50 朝の庭
―――翌朝。
先に目覚めたヴィオレッタは、ルシアを起こさないように気をつけながらベッドを下り、着替えて庭に出た。
冷たく澄んだ朝の空気が頬を優しく撫でる。
葉の上に乗る朝露たちがキラキラと輝いて、爽やかな香りを漂わせている。
ヴィオレッタは深呼吸をして、朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「ああ、今日も素晴らしい日だわ」
ヴィオレッタはこの空気が好きだ。
この光が好きだ。
この地が好きだ。
清々しい気持ちで庭の畑を見に行く。
畑は緑の輝きが美しく、生命力に満ち溢れていた。
(うん。紙筒栽培の甘カブもうまく行っているようね)
ちゃんと根付いて育っている。
試しに育成状況が良くない細いものを一本抜いてみたが、根がまっすぐに育っている。この分ならこの後の育成も期待できる。
あとは無事収穫できるかだが、土の下にできる野菜は、掘るまで状況がわからない。
(わくわくするわね! この甘カブの間引き菜は茹でて食べてみようかしら。まだ小さいうちならアクも少ないかも)
テオに頼みに行こうとしたところ、庭に出てきたオスカーを見つけた。
「おはようございます、お兄様。今日は早起きなのですね」
「ああ……おはよう。ヴィオ、ルシアの様子はどうだ?」
「よく眠っています。とっても疲れたんでしょうね」
ヴィオレッタは昨夜のルシアの告白のことは黙っておくようにした。
「ルシア、頑張りましたよね」
「ああ。これだけの長距離を乗り切るなんてな。正直、もっと弱音を吐くと思ってたんだが……あいつも強くなったよな」
「きっとルシアも、これからはどこにでもいけると思います」
心も、身体も、本当に強くなった。
「ははっ、ようやく肩の荷が下りるな」
冗談めかして言うオスカーの横顔は、少し寂しそうだった。
ヴィオレッタが生まれてから、オスカーはずっと兄としてヴィオレッタを守ってきてくれた。
ルシアが生まれてからは更にその役割を果たしてきてくれていたのだ。
いまならそれがよくわかる。
小さい頃からずっと、兄に守られてきた。心配をかけてきた。たくさん、助けられてきた。
「お兄様、ありがとうございます」
「なんだ急に」
「わたくし、お兄様の妹でよかったです」
「……だから、なんだ急に」
「言っておきたくなっただけです。いつまでも頼りにしていますからね、お兄様」
「ばか」
照れくさそうに言う声は柔らかい。
ヴィオレッタは微笑みを深めた。
「でも、いつか結婚した時は、お相手の方を一番大切にしてくださいね」
「当たり前だ」
ぶっきらぼうに言って目を逸らす。
オスカーの金色の髪が、朝の風でふわりと揺れていた。
菫色の瞳で、空を――そしてずっと遠くの景色を見つめる。
「……お前も大人になったよな」
「ふふっ、いつまでも子どもではありませんよ」
「少し前まで黒鋼鴉の卵より小さかったくせに」
「いつの話をしているんですか」
オスカーは笑いながら、興味深そうに朝露に濡れる庭を歩く。興味深そうに植物のひとつひとつを眺めながら。
「ここは本当、他のところと育っているものが違うな」
オスカーは昔から植物や虫が好きだった。
「ええ、そのおかげで新しい作物とたくさん出会えます」
黄金糖を開発できたのも、この地方だからこそだ。
原料となる甘カブは、他の地方では甘く育たないという。
「ジャガイモもホクホクでとっても美味しいんですよ」
ヴィオレッタはオスカーと一緒に庭のジャガイモの様子を見に行く。
とても元気に育って、綺麗な花を咲かせている。ちゃんと株元に土寄せもされていて、葉も花も元気いっぱいに輝いている。
あと一か月もすれば新鮮なジャガイモが食べられるだろう。
「見た目はそう変わらないな」
「ですが、味が違うのです。きっと気候のおかげです。今年も好天に恵まれればいいのですが」
空を見上げ、静かに祈る。
どれだけ作物の世話をしても、最終的な出来は天候にゆだねられる。
強い風が吹けばすべてが薙ぎ倒され、長い雨が降れば実りが期待できない。
(風から作物を守るための防風林を増やそうかしら。育つまで時間がかかるけれど、いまするのが一番早いわよね)
――仕事は疾風隼よりも疾く。
ヴィオレッタは早速植樹計画を考える。
(温室もつくって、初期育成をできるだけそこでできるようにすれば、もっと安定した収穫を目指せるのではないかしら……)
ヴィオレッタは手に持った甘カブの間引き菜を見つめる。
甘カブに限らず、もっと早いうちから安定した環境で育苗ができたら、豊作に繋がる予感がする。
冬の寒さが厳しいこの地でも。
(でも、熱源はどうしましょう。太陽の光だけでは夜を越せないわ……石炭も燃料代がかなりかかるし……)
――その時ヴィオレッタは、あの温泉のことを思い出した。
(温泉水を温室の熱源にできないかしら?)
――もし、このアイデアが実現可能なら、燃料代のかからない温室が作れる。
あの温泉が、観光地にも、保養地にも、そして育苗地にもできる可能性がある。
無限の可能性に、胸が弾けそうなくらい高鳴る。
「また何か企んでるな」
「はい。この地をもっと豊かにする方法を。先に部屋に戻らせていただきますね」
ヴィオレッタはすぐに部屋に戻り、湧き出してくるアイデアを思いつくまま書き留めた。
一段落したころにルシアが起きてきたので、一緒に朝食を食べて出発の準備を進めた。
黒鋼鴉たちに黄金糖を積めるだけ積み、自分たちの旅準備も完了する。
出発前にセバスチャンに最後の声をかける。
「いろいろとありがとう。皆にもお礼を言っておいて。収穫時期までには戻ってくるわ」
「くれぐれもお気をつけてくださいませ。旦那様をよろしくお願いします」
「セバスチャンこそ、あの場所の調査、お願いね」
「承知しております」
――そうしてヴォルフズ領を発った。






