23 二度目の冬
――冬の訪れを感じる日、ヴィオレッタは居間の暖炉であたたまりながらエルネストと話をしていた。
「ですから、水車小屋はもっと増やしたいのです。既にもうフル稼働状態です。これからはもっと収穫量が増えるのですから、小麦粉を挽ける量を増やすために設備投資をしないと。水車は他の用途にも使えますし」
「そうなると、王都で水車職人を手配しないとならないな……」
「レイブンズ領にもいい職人がいますから、お父様とおばあ様に話を通しておきますわね。あ、少しだけ失礼しますね。お茶も用意してもらいます」
ヴィオレッタは白キツネの毛皮を羽織って居間を出て、台所の方へ向かう。
台所ではいま、特別なプロジェクトが進行している。近づくほどに甘い香りが濃くなっていく。
「テオ、例のものの調子はどうかしら?」
台所のオーブンの前にいる料理人に声をかける。
「ばっちりですよ、奥様」
オーブンから取り出されたのは、ケーキの焼型だった。白い湯気と芳醇な香りがふわりと立ち上る。
くるりとひっくり返されて、焼型からケーキが姿を見せる。
「まあ……! すてき! すばらしいわ!」
ヴィオレッタは目を輝かせる。
それはまるで秋の夕暮れ。ほんのりと赤みを帯び、そして黄金色に輝いている。
上に載っているのは薄切りのリンゴ。その上にかかっているのはわずかに焦げたキャラメルソース。それがきらきらと光を反射して、宝石のようだ。
「――黄金糖のアップルキャラメルケーキ……こんなにうまくいくなんて」
ヴィオレッタがイメージを膨らませて絵を描き、テオに試作してもらったケーキ。
ふわふわのスポンジケーキ部分にもキャラメルが染み込んで、魅惑の美しさを放っていた。
「正直、いますぐ食べつくしてしまいたいです。これはレボリューションですよ」
テオは興奮しながら同じケーキをオーブンから取り出していく。
ずらりと並ぶ、三台のケーキ。
「――これは、とても良い香りですな……」
香りに誘われたかのように、セバスチャンが台所にやってくる。
「セバスチャン、これこそが甘味レボリューションよ! ヴォルフズ領のリンゴと黄金糖、バター、小麦粉を使った黄金糖のアップルキャラメルケーキ!」
「お、おお……セバスチャンにも、このケーキの無限の可能性を感じますぞ……! これが、これこそがレボリューション……!」
セバスチャンの声は感激で震えていた。
「名前は、そうね……甘露リンゴの黄金ケーキとか――いえ、もう少しシンプルに、ゴールデン・ルビーとか、とにかく豪華に行きたいわね」
「とても良い名でございます」
「ありがとう。これは絶対に商品展開していくとして……まずは旦那様に食べていただきましょう。きっと、すごく驚かれるわ」
ヴィオレッタは同じケーキの中から一番きれいに焼けているものを選んだ。
「他の分はみんなで食べて感想を教えて。セバスチャン、これを居間の方に紅茶と一緒に運んできて」
「かしこまりました」
ヴィオレッタは台所から出て、居間に向けて足取り軽く廊下を歩く。
すると、黒鋼鴉の鳴き声が聞こえてくる。
(……あの声は――)
玄関に向かい外に出ると、空から黒鋼鴉が屋敷前に下りてくる。冷たい風と砂が舞い上がる。
その背に乗り、鮮やかに黒鋼鴉を操るのは、金髪の青年――ヴィオレッタの兄のオスカーだった。
「出迎えご苦労」
鞍の上から偉ぶって言う。
本当に、口さえ開かなければ完璧な貴公子だ。
「せめて、来る前に手紙をくださいません?」
「手紙よりこっちの方が早いしなぁ」
言いながら鞍から下りる。
オスカーの気持ちはヴィオレッタにもよくわかる。
レイブンズ家は情報伝達能力で重用された歴史があるらしいが、先祖はさぞかし活躍しただろう。
「――で、調子はどうだ?」
「順調です。素晴らしい実りで、質も量も大満足な大豊作でした。次はもっともっとよくなりますよ」
「農業の方じゃなくてな……」
やや呆れたように言いながら、ヴィオレッタに顔を近づけてくる。
「お前自身だよ。なんだか妙なことに巻き込まれているみたいだったし」
うまく夫婦ができているか、わざわざ直接確認に来たのだろうか。
結婚は家同士の付き合いだから、レイブンズ家を継ぐオスカーとしても気になるところなのだろう。
「順調です」
