39 侯爵邸での畑づくり
――ミエル・ヴィオレからの帰り道。
ヴィオレッタは馬車の窓から王城の姿を見つめた。
シエラはうたた寝をしている。疲れているのだろう。
(エルネスト様はお元気かしら)
王城にいるであろう夫のことを考える。
(次はいつ会えるのかしら)
昨日会ったばかりなのに、もう会いたくなっている。
自分からは会いに行けないもどかしさが胸を焦がす。
領地にいたときは会えなくても平気だったのに、すぐ近くにいると思うと会いたくて仕方がない。
(考えても仕方のないことね。エルネスト様にはお仕事に集中してもらいましょう)
――会いたいだなんてわがままは言わない。
王都に来た目的を見失ってはいけない。
(邪魔をしてはいけないものね。明後日の実家への訪問も、わたくし一人で行きましょう)
そう考えながら、静かに目を閉じる。
馬車は整備された道を進んでいく。
――翌日。
ヴィオレッタは朝から庭で鍬を振るっていた。
何も植えられていない庭の片隅――しかも日当たりがいい場所は、畑にするのに絶好の場所だ。
耕してもいいかと執事に訊いたところ、「旦那様より、すべて奥様の自由にと仰せつかっております」と言われ、農具の揃っている場所まで教えてもらった。
「ああ――素敵。ここにも畑を作れるなんて――とうっ!」
爽やかな朝の空気の中に、土を耕す音が軽快に響く。
固く締まった土に鍬を突き立て、土を掘り起こしながら考える。
(この場所に何を植えようかしら。いまの時期でも植えられるのはハーブ類?)
実際に、侯爵家の庭の一部でも料理用ハーブが栽培されている。
(イモ類……は、もう季節外れ。サツマイモは、この国ではうまく育たないのよね)
どうやら気候が涼しすぎるようだ。なので、種芋が手に入ったとしても、栽培は難しい。
(貯蔵できて……ほっくほくの実が食べられるような野菜がいいわね……そうだ。カボチャはどうかしら?)
カボチャは痩せた土地でも育つ。土壌を選ばない。育成が旺盛で、ほとんど手間いらずだ。
もちろん実はほっくほく。
育成が旺盛すぎてかなりの栽培スペースが必要になるが、この広い庭なら問題ないだろう。
「やりますか、カボチャづくり!」
「ここにカボチャを植える気か?」
聞き慣れた呆れ声に、ヴィオレッタは弾かれたように振り返った。
「お兄様!」
そこにいたのは、ヴィオレッタの兄であるオスカー・レイブンズだった。
「カボチャ畑というより、カボチャの海にしたいです!」
「お前が偉くなったら、庭持ち全員に野菜作りを課しそうだよな」
「まあ。それって最高ですね」
いつだって食糧危機に備えられる。
「――それで、どうされたのですか? お兄様」
「親戚の家に来て何が悪い」
それはそうかもしれないけれど。
「家人がいないのに上がり込んでる……」
「お前だって家人だろ」
「わたくし、この家の家人としては新人です」
――何せ、おととい初めて中に入ったのだ。
なので、まだまだ慣れない。
「お兄様はもしかして、よくこちらに来ていたりするのですか?」
そうでもなければ、いくら妹のヴィオレッタがいるからと言って、確認もなしに中まで通されたりしないだろう。
「さぁてな」
「セオドア、どうなの?」
執事は周囲にいないが、問いかけてみる。
「レイブンズ次期伯爵は頻繁にいらっしゃっていますよ。旦那様も把握済みです」
返事は後ろから響く。
ヴィオレッタは思わず笑ってしまった。
鍬の先を地面に食い込ませ、振り返る。
「あなた、やっぱりセバスチャンの兄弟ね」
「奥様は、私共の扱いに慣れていて大変助かります」
「一度驚けば充分だもの。あなたたちは本当に素晴らしいわ」
「恐縮でございます」
オスカーはヴィオレッタの傍までやってくると、上着を脱いでヴィオレッタに押し付けてくる。
