48 森での発見
ヴィオレッタはいままでになくぐっすりと眠り、途中でオスカーと見張りを交替した。
夜から朝に変わる空を見つめ、ヴィオレッタは焚き火に薪を足して火力を強める。
ルシアとオスカーはまだぐっすり眠っている。オニキスとブラックサンダーとクロは目覚めているが、主人を置いて勝手に飛び立ったりはしない。
(そろそろ朝ごはんをつくりましょう)
リュックから鍋を取り出し、湖に向かう。水面には朝日の光が反射し、きらきらと輝いていた。
朝の静けさの中、湖面に映る陽の光に、鳥たちのさえずり、そして焚き火の炎の音――……
(なんて気持ちのいい朝なのかしら。こんな空気の中で食べるものは、最高に違いないわね)
きれいな湧き水を汲んで、火にかける。
沸騰するのを待つ間に、他の準備をする。
リュックの中から、長距離移動の際にいつも携帯しているバスケットを取り出す。
その中には、乾燥したライスヌードルと塩と油、乾燥させた野菜が入っていた。
――ライスヌードル。
粉状にした米に水を加えて団子をつくり、それを薄く引き伸ばしてから切って乾燥させたものだ。半透明の姿がとても美しい。
(うーん、いい匂い。やっぱりお米は最高ね)
ほのかな米の香りにうっとりする。
沸騰した水に、乾燥させた野菜と少しの塩を入れて煮立たせ、更にその中に街で買った卵を三つ割り入れる。卵が湯の中でほぐれ、黄色の花びらのように広がっていく。
そして、ライスヌードルを加える。
ライスヌードルはすぐに柔らかくなり、仕上げに油を少々入れる。油を入れることで、風味が豊かになり、更に表面に膜が張って冷めにくくなる。
ヴィオレッタは削り出したばかりの木の箸で、鍋をかき混ぜた。そして、火から下ろす。
「朝ごはんができましたよー! 即席ライスヌードルです!」
オスカーとルシアに声をかけると、ルシアが先に起きる。
ルシアは眠たそうに目をこすりながら、起き上がってきた。
「おはようございます、お姉様……」
「ええ、おはよう」
「いい匂い……お姉様が大好きなお米の匂いですね」
「ふふっ、そうでしょう。さあ、お先にどうぞ。熱いから気をつけて」
ルシアに箸を渡すと、ルシアは顔を輝かせてライスヌードルを食べ始めた。不慣れな箸なので使いにくそうだが、ゆっくりと食べる分には問題ない。
幸せそうな顔を見ていると、ヴィオレッタの胸も満たされる。
ヴィオレッタはその間にクロとオニキスを森に放つ。
黒鋼鴉は基本的に自分で餌を取る。農作物や人間の財産には手を出さないように躾けてあるので、問題を起こすことはない。
――基本的には。
「ふう……おなかいっぱい」
ルシアが自分の分を食べ終えた頃に、オスカーがようやく目を覚ました。
「ふぁあぁ……もう朝か……」
「おはようございます、お兄様。朝ごはんができていますので、お先にどうぞ」
ブラックサンダーを放つオスカーに声をかけると、ルシアがオスカーに鍋を渡す。
一口食べたオスカーの目が輝いた。
「へえ、これはうまいな。食べやすい」
そして、鍋の中身を流し込むようにして一気に食べる。
ヴィオレッタが気づいた時には既に完食されていた。
「ど――どうして全部食べてしまうんですかぁ! わたくしまだ食べていないのに……ああ、スープもない」
「あ、いや……悪い。まさか食べてないと思っていなくて」
オスカーが困惑しながら言う。
本当に悪気なく、勢いのまま食べてしまったようだった。
そのこと自体は、そわそわするぐらい嬉しい。
「まったくもう。それだけ美味しかったのなら仕方ありませんね。言っていなかったわたくしにも非がありますからいいです。わたくしの分はまた別のをつくりますから」
ヴィオレッタは空になった鍋を軽く洗って、また新しく水を汲んで火にかける。
次にヴィオレッタがリュックから取り出したのは、丸く握った白米の塊――ライスボールだった。
もちろん、ただのライスボールではない。
中には、味付けして煮込んで乾燥させた肉と野菜、きのこが詰まっている。そしてそれを更に揚げて水分を飛ばしている。
とっておきの保存食だ。
それを、あたたまった湯の中に入れる。
しばらく煮立たせると、米と具が湯の中でほぐれてスープが琥珀色に変わる。香り豊かなおかゆが出来上がった。
ヴィオレッタは鍋を火から下ろし、木のスプーンで軽くかき混ぜる。
一口すくって冷ましてから口に運ぶ。
柔らかくなった米粒が口の中でほろほろとほどけ、塩味の効いた風味豊かなスープが身体に染み渡っていく。さっぱりとしていながらも深いコクがあった。
「お姉様……そちらもとても美味しそうですね」
ルシアがうっとりと眺めながら呟く。
「ルシアがお米に興味を持ってくれるなんて嬉しいわ。少し食べてみる?」
「はい!」
ルシアは嬉しそうに頷き、スプーンを手に取っておかゆを一口食べる。
「ん……美味しい!」
ヴィオレッタは微笑んだ。
この調子だと、ルシアもお米大好きになってくれるかもしれない。
(そうなれば、レイブンズ領の稲作はますます安泰!)
