッタはびっくりしてエルネストに駆け寄る。
「どうして……まだ入院していないといけないはずですよね?」
治療院から離宮まで、それなりに離れている。軽いリハビリで来る距離ではない。
エルネストは真剣な眼差しでヴィオレッタを見つめ、息を整えながら言った。
「君をエスコートするのは、私の役目だ」
その言葉に心臓が跳ねる。
ヴィオレッタは思わず目を伏せた。
「でもまだ怪我が――薬の影響だって」
「そんなもの、どうということはない」
そんなわけがない。
ないのだが。
真剣な目で切実に訴えられると、ほだされてしまいそうになる。
(こ、ここは毅然と――毅然、と……)
意を決して顔を上げる。
「ヴィオレッタ……」
――毅然と。
治療院に連れて行かなければならないのに。
「……本当に大丈夫なんですね?」
「ああ」
「具合が悪くなったらすぐに言ってくださいますね?」
「……ああ。わかった」
「でしたら、お願いします」
エルネストの顔がぱあっと輝く。
その姿を可愛らしいと思ってしまった。
「エスコートできる格好じゃないだろ。本当、手のかかる義弟だな」
オスカーが冷静に言ってエルネストの腕をぐいっと引っ張り、借りている部屋に連れていく。
ヴィオレッタは苦笑しながら、その後ろについていった。






