31 馬車の一団
ヴィオレッタは遠ざかる馬車の一団と、目の前の景色を眺める。
真っ白な雪に覆われていた風景は、いまはあちこちに固まり雪が残るのみだ。
だがまだ大地は冷たい。髪を揺らす風も冷たい。
地面の氷が融けたときに、本当の春が来る。
「――奥様、そろそろ中へ入りましょう」
「そうね……」
セバスチャンの声に応える。
ヴィオレッタは毛皮を肩にかけ直し、家に入ろうとした。
その時――
景色の端に、侯爵たちの馬車とは違う馬車の一団が見える。
「あの馬車たちは……来た、来たわよセバスチャン!」
「何がでございますか?」
「マグノリア商会よ。海藻肥料を運んできてくれたのだわ」
声を弾ませて言うと、セバスチャンが怪訝な顔をする。
「秋にも来ていませんでしたか? 総出で肥料を撒いたことは記憶に新しいのですが……」
「足りなかったから、追加で運んでもらうように頼んでいたのよ! 迎える準備をしないと。荷下ろしのための人手を集めて!」
受け入れ準備をするため、大急ぎで使用人を集める。
何とか準備が整うのと同時に、馬車の一団がヴォルフズ家に到着する。
「ヴィオレッタ様、お久しぶりです。マグノリア商会ディーンです」
黒い髪に琥珀色の瞳、浅く焼けた肌――異国の香りを身に纏う、馴染みの副会長に再会し、ヴィオレッタは喜びに顔をほころばせた。
「今回も副会長さんが直々に来てくださるなんて、光栄ですわ。冬の道は大変だったでしょう?」
「旅路は険しければ険しいほど、得るものが多いものですから」
「素敵な言葉ね。わたくしも見習わせていただくわ」
挨拶を交わした後は、運ばれてきた荷物を確認する。
「今回もとても品質がいいわね」
黒くさらさらとした土のような海藻肥料。冬の間に発酵が進んで、すぐにでも使える状態になっている。
「それにしても、残念ね。もう少し早ければ、エルネスト様の出立にも間に合ったのだけれど」
そうしたら少しだけでも交流を持てたのに。
「またの機会を楽しみにしています」
微笑むディーンの表情は、全然残念そうではない。
(もしかして、会いたくないのかしら。まさかね)
マグノリア商会は前の秋にも海藻肥料を持ってやってきてくれた。
その時はもちろん、エルネストにマグノリア商会とディーンを紹介したが、なんだか微妙な空気が両者の間に流れていたことを思い出す。
(気が合わないのかしら? 合わないものは仕方ないわよね)
どうやっても合わない人間というものはある。
無理に交流を勧める必要はない。
「ご指示通り、西の区域に半量を運んでいます。こちらが担当の方のサインです」
「ありがとう。マグノリア商会に任せておけば、何も心配いらないわね」
心から言い、書類を確認していく。
その間に積荷が手際よく運ばれていく。
「――ところで、いつまでこの注文を続けるおつもりですか」
「ずっとよ」
ヴィオレッタは当然のことを答えた。
「肥料っていくらあっても足りないもの。雨が降れば流れるし、作物を作ればその分が失われるから、ずっと不足状態よ」
書類を確認し終わり、小切手帳を取り出して、約束より少し多めの金額とサインを書く。
「いらぬ心配でしたね」
「何を心配していたの?」
「いままで不要だった海藻が大金に化ける。そのおかげで小さな漁村が潤っている。しかし、定期的な注文がいきなり失われでもすれば、数年はひどい苦難に見舞われるでしょう」
「海藻が不要になる日が来るとも思えないけれど、もしそうなったら別の方法を考えるわ。農地も、領民も豊かにする方法をね」
やりたいことはたくさんある。
いつだって人手も時間も足りない。
もし海藻肥料が不要になったら、別の仕事を斡旋するだけだ。
「わたくしは、この地の領主夫人ですもの。絶対に見捨てたりはしない」
――この地を豊かにする義務がある。
人々に美味しいものを食べてもらい、笑顔にする責任がある。
何より、ヴィオレッタ自身がそうしたい。
ヴィオレッタは胸を張って、小切手をディーンに渡した。
「確かに。……貴女は本当に福音のような御方だ。この地の民は幸せですね」
「ふふっ、そう言ってもらえると嬉しいわ。でも少し褒めすぎではないかしら」
「いえ、私自身も貴女に出会えたことが、人生最大の幸運のひとつと思っていますよ」
「お上手ですこと」
ディーンは本当にお世辞がうまい。
立ち振る舞いも、表情も、品がある。
出会った頃は普通の少年だったのに。商会の会長であるベティ・マグノリアによく鍛えられたのだろう。
(こんなに綺麗な顔でお世辞がうまいと、夢中になるご婦人も多いでしょうね)
商人としては最強だと思う。
そして、そんな最強の商人たちと出会えた自分が幸運だと思う。
ヴィオレッタはマグノリア商会に全幅の信頼を寄せていた。
「副会長さん、これを会長に届けてくださらない?」
ヴィオレッタは小さな小瓶をディーンに渡す。
中には黄金糖が入っている。
「まだ試作段階のサンプルですけれど、興味を持っていただけたら嬉しいわ」
「承りました。きっと喜ぶと思いますよ」
「だと嬉しいわ。それから、王都まで運んでいただきたいものがあるの。荷台に余裕はあるかしら? 旦那様たちの馬車には乗り切らなくて」
ヴィオレッタは王都に運びたいものがたくさんある。
自分でクロに乗っていくときは、ほとんど荷物は持っていけない。黒鋼鴉に乗るときは、できるだけ身軽にする必要があるからだ。
最低限必要なものは先の馬車にあらかじめ積んでもらったが、まだまだ乗せたいものがある。
マグノリア商会の馬車に余裕があるのなら、その片隅を貸してもらいたい。
「もちろん構いませんよ。荷台に余裕がありますから」
そうは言うが、荷台の空きを無意味に作るディーンではない。
その分、予定していた商品が積めなくなるはずだ。
だからヴィオレッタは大目に謝礼を払うことにした。そして、日持ちする食材をうんと積んだ。ヴォルフズ領産の食材たちを。
「こちらはどこへ運びましょう。侯爵家ですか、ご実家の方でしょうか。それとも商会の倉庫に保管しておきますか?」
「そうね。できたら、商会の低温倉庫の方に置いておいてもらえる? わたくしが王都に行ったとき、また改めてお願いするわ」
保管料も上乗せして謝礼を払う。
これで、ひとまず憂いはすべて解消した。
そうしてしばらく作業を進め、すべての積み下ろしと、新しい荷の依頼が完了する。
「ディーン、色々とありがとう。それでは、また秋にお願いするわね」
「はい。これからも、マグノリア商会をご贔屓に」
別れの挨拶を交わし、マグノリア商会の出立を見送る。
降り注ぐ光できらきらと輝く景色の前で、ヴィオレッタは微笑んだ。
「さあ、農作業の始まりよ!」






