35 ミエル・ヴィオレでの再会
「侯爵夫人、あなた冷や冷やさせてくれますね」
馬車に戻ると、正面に座るシエラが困ったような笑みを浮かべる。
「そうですか?」
「侯爵様が夢中になるのもわかります。あなたの中から湧き出してくるものから、目が離せませんもの。さて、それでは次はどこへ参りますか?」
「あっ、そうですね……それでは、シエラさんおすすめのスイーツを教えてくれませんか?」
ヴィオレッタも頭を切り替える。
最近の王都では何が流行しているのか、市場調査をするのも今回王都に来た目的の一つだ。
そして『カフェ・ド・ミエル・ヴィオレ』の新商品展開を考えていきたい。
シエラは嬉しそうに頷き、胸を張る。
「お任せください♪ あたくしの一番のおすすめは、何と言ってもミエル・ヴィオレですわね」
ヴィオレッタは思わず息を呑んだ。
「あの店のクリームは絶品なんですよぉ」
「あ、あの……別のお店にしません?」
――もともと、ミエル・ヴィオレには行くつもりだったが。
この展開で向かうのは少し躊躇ってしまう。
「クリームはお嫌いですか?」
「いいえ、大好きです。でも昔よく行ったお店ですし」
「侯爵夫人の知っている頃より、きっと進化していますわよ。新作がとにかく美味しくて、ぜひ食べていただきたいですわ」
シエラはにこやかに言う。
どうやらヴィオレッタが陰の経営者だということは知らないようだ。
――なら、たまには客として行ってみるのもいいかもしれない。
従業員でもヴィオレッタが経営者だと知っている人間はごくわずか。素知らぬ顔で来店すれば、一般貴族客として扱ってくれるだろう。
「そうなんですね。それは、楽しみです」
「では決まりですね」
御者に行き先を指示すると、馬車がゆっくりと進む。積み荷が増えているため、先ほどよりも動き出しが重い。
しばらくヴィオレッタは静かに窓から見える景色を見つめた。
――王都の景色は、変わるのが早い。
どんどん新しい風が入ってきて、店も変わっていく。特にこの商業地区は移り変わりが早い。
馬車はゆっくりと王都の整備された石畳の上を進んでいく。
蹄の音が規則正しく響く中、ヴィオレッタは意を決してシエラに問いかけた。
「あの、シエラさん。エルネスト様のこと、教えていただけませんか?」
「あたくしからですか?」
「お仕事中の様子とか……昔のこととか。わたくし、結婚してからのエルネスト様のことしか知らなくて」
――他人から見るエルネストがどのような顔をしているのか、聞いてみたい。
シエラがエルネストをどう見ているのかも。
二人の間には何もないとわかっている。わかっているが、どうしようもなく気になってしまう。
「そうですねぇ……常に心乱さず、冷徹で。孤高の狼のような御方でした。いまは随分と人間らしくなってしまわれました」
シエラの瞳が、ヴィオレッタを見る。その表情はとても優しい。
「侯爵夫人が、侯爵様の氷を溶かされてしまったのでしょうね。おふたりを見ていると、よくわかりますわ」
「そうなのでしょうか……? もしそうだとしたら、嬉しいです」
素直に受け取り、微笑む。
するとシエラは驚いたようにわずかに目を見張っていた。
「どうしました?」
「いえ……あまりに素敵な表情をされるものですから、見惚れてしまいましたわ」
「そ、そうですか? シエラさんのような綺麗な方にそう言っていただけると、嬉しいです」
「――侯爵夫人。あまり可愛いことをおっしゃらないでください。本気になってしまいそうです」
「シエラさんは本当に綺麗ですよ」
「ありがとうございます、わかっています。わかっていますけれど、そんな純粋な目で言われると困ります! 女狐と言われることには慣れていても、純粋に褒められるのは困りますぅぅ!」
シエラは自分で自分の身体を抱きしめて身もだえする。
やや落ち着くと、はあはあと息を荒げながら顔を上げた。
「心臓が持ちませんので、あたくしではなく、侯爵様のお話の続きをしますわね」
「ぜひっ」
思わず身を乗り出すと、シエラは微笑ましそうに苦笑し、姿勢を正した。
「――純然たる『正義』。お仕事中の侯爵様を一言で表すなら、それかと思います」
「正義……」
「一瞬も迷わず、何も恐れない。味方としてあれほど心強い御方も、敵となったらあれほど恐ろしい御方もいらっしゃらないでしょうねぇ」
具体的な話はなくとも、それらの言葉がエルネストの職務への真摯な姿勢を物語っていた。
頼もしく思うと同時に、不安も感じる。
いったいどんな仕事をしているのだろう。エルネストも、そしてシエラも。
「シエラさんは、どうしてお仕事をされているのですか?」
貴族でも働いている女性は多い。特に結婚済みの貴族女性は、貴族として相応しい振る舞いをすることそのものが仕事ともいえる。王城勤めの貴族女性もいる。
だがきっと、シエラの仕事は危険なもののはずだ。
そんな危険な仕事に身を投じているのは、どんな理由があってだろうか。
「もちろんお金のためです。お察しの通り、うち、借金まみれなんですよぉ」
冗談めかして言うが、本気の響きがあった。
「いまの貴族は富むものと貧ずるものの二極化が進んでいますからねぇ。よほどうまく時流の波に乗らないと、いつ沈むかわかりません。――さあ、そろそろ着きますわよ。楽しみですねぇ」
ほどなく、馬車が『カフェ・ド・ミエル・ヴィオレ』に到着する。
ヴィオレッタが馬車から降りると、すぐ後ろに別の馬車が止まる。そしてすぐに扉が開いたかと思うと、興奮気味にドレス姿の女性が降りてきた。
「ヴィオレッタさん!」
「アイリーゼ様?」
――貴族学園時代の友人である、リーヴァンテ公爵家の令嬢アイリーゼが、顔に驚きと喜びを浮かべてヴィオレッタのところへ駆け寄ってくる。
「ヴィオレッタさん! 王都に到着していたのね」
「はい、昨日着きました」
「まあ。外で会えるなんて、なんて偶然かしら。今日は個室を予約しているの。もしよかったらご一緒してくださらない? 後でもう一人来るのだけれど、それでもよろしければ」
「よろしいのですか?」
「ええ、もちろんよ」
ヴィオレッタはそっとシエラの様子を窺う。
彼女は、自分が言ったように護衛としての職務に戻っていた。華やかな気配もすっかり消えている。ただ、口元には穏やかな笑みが浮かんでいる。「あたくしのことはお気になさらず」と言っているかのようだった。
「それでは、ご一緒させてください」






