28 特別な暖房
その後ヴィオレッタは、夕食まで私室で手紙を書いた。暗褐色のインクで上質な紙に言葉を綴る。
せっかく王都から黒鋼鴉に乗って兄が来てくれたのだ。手紙を届けてもらわない手はない。
エルネストとオスカーは居間で何やら話しているようだ。積もる話もあるだろう。家を背負う者同士、仲良くしてほしいと思う。味方がいるのはお互い心強いだろうから。
(黄金糖のお披露目会、どうしようかしら)
手紙を書きながらも、そのことが何度も頭をよぎる。
――焦ることはないとわかっている。
だが、考えておかなければならないことだ。
頭の片隅でずっと考えていれば、そのうちいいアイデアが思いつくかもしれない。
ひとまずいまは、できることをする。
(そういえばお母様も、よくこうやって手紙を書いていたわよね。招待状や御礼状、挨拶状をほとんど毎日書いていた気がするわ)
手紙を眺めながら、懐かしい気持ちになる。
元気になってからの母は、精力的に社交をしていた。生来社交好きなのだろう。パーティに参加したり、お茶会に参加したり主催したり、王城のサロンにもよく行っていた。
(もっとお母様のしていたことをよく見ておくべきだったわね)
そのころヴィオレッタは農作業や商品開発に夢中になっていた。その時に得た経験と知識が、いまの実りと幸福に繋がっているから後悔はない。
「ふふっ、まだまだできることはたくさんあるわね」
まだまだ色んなことができる。それを嬉しく思いながら、日が暮れるまで手紙を書いた。
夜になると寒さも更に深まってくる。
三人での夕食会では、料理人が腕によりをかけた食事が振る舞われ、ヴィオレッタは身も心もすっかり温まった。
だが、オスカーは少々違うようだった。
「この寒さ、どうにかならないのか……」
夕食後、客室に案内する際、オスカーが不満を零す。
「ヴォルフズ家には、こんな時のための強力な暖房があるんですよ。ね、セバスチャン」
前を歩くセバスチャンに声をかけると、セバスチャンは静かに頷く。
「もちろん、用意してございます」
到着した客室の中では、二匹の大きな犬が座っていた。
「犬?」
「わたくしも、この地に来たばかりの冬は温めてもらいました。この子たちは特におとなしくて優しいですから、安心してください」
「…………」
オスカーは複雑そうな表情を浮かべ、犬たちに歩み寄る。
犬たちは尻尾を振りながらキラキラとした目でオスカーを見上げている。
オスカーは両手を伸ばし、二匹の頭を一緒に撫でた。
「――よし。僕の命はお前たちに預けたぞ」
「では、おやすみなさい」
――翌朝。
身支度を整えたヴィオレッタは、エルネストと共に食事室に訪れる。
オスカーはまだ来ていない。
「お兄様はどうされているかしら?」
セバスチャンに問いかけると、執事は困ったような顔をした。
「お声がけはしたのですが……よく眠っていらっしゃるようでして」
「昔から寝起きが悪いのよね。起こしてくるわ」
「私も行こう」
エルネストは、秋に領地に戻ってきてからずっとヴィオレッタの傍にいてくれている。外だけではなく、家の中でもだ。
少し過保護だと思う。だが、嬉しくも思うので、笑みが零れる。
オスカーの泊まる客室のドアをノックする。返事はない。ヴィオレッタは構わずドアを開けた。
「おはようございます、お兄様」
ベッドに向けて声をかけると、寝ぼけて唸るような声が聞こえる。
オスカーの両隣にいた犬たちはとっくに身を起こして、ベッドに入ったままヴィオレッタとエルネストを見つめていた。
「お兄様、そろそろ起きてください」
もう一度声をかけると、オスカーはゆっくりと目を開けた。
「そろそろ出発しないと、夜までに戻れませんよ」