シャツの袖をまくり、地面に刺さったままの鍬の柄を握った。
「よっと――」
鍬を振り上げ、振り下ろす。腰が入っていないため、気持ちよく地面には刺さらない。
「めずらしいですわね、お兄様」
土いじりに参加するなんて。
「ここの庭を耕してやるなんて、ちょっと面白いだろ?」
にやにやしている。
「――お兄様、サディアス・カルドネア様のことを教えていただけますか?」
「カルドネア次期公爵――? どうしてお前が気にするんだ」
「偶然会いました」
「…………」
オスカーは無言で再び鍬を振り上げて、地面へ振り下ろした。今度は先ほどよりも深く刺さる。
「本当に偶然か?」
「まったくの偶然です。たまたまミエル・ヴィオレに行ったら、たまたまアイリーゼ様がいらっしゃって、偶然同席することになりました」
ヴィオレッタは首を傾げる。
どうしてそんなことを訊くのだろう。
しかもなんだか、雰囲気が堅くなってしまっている。
「カルドネア次期公爵に興味があるのか?」
「いえ……何故かわたくしに興味がありそうな雰囲気でしたので、気になって……勘違いだと思いますけれど」
――勘違いだ、と呆れられるかと思ったが、オスカーは硬い表情を崩さなかった。
「そうか。警戒しておいて悪いことはない。お前もヴォルフズ侯爵夫人だしな」
――ざくっ、といい音を立てて鍬が刺さる。
一振りごとに上達している。
「剣の鍛錬にいいかもな、これ」
それは、レイブンズ領の兵たちも言っていた。
農作業自体がいい鍛錬になると。
「カルドネア公爵はエルネスト――というより、ヴォルフズ侯爵家とそれなりに因縁がある」
「派閥がどう……というものですか?」
「まあ、そうだ。派閥とか因縁とか、そういうのに囚われないタイプもいるけどな。カルドネア次期公爵がどちらかはわからないが、あんまり期待はするな。貴族はたいてい腹黒い」
「お兄様も?」
「見ていりゃわかるだろ?」
「わかるような、わからないような……」
正直な気持ちを言うと、オスカーは鍬を地面に突き刺したまま、呆れ顔でヴィオレッタを見てくる。
「お前は正直に物を言いすぎだ。その毒気のなさは、ある意味武器だけれどな」
鍬を持ち直し、振り上げる。
「とりあえず男と二人きりになるな。相手の懐に入るな」
ざくっ――と小気味いい音を立てて鍬が土を耕す。
それは色んな教師から、何度も何度も言われたことだ。
「――はい、気をつけます」
迂闊なことをして妙なことになったら大変だ。自衛できる範囲で自衛する。
――それに、ヴィオレッタはよく知らない男性が少し怖くなってしまった。
アイリーゼの従兄だとしても、どうしても一歩引いてしまう。
「――そいつの相手は、エルネストに任せておけばいい」
「はい。そうそう、お兄様。明日は素敵なお土産を持っていきますね」
明日は実家訪問の日だ。
約二年ぶりの実家になる。
「エルネストはちゃんと来るんだろうな?」
「お忙しいみたいなので、わたくし一人の予定です」
「……ちゃんと相談したのか?」
問われ、どきりとする。
「たまには物分かりが悪いふりをしてもいいんだからな」
「…………」
「もし、それであいつがお前を邪険に扱うようなことがあったら――」
――ざくっ、と。
いままでで一番綺麗に鍬が入る。
「僕が後悔させてやるから」
「ふふっ……お兄様ったら……」
兄の言葉が嬉しくて、笑いが零れる。
「……セオドア。エルネスト様に連絡を取ることはできるかしら」
「はい」
執事に声をかけると、執事は恭しく頷いた。
「明日、実家の方に行きますから、もしできるなら顔を出してくださると嬉しいです、と――……もちろん、お忙しいなら全然かまいませんって!」
「かしこまりました。必ずお伝えいたしましょう」






