53 商売の道は商人
ヴィオレッタはオスカーとシエラと共に馬車に乗り、最初にミエル・ヴィオレに行ってヴォルフズ領から持ち帰った黄金糖を届ける。
その後向かったのは商業地区――その中のマグノリア商会だった。
「アンブロシアパウダーが密売されているとして、密売も商売のうちでしょう? 商売のルートに一番詳しいのは、同じ商人でしょう。それでなくてもマグノリアさんは情報網が広いので、何かご存じかもしれません」
ヴィオレッタの言葉に、シエラは浮かない表情をする。
「あまり期待はできませんよぉ。商人同士は強い繋がりがあります。相手が合法的な商売をしている限り、協力してもらえるかはわかりません」
「密売なのにか?」
オスカーの問いに、シエラは首を捻る。
「その証拠をあたくしたちが持っていないでしょう……」
アンブロシアパウダーの現物はいまだシエラが持っているが、何の変哲もない瓶に入っているだけだ。そこから引き出せそうな情報はない。
「商人たちは、ライバルであり仲間です。商売の神メルキオールを信仰する共同体です。ですが、密売という違法行為に絞るなら、話の持って行き方次第では情報を引き出せるかもしれませんが……」
シエラはあまり期待していないようだった。
馬車は整備された石畳の上を進み、そしてマグノリア商会の前に到着する。
中に入ると、副会長であるディーンが出迎えてくれた。
「ようこそおいでくださいました、ヴィオレッタ様。本日はどのような御用件でしょうか」
いつもと同じように、落ち着いた笑顔で快く迎えてくれる。
「突然ごめんなさい。会長さんとお話したいことがあるんです」
「かしこまりました。少々お待ちください」
そのまま直接、応接室に通される。
そしてそこには既にマグノリアが座っていた。
「いらっしゃい、ヴィオレッタ様。どうぞおかけになってください」
促され、ソファに座る。
「――会長さん、アンブロシアパウダーの流通ルートをご存じですか?」
ヴィオレッタは早速本題に入った。
「――侯爵夫人?!」
シエラが慌てたような悲鳴を上げる。
マグノリアはわずかに目を見開き、微笑んだ。
「アンブロシアパウダー……随分と物騒な商品をご存じですね。同量の黄金とで取引されるものですよ」
マグノリアの言葉に、ヴィオレッタは驚愕した。
そこまで高価なものだったなんて。
その上依存性が強いとなれば、使用者は簡単に破滅するだろう。そして、流通させている側は莫大な富を得るだろう。
(これは確かに、徹底的に取り締まらなくてはならないものだわ)
でなければ、いずれ国をも亡ぼす。
「あたしの大っ嫌いなご禁制品ですが、取扱いをご希望ですか? だとしたら、他を当たってください」
「――いいえ。品物そのものには興味ありません。わたくしが知りたいのは、ルートのみです」
ヴィオレッタは駆け引きなしに正直に言った。
「……商売上知りえた情報を商人以外に流すのはご法度なんですがねぇ」
マグノリアはそう言って、応接室に飾られている商売の神――メルキオールの像を見る。
片手に公正さを示す天秤。
片手に富を示す金貨を持つ、壮年の男性の姿をした神。
――商売は情報が最も重要になる。
情報の交換には信頼関係が必要であり、それを他へ流す行為は同じ商人への――そして商売の神への裏切りになると、マグノリアは考えているようだった。
ここで法を盾に正義感を振りかざしたところで、マグノリアは受け入れないだろう。
なにせ、正義を裏打ちする証拠がない。
だからヴィオレッタは、商人の流儀に従った。
「もちろん謝礼は致します。わたくしの個人資産の範囲になってしまいますが……そのすべてをお渡ししますので」
ヴィオレッタが言うと、マグノリアは愉快そうに笑い出した。
マグノリア商会の会長の顔から、ヴィオレッタがよく知る友人の表情になる。
「そりゃあ豪気だ。没落貴族の一地方ぐらいぽんっと買えるんじゃないかい?」
「だってそれくらいはないと、天秤のバランスが取れないでしょう?」
微笑みながらも、まっすぐにマグノリアの目を見る。
「……ヴィオレッタ様にとっては、それぐらい重い存在だと?」
――マグノリアも、エルネストの失踪は知っているようだ。
ヴィオレッタは頷いた。
「……こちらが黄金糖の権利を求めたら、どうしていました?」
「あれはわたくし個人のものではありません。領地の――そして世界の宝です」
ヴィオレッタが軽率に手を出していいものではない。
「それを守るためなら、ヴィオレッタ様自身が没落していいとまでお考えで?」
「はい。お金がないと何もできませんが、お金だけでは何もできませんもの。資産はまた築いていくことができます。何も惜しくありません」
――ヴィオレッタが望むのは、エルネストが帰ってくることだけだ。
とはいえ、エルネストなら窮地に陥っていても、自力で切り抜けられるだろう。そう、信じている。
ヴィオレッタの行動が裏目に出るかもしれない。
それでも、何もしないままではいられない。
「不躾、ルール違反は承知の上です。お願いします」
「……無理だね。売ることはできない」
「…………」
「ヴィオレッタ様。この件の裏には、あなたが思う以上に大きなものが蠢いている。だから、売ることはできない。商売には帳簿が残る」
マグノリアは不敵な笑みを浮かべて言いながら、机の上にある王都の地図を眺める。
「ここからは単なる独り言なんだけどさ」
――とん、と地図上の一点を指で叩く。
「商業ギルドの倉庫街――この前潰れた商会の倉庫なら――人もいないし物もないから殺風景だろうが、散歩にも向いていそうだ」
「あら、まあ……本当。クロの散歩にもちょうど良さそうですね」
「独り言に返事するんじゃないよ」
マグノリアは苦笑する。
「でも、同じことを考えている人間も多いみたいだねぇ。ここ最近、人の出入りが多い。ゆっくり散歩出来るかねぇ」
ヴィオレッタはすっと椅子から立ち上がる。
「お話、ありがとうございました。散歩しながら帰ります」
「ご案内しますよ。荷を取りにいく用事がありますので」
ディーンの落ち着いた声と笑みに、ヴィオレッタは微笑んだ。
「ありがとう、ディーン。でも、危険だと思うわ」
「なればこそ。それに、倉庫街は意外と複雑ですからね」
ヴィオレッタはオスカーとシエラの方を見る。
オスカーはいつもと変わらない様子で、ヴィオレッタの判断にすべて任せてくれているようだった。
シエラは不服そうな顔をしながらも、それをぐっと飲み込んでいた。
「ところで、マグノリアさん。まさか、関わっていたりしませんよねぇ?」
シエラの問いに、マグノリアは失笑する。
「ご禁制に手を出すほどバカじゃないさ。それにあたしは、関わる人間全員を幸せにする商売が好きなのさ。破滅がわかっている品物に手を出すやつになんて、関わりたくもないね」
「ならいいですけどぉ……」
「ところで、レディ・ウルぺス。あたしの大事なお得意様と可愛い弟子に傷を一つでもつけたなら――」
マグノリアの瞳がヴィオレッタとディーンを映す。
ごくり、とシエラが息を呑む。
「ウルペス家が王都にいられないようにして差し上げますから、お気をつけくださいな」
「え、あたくし脅されてる?」
「その代わり……万事がうまくいったら、こちらも相応の礼をしますから」
「よーっし! やる気出てきたー!」