ヴィオレッタは赤らむ頬を押さえながら笑う。
「……ならいいんだけどな。来年の社交シーズンは、かの侯爵の氷を、春のスミレが溶かしたとか騒がれるだろうな」
「まあ。それはむず痒いですね」
想像するだけで面白くて笑ってしまう。
「他人事だな」
「社交界に出る予定はありませんし」
「侯爵夫人が何を言ってるんだか。いまはよくても、いずれ出なきゃならないときが来るぞ」
「そうですね……」
ヴィオレッタは侯爵の妻だ。
パートナーを伴うパーティーや式典には、いずれ出なければならない。
「噂のことは気にするな。アイリーゼ様がなごやかに否定してくださっているから、春には収まってるさ」
「まあ……それは嬉しいですね」
公爵令嬢であり、いずれ王太子妃になるアイリーゼがヴィオレッタの味方をしてくれているのなら、ヴィオレッタを悪く言う人々はいなくなるだろう。
「お礼に、春になったらバラとスミレの黄金糖漬けを贈りましょう。アイリーゼ様、エディブルフラワーの砂糖漬けがお好きでしたし」
黄金糖漬けもきっと気に入ってくれるだろう。
ヴィオレッタは食用スミレの栽培も行っている。卵白と砂糖でコーティングした花は見た目も美しく、とにかく華やかで、そしておいしい。
カフェ・ミエル・ヴィオレでもケーキに載せたりお茶に入れたりしていて、特に女性に大人気だ。可愛くパッケージして販売もしていて、女性への手軽なプレゼントとしても大人気だ。
ヴィオレッタが学生時代にお茶会で出したときも、アイリーゼが特に気に入っていた。
彼女が喜ぶ顔を想像するだけで、胸がときめく。
(うまくいけば王室御用達になって紋章も手に入るかも)
その紋章をカフェに掲げられれば、とても箔がつく。ますます商売繁盛になる。
「――黄金糖ってなんだ?」
「…………」
「お前から漂う甘ったるい匂いはなんだ?」
「……まだ、秘密です」
せめて、もう少し軌道に乗ってから。
甘カブの増産は順調だが、まだまだ流通に乗せられる段階ではない。
「この兄に秘密か、ヴィオ」
「あら? 妹の秘密の話を聞き出すということは、味方になってくださるということですね。お兄様が協力者になってくださるのならとても心強いです」
ヴィオレッタが笑うと、オスカーはわずかに口元を引きつらせる。
「……ったく。どうやら、かなりいい商売になるみたいだな」
「あら、顔に出ていましたか?」
「お前がニコニコしてるのは、食べ物のことと商売のことを考えてるときがほとんどだ。きれいになっても中身は相変わらずだな」
「まあ。お兄様は紳士になられましたね」
ヴィオレッタの外見を褒めるなんて珍しい。会っていない間に、紳士としての経験値が積まれているようだ。
話していると、玄関から誰かが出てくる気配がする。
振り返ると、執務室で仕事をしていたはずのエルネストがいた。
エルネストはオスカーを見て、驚きもせずに言う。
「オスカー……相変わらず神出鬼没だな」
「義兄上と呼べ」
エルネストは渋面を浮かべる。
「……義兄上」
「やめてくれ、むず痒い」
「同感だ」
遠慮のないやり取りを聞きながら、ヴィオレッタは不思議な気分になった。
この二人が顔を見合わせて会話をしているのを見たのは初めてかもしれない。
なのに、この空気感。
「お二人は仲がよろしいのですか?」
「全然」
「まったく」
同じタイミングで否定され、ヴィオレッタは苦笑した。
「すごく気が合うじゃないですか」
貴族学園でも対として讃えられ、女子生徒たちに憧れられていた二人だ。
そしてこの親しい雰囲気。きっと学園時代も仲が良かったのだろう。
二人は同じような複雑そうな表情を浮かべ、お互いに顔を背けた。
「それより、シャドウメアの方はどうなったんだ」
「おそらく、永遠に行方不明だ」
驚くオスカーに、エルネストは冷静に続ける。
「我らと黒鋼鴉の怒りを買ったのだから、当然の帰結だ」
「それは仕方ないな。何も出てこないならいいだろ。ごちゃごちゃするだけならいっそ、この世から消えてもらった方がいい」
声を潜めて何かを話し合っている。
「――それで、何をしに来た。言っておくが私は休暇中だ」
「用があるのは義弟にじゃなくて妹にだ。――ヴィオ」
いきなり話を振られ、ヴィオレッタは背筋を伸ばした。
「はい」
「家に帰ってこないか?」






