24 幸福な時間
「実家にですか?」
オスカーの表情は真剣だ。
まさか実家に帰れというために、ここまで来たのだろうか。
具体的に考える前に、エルネストがヴィオレッタを庇うように前に立つ。
「どういうつもりだ」
「凄むなよ。家族がヴィオに会いたがっているだけだ。別に連れ戻す気はない。まあ、不幸にさせてるなら無理やりにでも連れて帰るつもりだったけどな」
「わたくし、幸せですよ」
白い毛皮に包まれながら、自信を持って言う。
「不幸だったら、すぐにでもクロに乗って帰っています」
冗談めかして言う。
もちろん家同士の結婚であると理解している。だが、どうしても我慢できないような状況に陥っていたら、気にせず帰っていただろう。
オスカーがうんうんと頷く。
「ああ。いつでも帰ってこい」
「はい。……あら? エルネスト様、顔が真っ青ですよ。風邪を引いたのでしょうか」
エルネストの顔色がかなり悪い。表情も暗い。
「……なんでもない」
「そうですか? でも、心配です。今夜は滋養のあるあたたまるものを作ってもらいましょう」
「なんでもないが……ヴィオレッタ、不満があったら言ってくれ」
「不満なんて――」
「改善する……!」
「本当にありませんから」
いったいどうしたのか。
やけに思い詰めているようだ。
困惑するヴィオレッタの後ろで、オスカーが大声で笑いだす。
「これは本当に心配なさそうだな。一時はどうなることかと思ってたけど」
振り返ると、菫色の瞳が笑っていた。
「ヴィオ、幸せなのはわかったが、一度はこっちの家族にも顔を見せに来い」
「そうですねぇ」
「――ルシアも、幸せにしているお前を見たら、あいつも少しは安心するだろ」
「ルシアが?」
「お姉様が不幸な結婚をしていたらわたしのせいだって。正直、かなり気に病んでる」
「……そうですか……」
――まさか、ルシアがそこまで気にしていたなんて思わなかった。
だが考えてみれば、ルシアは誰よりも当事者だ。
もしかすると、ずっと気にしていたのかもしれない。
「――ヴィオレッタ、無理をしなくていい。たとえ家族が相手でも、君が我慢をする必要も、許す必要もない」
「エルネスト様……」
ヴィオレッタは、あたたかい気持ちになりながらエルネストを見つめた。
夫はいつでもヴィオレッタに寄り添おうとしてくれる。
その気遣いが嬉しい。
大切にしてくれるのが嬉しい。
「わたくし、とっても幸せなんです。結婚してからずっと――毎日、その思いは強くなります」
「ヴィオレッタ……」
「だから、妹にも言ってあげたいんです。わたくし、とっても幸せよって。わたくしの旦那様はとっても素晴らしい人よって、いっぱい自慢したいんです」
エルネストの息が詰まり、顔にさっと赤みが差す。
少し不器用だけれど純粋で可愛らしい人だと、いっぱいいっぱい自慢したい。
「だから、わたくしのことは何も心配しなくていいって。でもこれからは、自分の行動にちゃんと責任を持てる人になりなさいって」
行動するなら自分の意思で。
そして、その責任は自分で取るように。
もし、手に負えないようなトラブルが起きたら、早めに周囲に相談するように、と。
――レイブンズ家の人間には翼がある。
自由に羽ばたける翼がある。
ルシアにもぜひ、その翼で羽ばたいてほしい。
鳥籠を抜け出してほしい。
そう、伝えたい。
「――お兄様」
くるりと振り返り、オスカーの顔を見つめる。
「春になって種まきを見届けて、エルネスト様が王都に戻られたら、クロに乗って王都にいきます」
「助かる。お前には苦労かけるな。今度礼をするよ」
「とっても楽しみです。期待していますわね」
「でも、本当にいいのか?」
「はい。会いたい方々もいますし、王都のいまの流行も見ておきたいですし」
店にも顔を出したいし、友人たちにも会いたいし、マグノリア商会と商売の話もしたい。
やりたいことがたくさんある。
楽しみに胸を膨らませていると、エルネストが割って入ってくる。
「……それなら、別々にではなく、私といっしょに王都に行った方がいい」
「馬車だとかなりかかりますし……クロなら行きも帰りも早いですもの」
馬車での長旅は窮屈だ。
難色を示すエルネストの手を取り、ヴィオレッタは微笑んだ。
「いいでしょう? エルネスト様」
「……ああ」
たっぷりの沈黙の後に、声が絞り出される。
その様子を見ていたオスカーが、小さく呟く。
「女王の番犬もすっかり形無しか……我が妹ながら恐ろしいな」
「――さあ、いつまでも外にいないで、中であたたまりましょう。この子にも、お水とエサを上げないと」
冷たい風を感じながら、オスカーの乗ってきた黒鋼鴉を見つめる。王都からここまでは長旅だ。たっぷりとねぎらってあげないと。
ヴィオレッタはひらひらと舞う白い雪を見つめる。
「冬が来ましたね」
この地で過ごす二年目の冬。
そして今年の冬はエルネストと一緒だ。
去年にはできなかったことが、たくさんできる。
農地や水路の整備計画も、狩りも、新しい料理や菓子の試食会も。
胸をときめかせながら、ヴィオレッタはエルネストの腕に手を添える。
「お茶にしましょう、エルネスト様、お兄様。きっとすごく幸せな時間になります」
居間に戻ると、既に三人分のお茶の準備が調えられていた。
中央には、もちろん黄金糖とリンゴのキャラメルケーキがあった。
美しい焦げ茶色の表面には、焼き上げた際にキャラメルソースが作り出した独特の艶がある。
その下にはスライスされたリンゴが美しく並んでいる。
「これは、いったい――」
「ケーキが、光ってる……?」
エルネストもオスカーも驚きの表情を浮かべながら、そのケーキに見入っていた。
ヴィオレッタは微笑む。
「ヴォルフズ領で生まれた黄金色の砂糖――黄金糖と、リンゴ、今年の小麦、バターでつくった、黄金糖のアップルキャラメルケーキ――ゴールデンルビーです」
丸いケーキが切り分けられ、それぞれの前に紅茶と共に置かれる。
「さあ、いただきましょう」
煌めくケーキを一口食べる。
キャラメルの甘さとリンゴの酸味を感じたその瞬間、幸福感が全身を駆け巡った。
(これはまさに、甘味の革命……!)
広大な大地と夕焼けの空が見える。黄金に輝く夕陽が見える。
新しい世界の始まりが、ここにある。
「脳が、焼かれる……ヴィオ、お前はなんてものをつくるんだ……」
「これは……すべてのものに幸福をもたらす奇跡だ」
――黄金糖。
この甘さは数年後には王国中、さらには世界にまで広がり、庶民も貴族も王族も魅了していくだろう。
新しい時代の到来と、人々の笑顔を思い浮かべながら、ヴィオレッタは幸せな時間を過ごした。
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