41 妹との再会
ヴィオレッタはルシアの方へと歩み寄る。
「久しぶりね、ルシア。会えて嬉しいわ」
「お姉様もお元気そうで……何よりです」
ルシアはぎこちなく微笑み、そしてすぐに目を逸らしてしまった。
昔はいつも自信に溢れていて、まっすぐにこちらの目を見て話してきていたのに、いまは縮こまってしまっている。
(元気そうでよかったわ……でもこの肌の白さ、運動はしていなさそうね。引きこもってストレスで爆食……というところかしら)
肌の白さと目の輝きのなさ、体型から推測する。
ひとまず、思っていたほど深刻ではない。
だが、この気まずそうな雰囲気はどういうことだろう。まるでここにいるのが苦痛かのような――
「――ルシア・レイブンズ」
エルネストの冷たい声に、ルシアは顔を青ざめさせた。
「は、はい……お義兄様」
「君に問いたい。どうして昔、ヴィオレッタの名前を騙ったりしたのかを」
その言葉に、居間の空気が凍りつく。
ルシアは顔を伏せたまま震えていた。
両親は言葉を失っている。
(エルネスト様――?)
あまりにも単刀直入な質問に驚いたのは、ヴィオレッタも同じだ。
「――ヴォルフズ侯爵は、尋問のために来たのか?」
ずっと黙っていたオスカーが、呆れと牽制を込めて問いかける。
場の空気がますます冷たくなる。
「私は確認したいだけだ」
エルネストは再びルシアに冷たい目を向ける。
ルシアの肩がびくりと揺れた。
「君の嘘がきっかけで、彼女の不名誉な噂が流れることになったことは知っているだろう」
「…………」
「――私自身、彼女をひどく傷つけてしまった」
エルネストの声には深い悔恨が滲んでいた。
「――エルネスト様、そのことはもう何度も何度も謝ってもらっていますから」
「しかし、それでも私が君を傷つけたことには変わりない。レイブンズ伯爵、夫人――申し訳ありませんでした」
両親に向けて頭を下げるエルネストに、父も母も言葉を息を呑んだ。
――そしてヴィオレッタは、ようやく気づいた。
エルネストはこのためもあって、ヴィオレッタと共に来たのだと。
両親に謝罪するために。
ヴィオレッタがどれだけ気にしていないと言っても、彼はいまだ自分自身を許していない。
自分が噂に踊らされたことで、ヴィオレッタを傷つけたと思っている。
(噂は、わたくしにとっては好都合だったのに……)
そして、もう終わったことだと思っていた。
だが、違う。彼にとってはまだ続いていることだ。
「ヴォルフズ侯爵様、どうかお顔をお上げください」
母がエルネストに声をかける。
父も。
「どうぞ、もう頭を上げてください。侯爵の気持ちは充分に伝わりました。それに……責任は私にあります。噂を払拭することができず、ヴィオレッタに重荷を背負わせてしまった……ヴィオ、すまなかった……」
深い後悔を滲ませる父の姿は、ヴィオレッタも初めて見るものだった。
「――わたしが、すべてわたしがいけないんです!」
ルシアの悲痛な声が響く。
「……いけないことだとは、わかっていました。あの時、自分のしたことがすごく怖くなって……お姉様なら、なんとかしてくれるんじゃないかって、つい……」
大きな瞳から涙が溢れ出し、頬を伝って落ちていく。
――それは、ヴィオレッタも聞いていた経緯だ。
「……わたくしはその話を聞いて、ルシアの気持ちを受け入れました。その選択に後悔はありません。きっと、何度繰り返しても同じ選択をします」
ヴィオレッタはエルネストを見上げた。
「だってそうでないと、エルネスト様との結婚もなかったかもしれませんから」
「ヴィオレッタ……」
ヴィオレッタは微笑みで応え、再びルシアに視線を向ける。