王都からこの地までどれぐらいの時間がかかるのか、ヴィオレッタはよく知っている。結婚前に視察のため、何度もこの地に飛んできたことがある。
オスカーの黒鋼鴉ブラックサンダーはヴィオレッタのクロより飛ぶ速度が速く、体力もあるが、所要時間にそう違いはないはずだ。
「戻りたくない……」
「お兄様? もしかして体調が悪いとか?」
「こいつらと離れたくない!」
二匹の犬をがばっと抱きしめる。声には本気の寂しさが滲んでいた。犬たちもオスカーの気持ちを汲み取ったように、尻尾を振って寂しげな眼差しで応えている。
「一晩で情が移ってる……でも、気持ちはすごくわかります」
一晩中一緒にいてくれて温めてくれたのだ。愛しく思わないはずがない。
エルネストが少し呆れたように息をつく。
「どうせなら春までいるか、オスカー? これからますます寒くなるが」
「帰る」
冗談交じりの提案に、短く即答してくる。
だが、犬たちを見つめる菫色の瞳は、別れを惜しんでいるような寂しさが浮かんでいた。
「――なあ、お前ら。家に来ないか?」
「連れていこうとするな」
◆◆◆
食事室で三人で朝食を摂り、オスカーが身支度を整えるのを待って庭に出る。
一晩休んで元気いっぱいになったブラックサンダーが、朝の光の中で目を輝かせて主を待っていた。
「お兄様、またぜひ遊びに来てくださいね。次は、できたら先に連絡を入れてください」
あらかじめ来ることがわかっていたら、もっともてなす準備ができたのに。時間の余裕があれば、一緒に空中遊泳を楽しめただろうに。
「それより先に、お前が王都に来る番だろ?」
「では、次にお会いできるのは春の農繁期が終わってからですね」
ヴィオレッタは用意していた荷物をオスカーに渡す。中身は、サンドイッチと甘い焼き菓子。重いと黒鋼鴉の負担になるため、できるだけ軽くした。
「こちらは昼食と携行食です。ちゃんと休憩してくださいね。それと、手紙をお願いしてもよろしいですか?」
父と母へ、祖母へ。妹のルシアへ。そして友人たちに。兄への手紙もこっそりと紛れ込ませている。
「ああ、任せとけ」
力強く言いながら、上着の内側へ手紙を入れる。
そして、別れ際の抱擁を交わす。
「幸せに暮らせよ、ヴィオ。嫌になったらいつでも帰ってこい」
「ふふ、ありがとうございます。お兄様、お気をつけて」
背中をそっと撫で、離れる。少し名残惜しさを感じながら。
「じゃあな。エルネスト、また王都で」
オスカーがブラックサンダーに颯爽と跨ると、ブラックサンダーが力強く走り出す。大きく翼を動かし羽ばたいて、空へと飛び立った。
風に乗って帰っていくオスカーを、地上から見つめ、無事を祈る。
「賑やかだったな」
エルネストが感慨深げに言葉を零す。
「ええ、とても」
ヴィオレッタは微笑みながら、エルネストに寄り添った。
「わたくしたちにも早く家族が増えたらいいですね」
こればかりは授かりものだが、何年も授かれなかったらと思うと、少しだけ不安になる。
何年も子を授かれなければ、離縁という話も出てくるかもしれない。愛人を持つ話も出てくるかもしれない。
――どちらも嫌だ。
「ヴィオレッタ」
優しい声で名前を呼ばれ、顔を上げる。
青い瞳は穏やかにヴィオレッタを映している。
「もし、子を授かれても、そうならなくとも、私が君以外を愛することはない」
ヴィオレッタの不安が全部わかっているかのような言葉に、驚きと喜びを感じた。
胸がいっぱいで何も言えなくなっていると、エルネストに抱き締められる。
優しい抱擁で、胸があたたかく満たされていく。
――きっとこれから先の日々は、一層輝きを増していく。
そう、確信できた。