おかゆを食べながら、ヴィオレッタはこっそりと微笑んだ。
朝食を終えたころ、黒鋼鴉たちも戻ってきた。皆、たくさん食べてきたのか満足そうな顔をしている。
オスカーが焚き火に水をかけ、残り火を完全に消す。
ヴィオレッタはその間に荷物をまとめ、忘れ物がないか周囲を確認していく。
「よし、準備できたな。それじゃ出発するか。ヴィオ、最初の先頭は任せたぞ」
「はい!」
黒鋼鴉に乗り、北へと向かう。途中で何度か休憩を入れ、先頭を交替しながら旅を進めた。
途中の街に立ち寄って昼食を摂り、飲料や食料を補充してまた飛び立つ。
そして領地の境となる山を飛び越えると、ヴィオレッタは胸が高鳴った。
これでヴォルフズ領だ。あともう少しで領主館に着く。
(この辺りの景色は初めて見るわね)
街での休憩を多めに取るようにしているので、いつもとルートが違っている。空を飛んでいるのでそこまで大きな距離の差はないが、新鮮な風景だった。
しばらく飛んでいると、どこまでも広がる森の間に白い煙のようなものが見えた。
(まさか、火事?)
その可能性に血の気が引き、思わずそちらの方に向かう。
だが、近づいていっても何かが燃えている匂いもなければ、火の勢いも感じない。
(これは火事じゃないわね……湯気?)
白い湯気に、ほのかに漂うまろやかな匂い。
誰かが煮炊きをしているにしては、その湯気は大きすぎる。
ヴィオレッタは目を見開いた。
(もしかして――もしかして、温泉――!?)
歓喜にはやる心で湯気の元へ行き、クロを下ろす。
そこは、天然の大浴場だった。
森の中の開けた場所に、豊かに湧いた温泉が溜まってできた池が広がっている。
湧き続ける源泉が、白い湯気を立てながら静かに水面を揺らしていた。
「温泉! 温泉だわ! すごい……こんな場所に温泉があるなんて……!」
ヴィオレッタは大興奮して声を上げる。
オスカーとルシアも続いて近くに降り立ち、湯気が立ち上る光景に驚いていた。
「なんだこれ……湯が湧いてる?」
「不思議……」
「温泉です! これで一大温泉街がつくれますよ! 観光地によし、保養地によし!」
明るい未来を思い描くヴィオレッタの後ろで、オスカーとルシアはぽかんとしていた。
ヴィオレッタの興奮がまったく伝わっていない。
(あら? この世界、温泉というものが一般的ではないのかしら?)
大自然の中、地面から湧き出した湯でのんびりとあたたまる――どうやらこの光景も前世知識のもたらしたもののようだ。
だが、その心地よさはどの世界も共通しているはず。
「ええと……これだけのお湯があれば、お湯を使い放題の大きなお風呂が作れると思いません?」
「そんなもの作ってどうするんだ?」
オスカーの素朴な疑問がヴィオレッタに刺さる。
「きっと、すごくあたたかくて、すごく癒されて、すごく夢中になってしまうと思いますよ。怪我や病気の治りが良くなったりするかもしれません」
「あー……確かに、そんなものがあるって話を聞いたことがある気がする。温泉、か……」
――温泉自体はこの世界にも普通にあるらしい。
「でも、こんな場所でお風呂なんて……」
ルシアが恥ずかしそうに言う。
――通常、入浴はタイル張りのバスルームで行う。メイドたちが何度も往復して湯舟にお湯を運び入れて、香りのよいハーブや花びらを浮かべて香りを楽しむ。湯舟に入るときも、身体や髪を石鹸で洗うときも、すすぐときも、メイドたちの協力が不可欠だ。
そしてそれを行うのは屋敷の中。
外で入浴するなど、抵抗があるだろう。
それはそれで大切な時間だ。
だが、温泉で――自然の中の大きな湯舟でゆっくり楽しむという行為も、味わってみれば病みつきになるのではないだろうか。
「それになんだか、やけどしそうで怖いかも……」
ルシアは怯えたように温泉を見つめていた。
(わたくしは、無力だわ……)
こんな素晴らしい温泉を前にして、その素晴らしさをまったく伝えられないなんて。
――その時、クロが突然温泉に飛び込んだ。
「クロ!?」
クロは楽しそうに湯をバシャバシャと弾き、気持ちよさそうに羽を広げて湯浴みをする。
それに釣られたようにオニキスとブラックサンダーも温泉に飛び込み、楽しそうに遊び始めた。
「どうやら、危険はなさそうだな」
オスカーが笑いながら言う。
「わたくしたちも足だけ浸けてみませんか?」
ヴィオレッタが靴を脱ぎだすと、ルシアも戸惑いがちに靴を脱いだ。裾をまくり、湯に足先を入れる。
温泉のぬくもりが、ヴィオレッタをやわらかく包み込む。やや熱いが適温だ。
足先だけなのに、まるで全身が包み込まれているかのように、身体の芯までリラックスしていく。
「すごくあたたかい……気持ちいい」
ルシアの顔に笑顔が浮かんだ。
ヴィオレッタも微笑んだ。
「お兄様も入りませんか?」
「全員靴を脱いでどうするんだ。お前たちが終わってからにするよ」
ヴィオレッタは充分に温まった後、足を拭いてから地図に温泉の場所を書き込んだ。
一番近くの村からも距離がある。地形的にも、空からでないと見つかりにくそうな場所だ。
「癒されるってのは、わかる気がするな……」
ヴィオレッタと交代で入ったオスカーの、ほっとしたような声が聞こえる。
黒鋼鴉たちはしきりに毛づくろいして、羽根を乾かしていた。
平和な光景を見ながら、ヴィオレッタは心を決める。
絶対にこの温泉を有効活用していこうと。