「――ルシア、わたくしは幸せよ」
呆然としながら潤んだ瞳を向けてくるルシアに、ヴィオレッタは言葉を続けた。
「結婚してからずっと。エルネスト様は、わたくしが一番欲しかったものをくださったから」
それは何かと問う瞳に、ヴィオレッタは微笑みを深める。
「自由です」
ヴィオレッタは初夜にそれをエルネストに望み、エルネストはきちんと守ってくれた。
その約束はいまでも続いている。
普通なら、領の内政に積極的に関わるなんて許されない。
ましてや農業計画に携わるなど。
嫁いだ土地で、温めていた計画をすべて実行できるなんて思わなかった。
「――そして、愛情です」
自分で言っていて言葉が上ずりそうになる。
頬が赤らむのを感じる。
隣のエルネストが動揺しているのを感じる。
――恥ずかしい。
けれど。
これだけはきちんと伝えておきたい。
「わたくしがこんなに人を好きになることがあるなんて、思ってもいませんでした。これからも精いっぱい、旦那様を――そして旦那様の領地を、民を、愛していきます」
「ヴィオレッタ……」
「末永くよろしくお願いしますね、エルネスト様」
ヴィオレッタはまっすぐにエルネストを見つめて言った。
「あ、ああ……もちろんだ」
エルネストはやや動揺しながらも、頷いてくれた。
その眼差しに込められているものが優しくて、ヴィオレッタはこれ以上ない幸福を感じた。
ずっとこの人と生きていきたいと、心から思った。
「――ヴォルフズ侯爵領の収穫量が随分と上がったのは聞いている……ヴィオ――我が天使。お前は私の誇りだよ。侯爵――あなたに娘を預けられて、本当によかったと思う」
父が感慨深く言葉を紡ぐ。
「……彼女は、かけがえのない存在です。生涯かけて守っていきます」
――エルネストが父母に誓う姿を、ルシアが遠い眼差しで見つめていた。
どこか安心したように。
そして、どこか悲しそうに。
(……ルシア?)
ルシアは何も言うことなく瞼を下ろし、痛みに耐えるように胸を押さえていた。
(どうしたのかしら……わかったわ! きっと、お腹が空いているのね!)
――そうとなれば、あれの出番だ。
「――ねえ、ジェームズ。そろそろ、あれを出してもらえるかしら。あたたかい紅茶と一緒がいいわ」
「少々お待ちください」
ジェームズが一礼して少し経ってから、手土産で渡していたケーキ――秋の夕暮れを閉じ込めたような、ゴールデンルビーが運ばれてくる。
「まあ……まるで深紅のルビーのよう……」
母が感嘆の息を零す。
「わたくしが、ヴォルフズ領で見つけた幸せの一つです――ゴールデンルビーと名付けました」
ヴィオレッタは誇りを持って紹介する。
「ヴォルフズ領のリンゴと黄金糖、レイブンズ領の小麦とバターで、マルセルに作ってもらいました」
これはただのケーキではない。
ヴィオレッタが彼の地で見つけた幸福の証だ。
切り分けられて配られていくと、甘酸っぱい匂いが更に濃くなる。
(昔はよくこうして、一緒に試作品を食べたわね)
家族そろって甘いものを囲む懐かしい光景に、顔がほころぶ。
「おお、これは……」
食べた父が感動の声を零し。
「おいしい……」
ルシアが喜びに瞳を輝かせる。
「とってもおいしいわ、お姉様……」
涙をにじませるルシアに、ヴィオレッタは頷いて応えた。
居間に満ちる幸福な空気に、ヴィオレッタも嬉しくなる。
とても幸せで、穏やかな時間だった。
――美食がもたらす幸福が満ちる瞬間は、いつだってヴィオレッタの胸をあたたかくさせる。
「――ところで、ルシア」
「はい、お姉様」
「わたくし、まだあなたを許したわけではありませんからね」
「えっ?」






